106 キャロルの闇



「ばっかみたい……みんな美味しいご飯に騙されちゃって……」


 すたすたと歩くキャロル。特にどこを目指しているわけでもなく、気がついたら演習場でも、暮らしている寮とも違う場所に来ていた。


「いくら温厚に見えるからって、所詮は魔族。どこかで本性を表すに決まってる!」


 直接の根拠はない。しかしキャロルからしてみれば、ヒカリは『そういう』存在なのだと決定づけられていた。

 そしてそれを強く思うだけの理由も、彼女の中にはちゃんとあった。


「魔族はみんな残虐非道なのよ! 私の家族を……軽々しく殺すくらいなんだから」


 キャロルの脳裏に、忘れたくても忘れられない思い出が蘇る。


(あの日……魔族は私から全てを奪った!)


 元々彼女は、とある王国の貴族に生まれ育った。

 一人娘である彼女は、両親からも溺愛され、とても大切に育てられてきた。たとえどんなに仕事で忙しくても、娘の祝い事は絶対に欠かさないほどに。

 そしてその日は――キャロルの誕生日だった。

 屋敷で祝うのかと思いきや、何と両親がサプライズで家族旅行に連れ出したのだ。それも一週間という長期の計画であり、キャロルは大いに喜んだ。両親とそんなに長く一緒にいられること自体が滅多になかったため、喜ばない理由はなかった。

 両親のサプライズは最初から大成功。楽しい旅行になるはずだった。


(でもそれは……初日でいきなり『終わって』しまった!)


 故郷である王国を出た瞬間、突如として魔族が襲い掛かってきた。

 いきなりの襲撃に成す術もなくやられ、両親は惨殺。幼いキャロルも両親が身を挺して守ったおかげで、重傷こそ負ったものの九死に一生を得ることができた。

 他国の騎士団が駆け付けたことにより魔族は撤退。

 キャロルも無事に救出され、その国の王都で治療を受けることとなった。

 そしてそのまま、彼女は孤児院で静養することが決まった。故郷に帰れないまま、数年の時をそこで過ごしたのである。

 やがてキャロルは、故郷の王国へ帰る機会が訪れた。

 屋敷に勤めていた執事が迎えに来たのだ。

 じいやと呼んでいたその執事と再会できたキャロルは、涙が止まらなかった。両親はもういないけど、またあの屋敷で暮らせるようになるのだと。

 しかし――


(私の住んでいた屋敷も……親戚が全部奪っていた)


 実家も領地も、そして『爵位』も――父親の兄が何もかも全部引き継いでおり、その家族たちが立派に治めている姿を見てしまう。

 既に故郷の王国では、その親戚家族たちが信頼を得てしまっていた。

 もうキャロルの帰る場所は、どこにも残されていなかった。


(まぁ……それも全てが『計画』だと知ったのは、大分後になってからだけど)


 魔族の襲撃事件――それは親戚が家を乗っ取るために仕組んだことだった。

 出来が良くて良縁にも恵まれ、全ての財産を受け継いだ弟を妬み、全てを奪い取ることを決意した。

 そしてそのために魔族と結託したことを、彼女は数年後に知ったのだ。

 きっかけは本当に些細なことだった。もう思い出せない。

 ただ覚えているのは、その親戚も哀れを通り越して、滑稽なものだとしみじみ感じてしまったことだ。

 無論、それを知った最初は、親戚に対する恨みでいっぱいだった。

 しかしその親戚も、魔族の手のひらの上で転がされていただけに過ぎず、ほとぼりが冷めた頃に手痛いしっぺ返しを食らい、何もかも失った。名誉も家も領地も、財産と呼べるものの全てが消えた。

 その頃は既にキャロルも冒険者を務めており、各地の様々な情報を得られるくらいの腕は持っていた。

 話が本当かどうか確かめにも行った。

 すると領地も家も、他の貴族が綺麗に吸収しており、実家のあった場所は、綺麗な自然広場になってしまっていた。


(あそこまで綺麗サッパリ別物になったら、もはや清々しく思えてきたわね)


 実態を見たキャロルは、ほんの少しだけ胸がすいた。黒幕が手痛い目にあったと知っただけでも、まだ良かったと言える。

 しかし彼女の気は、完全に晴れることはなかった。

 親戚連中に加担した魔族たちの行方は、結局のところ分からずじまい。今ものうのうと生きているのか、それともどこかで無残に散ったのか――何の情報を得ることができていない。

 いずれにせよ、もうそれをはっきりとさせる術はなかった。

 キャロルが大聖堂の騎士となったのは、それからすぐ後のことであった。


(私は……本当の意味で人生をやり直すつもりでいた)


 たまたま大聖堂の騎士たちの遠征に出くわし、ギルドを通して魔物討伐に協力することとなった。

 その際、騎士団長のベルンハルトに同伴していた聖女アカリと話した。

 これまでの経緯を全て話した。これといった理由はなかった。なんとなく吐き出したかったという、ただそれだけだったかもしれない。

 しかしそんな彼女の過去を、アカリは真剣に聞いていた。

 そしてアカリは言った。


 ――あなた、大聖堂の騎士に興味はない?


 ベルンハルトもそれを聞いており、筋はいいことも認めていた。

 それからはもう、とんとん拍子と言ったところだ。

 女性が騎士になってもいいのかという疑問こそあったが、実力さえあれば男女は問わないというスタンスが気に入り、キャロルは見習いとして騎士団に入隊。そこで数年の時を経て、着実に力を付けていった。

 騎士見習いの厳しい訓練は、キャロルの過去を一時的に忘れさせてくれた。

 前向きに考えるようにもなってきており、明るさが出てきた。


(まぁそれも、ここ数日に比べれば静かな日々だったような気もするけど)


 その原因とも言える人物は、間違いなく『ヤミ』という名の少女だ。

 彼女が来てからは度肝を抜かされてばかりだ。最初は信用できずに突っかかり、すぐさま力の差を見せつけられた。

 それからは彼女と話すようにもなった。人柄の大きさに憧れてすらいた。

 同じ年頃でとても明るい彼女は、自分の廃れた心を癒してくれる。このままずっと仲良くしていきたいと、心から願うようになっていた。

 しかし――今はもうそれは、まやかしとしか思えなくなってしまっていた。


(結局、彼女も……私が願う存在じゃなかったのかもしれない)


 ヒカリという魔族の少年と笑い合う彼女が、とても信じられなかった。どうしてあんなに魔族と話せるのか。何故あんなに距離が近いのか。

 どうして――疑問という疑問が、キャロルの中をグルグルと駆け巡る。

 自分の中の奥底に眠っていたトラウマが、ここにきて急激に再燃してきてしまう。


(分かってるのよ。理屈の上では『そうじゃない』ってことぐらい!)


 魔族にも色々な存在がいる。決して悪い魔族ばかりじゃない。その筆頭が、ヒカリという少年なのだと。

 頭の中ではキャロルもそう理解している。

 しかし心がそれを受け入れない。考えれば考えるほど、自分の中に眠るドス黒い塊が湧き出て、告げてくるのだ。

 アイツもあの時と『同じ』に決まっているじゃないか――と。

 そう考えた瞬間、尊敬していたヤミでさえ、自分にとっては敵なのではないかと、そんなふうに思えてくる。それこそあり得ない話だろうに、いざ考え出したら止まらなくなってしまう。

 そして――そんな自分が醜く思えて、嫌になってくる。


「ホント、最低……騎士として失格もいいところじゃないの、私ってば……」


 足元の草むらに雫が落ちる。それが自分の涙であることにしばらく気づかず、ただポタポタ落ちるのをぼんやりと見つめながら、自虐的に笑うばかりだった。

 自分の中で何かが空っぽになってしまった気がした。

 今まで一体、自分は何をしてきたのか。

 あれほどがむしゃらに頑張ってきたことが、急激に虚しく思えて仕方がない。もう何もかも投げ捨ててしまおうかとさえ思っていた、その時だった。


「――そんなことはありませんよ」

「えっ?」


 突如後ろからそんな声が聞こえてきた。瞬時に身構えながら振り向くと、そこにはキャロルにとっても、非常に見覚えのある人物が立っていた。

 故に思わず思考が停止しつつ、盛大に目を見開く。


「あ、あなたは――んぐっ!?」


 いきなり口元を塞がれた。消えたと言われていた人間が急に現れたのだから無理もない話ではあるが、如何せん『彼女』からすれば、大きな隙に他ならない。

 体から急激に力が抜け、地面に倒れてしまう。

 視界が暗くなる中、必死に顔を上げ、その人物の姿を確認する。

 間違いであってほしいと願っていたが、やはり見間違いなどではなかったと、考えるまでもなく分かってしまう。

 だからキャロルは、その人物の名を呼びながら訪ねたかった。


「どうして……ア、アマンダさ……」


 しかし薄れゆく意識に抗うことはできず、そのまま倒れてしまう。呼ばれた彼女はニヤリと笑いながら、ピクリとも動かないキャロルに、スッと手をかざす。

 その手からは、黒いオーラが湧き出て、彼女の首元にまとわりつく。


「安心してください。今、ラクにしてあげますから♪」


 黒いオーラが彼女の首飾りに吸い込まれていき、やがて黒く変色してゆく。それを見つめながら、彼女はクスクスと笑い続けていたのだった。


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