100 ヤミが来てから全てがおかしくなった
ベルンハルトの執務室――そこに屋敷のメイド全員が集められ、アカリや執事長も同伴する形で、今回の件についての決定事項が伝えられた。
「勝手な行動をしたペナルティは、メイドたちの連帯責任として受けてもらう」
ガラクタ置き場と化していた奥の部屋を修繕すること――それがメイドたち全員に与えた内容だった。
ただ単に溜まった埃を掃除をすればいいというものではない。
床板や壁紙の張り替え、粗大物の撤去、家具の買い替え。これら全てを執事長が監督の元、完璧に行わなければならない。無論、それにかかる費用は、給料から天引きされることが決まっている。
主犯だけではなく、メイドたち全員にそれが適用される形となるのだ。
「――あの、ベルンハルト?」
ここでアカリが、遠慮がちに問いかけた。
「流石に連帯責任はやり過ぎではないでしょうか? ペナルティを与えるにしても、少し穏便にしたほうが……」
「いや、下手に甘くすることはできん。これは決定事項だ」
「そんな……」
厳しい言葉にアカリは軽くショックを受ける。屋敷のメイドも家族のようなものであるため、痛ましく思えてならなかった。
「……納得できません」
するとそこに、呟くような声が執務室内に響き渡る。
「こんなの……絶対に納得できませんよ」
そして遂に声を荒げた。その者は今回のペナルティの主犯だった。まさかここで声を上げてくるとはと軽く驚きつつ、ベルンハルトも黙っているつもりはない。
「不満があるのか? 言っておくが、お前がしたことの撤回はできんぞ」
「分かってます。撤回してもらわなくて結構ですし、私が言いたいのはペナルティの内容なんかじゃありません」
「……なに?」
ベルンハルトは思わず顔をしかめる。アカリも意味が分からず、動揺した視線を向けていた。
しかしそのメイドの表情、そして口調からして、とてもふざけてなどいない。むしろどこまでも真剣さを込めていることは間違いなかった。
そしてそれは、言葉によって解き放たれる。
「何で……あんな魔族を招き入れたんですか?」
「いや、それは伝えただろう。彼はアクシデントによって、この大聖堂へ……」
「でしたら! どうしてさっさとこの大聖堂から追い出さないんですか!?」
ベルンハルトの答えを遮るように、メイドは再び声を荒げ出す。その目には大粒の涙が浮かべられていた。
「相手は憎き魔族なんですよ!? 普段の旦那様なら、アカリ様のためと称して、即座にそうされていたはずじゃないですか!」
「それは……」
「なのにアカリ様の『娘』や御子様方が贔屓にしている存在だから、この屋敷に招き入れる? 何ですかその冗談は! あれほど魔族に敵意を出していた旦那様は、一体どこへ消えてしまったというんですか!?」
「お、おい……少し話を……」
「……そんな旦那様の元で働きたくて、私はこの屋敷の門を叩いたんですよ?」
そしてメイドは俯いてしまう。大粒の涙で、カーペットに跡を付けながら。
「アカリ様の魔族に対するお気持ち、そしてそんなアカリ様のために全力を尽くす旦那様の元でなら、私も気持ちよくお仕事できると思いました。私も……魔族に母親を殺されたというトラウマがあるから!」
「――っ!」
ベルンハルトは目を見開いた。アカリも両手で口元を抑えている。
確かに彼女はそうだった。この家で働いてもらう以上、素性はきちんと全て調べており、経緯もそれとなく知ってはいた。
それでも彼女は、メイドとして一生懸命働いていた。
どんなに失敗してもへこたれず、決して諦めないその根性を買っていたのだ。
はびこるトラウマを、今でも抱え続けている。もう他に家族がいないという事実を背負い続けている――それをちゃんと知っていたはずなのに。
「分かっているんです。この世の全ての魔族が悪いわけじゃない。今日来たあの少年だって、悪い魔族じゃないのかもしれない……でも!」
メイドはギリッと歯を噛み締めた。その表情はまるで、この世の全ての『何か』に対して憎悪を抱いているように感じさせる。
「でも……ダメなんです。魔族というだけで私……ダメなんですよ」
必死に胸を押さえつけながらも、彼女は言葉を発してゆく。許せない、恨んでも恨み切れない、相手がどんなに善人だろうと関係ない。
魔族――たったそれだけの事実が、心を大いにかき乱してくる。
もう理屈などではない。
気がついたらそうなっていた。
一目見た瞬間から、彼に対する扱いは決まった。それ以外にあり得ないと、自分の中に眠る『何者』かがそれを告げてくる。
それが全てなのだ――と。
「……こんな私を解雇したければ、どうぞ遠慮なくしてください」
彼女は涙を流しながら、ハッキリとそう言い放つ。それを聞いたアカリは流石に黙っていられなかった。
「ちょ、ちょっと! いくらなんでもそんな――」
「それで他の皆さまの見せしめになるなら、いくらでもなってやりますよ!」
しかしそんなアカリの言葉も、彼女の更なる叫びに押されてしまう。そしてアカリは気づいていなかった。
ここまで誰も、他のメイドたちが言葉を発していないことに。
メイドたちの誰一人として、彼女に対して否定的な反応を示していないことに。
「……ヤミ様が来てから、全てがおかしくなりましたよね」
ずっと口を噤んでいた別のメイドが、ここにきて呟くように切り出した。
「坊ちゃまが旦那様のような騎士にならないと表明したのも、お嬢さまから淑やかさが半減したのも、全てはヤミ様の影響です」
「ですよね。坊ちゃまはそう遠くないうちに、この屋敷を出ていかれるそうですし」
「――えぇっ!?」
何気なく話すメイドの言葉に、驚きの声を上げたのはアカリだった。
「どういうことですか! 私はそんなの聞いてませんよ?」
「私たちだってちゃんと聞いたわけじゃないですよ。お嬢さまやご友人の方々と話されているのを、たまたま耳にしたんです。ただあれは……本気の様子でした」
「そんな……」
アカリは膝元から崩れ落ちそうになった。
初めてカミングアウトしてきた際、魔界で世話になった彼の元で暮らせるよう口添えすると、ヤミが親切に話を持ち掛けていたのを思い出す。
それを実行する気だ――そうとしか思えなかった。
そしてアカリは、息子からそのような話を全く聞いていなかった。それはベルンハルトも同じくではあったが、アカリほどの驚きは示していない。
(……まぁ、いずれそうなると思ってはいたがな)
同じ男だからなのか。息子の決意に対して驚きこそすれど、反対したりする気持ちは全くない。好きにしろと言ったのだから尚更だった。
しかしそれも、メイドたちからすれば、マイナスなイメージでしかなかった。
まさかこのようなタイミングで、それに気づかされるとは――ベルンハルトは頭を抱えたくて仕方がない。
(完全に失態だな……俺も大概、周りが見えていなかったということなのか……)
後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。今更ここで悔やんでも何もならない。それも含めて深く突き付けられる。
するとメイドの一人が、スッと一歩前に出てきた。
「……旦那様からのペナルティは、私たち全員で甘んじてお受けします」
ですが――と、そのメイドは鋭い目つきで、ベルンハルトとアカリを見据えた。
「坊ちゃまとお嬢さまを誑かした……ヤミ様とあの魔族の少年のことは、もはや私たちには受け入れられそうにありません。それがご不満なら、どうぞ私たちを屋敷から追い出してくださいませ」
「魔族と仲良くする彼女も、いつ牙を剥くことやら……」
「あんなのがアカリ様の娘だなんて、とても信じられませんよ」
「旦那様たちの名誉のためにも、あの娘たちの処遇を再考すべきです!」
「これ以上、私たちを失望させないでください!」
「旦那様、アカリ様! 私たちはあなた方を信じたいのです!」
必死に縋り付くように懇願するメイドたち。その言葉一つ一つに重みがあり、それだけ真剣なのだということがよく分かる。
だからこそベルンハルトも、そしてアカリも答えを出せなかった。
話は以上だ――その言葉を出すのが精いっぱいだった。
かくして屋敷で発生した騒ぎは、一応の鎮静化を見せた。
しかしこれにより、屋敷の雰囲気は悪化を辿ることとなってしまい、ベルンハルトとアカリを大いに悩ませることとなるのだった。
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