096 姉は強し



「そもそもヒカリが何をしたって言うのさ? ただアクシデントに巻き込まれただけだっていうのに、それを助けるどころか突っぱねようとするなんて……」

「そ、それは分かっている。だが……」

「だがも何もない!」


 慌てて弁解しようとするベルンハルトだったが、ヤミはそれを容赦なく叩き落とすように言い放つ。

 そして、これ見よがしに深いため息をつくのだった。


「おかーさんの過去は聞いてる。まぁ、チビッ子たちから軽く教えてもらった程度だけどね。魔族に捕まって酷い目にあわされたっていうのは知ってるよ」

「だったら……少しはアカリの気持ちを……」

「でもさ。それってもう、十何年も前の話でしょ?」

「っ!」


 ベルンハルトがなんとか諭そうとするも、ヤミのしれっとした言い分に、再び言葉が止まってしまう。

 ヤミはどこか呆れた視線とともに、そのまま続けるのだった。


「そんな昔のことを未だネチネチ気にしてるなんざ、情けないったらないね! それこそ聖女サマが聞いて呆れるってもんだよ」


 ギロリ、と鋭い視線を向けるヤミに対し、アカリは思わず目を逸らしてしまう。その体は小刻みに震えており、支えているベルンハルトにも伝わっていた。


「――キミこそ、勝手なことを言わないでほしいものだな」


 故にベルンハルトも、このまま黙っていることはできなかった。


「十三年前、アカリがどれほど苦しんだことか! 生まれたばかりの我が子を失った痛みがどれほどのものか! そんなアカリの気持ちを、キミは少しでも考えたことがあるのか?」

「そんなのあるわけないじゃん」


 あっけらかんと即答するヤミに対し、ベルンハルトは唖然とする。

 信じられなかった。

 血の繋がった母親に対する言葉とは思えず、耳を疑った。いくらずっと離れていたとはいえ、ちゃんとアカリのことを『おかーさん』と呼べるくらいの認識は、少なくともしていると思っていた。

 流石に今のは聞き逃すわけにはいかない。

 勝手が過ぎる。親子の間に遠慮は無用という考えを否定するつもりはないが、流石に言っていいことと悪いことがある。

 まだ幼い子たちが見ている前で、言っていいことではない。

 そんな思いを乗せて、ベルンハルトが口を開こうとしたその前に――


「いつまでも過去に囚われてウジウジしてる人のことなんて、わざわざ考える気にもなれないし」


 再びヤミはサラッと言った。それも肩をすくめて苦笑しながら。

 改めてベルンハルトの表情は硬直される。何をどう表現していいのか分からない。内側から沸き上がってきていた熱も、完全に削がれていた。

 彼だけではない。アカリも双子たちも、トラヴァロムでさえも目を丸くする。

 唯一、軽く驚きながらも小さな笑みを宿しているのはヒカリだけだったが、それに気づく者は誰もいない。


「まぁ別にあたしからすれば、心底どうでもいい話だけどね。それよりも今は、ヒカリのことだよ」


 そしてヤミも、今の話題を掘り下げるつもりは全くないことを示し、すぐさま話題を元に戻そうとする。


「そんなにヒカリをあの屋敷に入れたくないってんなら、それはそれで別にいいよ。どこか適当な宿舎とか……なんだったら、使ってない小屋みたいなところにでも案内すればいい。あたしもそこで一緒に寝るからさ」

「えぇっ?」

「お姉ちゃん、本気で言ってるの?」

「当たり前でしょ。今のヒカリを一人にさせるわけにはいかないからね」


 驚きを隠せないラスターとレイだったが、ヤミはどこまでも本気であった。

 このままだと有言実行しかねない。そんなある種の一触即発とも言える緊迫した空気が流れ出していた。


「ちょ、ちょっと待ちなさい!」


 アカリが我に返るように目を見開き、慌てて声を上げる。


「あなたはこれから、聖女の試練を乗り越えたお披露目会を控えてるのよ? なのにそんなことをするなんて……」

「知ったこっちゃないさ。ヒカリのことに比べたら、些細な問題だよ」

「でも……」


 肩をすくめるヤミは一歩も引かず、アカリも納得できずに言い淀む。歩み寄る気配がまるでないこの状況は、まさに混沌と化すのではないかというほどであり、双子たちも完全に口を挟めない状態となっていた。

 すると――


「まぁ、落ち着け。ここで言い争っても、何もならんだろうに」


 これまでずっと静観していたトラヴァロムが、落ち着いた口調で入り込む。そして未だ怯えた様子を隠せないアカリに、厳しい視線を向ける。


「アカリよ――近々控えているパーティーには、魔界からも王を招き入れる。これまではなんとか言い訳できたかもしれんが、流石に今回ばかりは魔族との接触を避けては通れんぞ」

「大神官様……」

「魔族も悪いヤツばかりではない――お前はそれを、少しでも理解するべきだ」


 そしてトラヴァロムは、アカリの返事を待つこともなく、隣に控えている彼女の夫に視線を移す。


「ベルンハルトよ。ヒカリとノワールは、お前の屋敷に預ける。異論はあるか?」

「いえ……謹んで引き受けさせていただきます。ですが……」


 流石に今回は何も言い返せない。それでも愛する妻のために、少なからず保険はかけておかなければ――そんな思いを込めて、ベルンハルトは表情を引き締める。


「少しでも妻に対して、何かしらの危険が生じた場合、即座にこの大聖堂から追放させていただきます。その際には、私の立場を受け渡すことも厭いません」

「……良かろう」


 トラヴァロムはため息交じりに頷いた。


(この男も、昔から大概変わっておらんなぁ……)


 愛する人のためならば、自分の全てを平気で投げ出そうとする――まさに十三年前にも実行していた。

 それを思い出したトラヴァロムは、つい懐かしい気持ちを味わってしまう。


(……と、感傷に浸っている場合ではなかったな)


 ここでトラヴァロムは、ようやくこの話の『元』となっている存在を思い出す。罪人のような扱いとなってしまったが、その実態は巻き込まれただけの、ただの平凡な少年に他ならない。

 知り合いとして少しでもフォローをしておかなければと、そう思いながら彼のほうを振り向くと――


「大丈夫だよ、ヒカリ」


 既にヤミが彼の元に寄り添い、優しく声をかけていた。

 そして――


「もしそうなったら、あたしもあんたと一緒に追い出されるから」


 ニッコリと微笑みながら、迷いのない口調でそう言い放つのだった。

 ヒカリは勿論、トラヴァロムや双子たち、そしてベルンハルトやアカリも、皆揃ってヤミの言葉に驚愕する。まるで周りを漂う空気の流れが、ピタッと止まったような気がするほどに。

 しかし当のヤミは、それをまるで気にも留めずに、明るい笑顔を浮かべていた。


「あんたはあたしの大切な弟分――いや、それ以上の存在だからね。一人で放り出させるようなマネは、絶対にさせないよ」

「ヤミ……」


 そしてヒカリもまた、ヤミの言葉に感激し、軽く目を潤ませながらも――


「……ありがとう。嬉しいよ」


 穏やかな笑みを浮かべるのだった。


「きゅるぅー♪」

「くきゅくきゅ、くきゅーっ♪」


 ノワールとシルバもまた、嬉しそうに鳴き声を上げる。ヤミとヒカリの言葉を理解したのか、それとも二人が浮かべた笑顔につられただけなのか。

 いずれにせよ、和やかな空気に戻りつつあることは間違いない。双子たちも顔を見合わせながら嬉しそうに笑い、トラヴァロムもまた、どこか満足そうな笑みを浮かべていた。

 そしてそんな中、ベルンハルトとアカリの二人は――


「「…………」」


 どこまでも複雑な気持ちを隠し切れず、表情に表れていたのだった。


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