093 黒竜の雛
「――で、そうなってしまったというわけか」
菜園まで駆け付けたブランドンとオーレリアは、改めてヒカリから事情を聞き、複雑そうな笑みを浮かべていた。
二人の視線は、ヒカリの胸元に向けられており――
「きゅるるぅ♪」
その対象はご機嫌よろしくヒカリの胸元にすり寄っている。小さな手と足でガシッと服にしがみ付いており、絶対離れてやるもんかと言わんばかりであった。
そんな小さな黒い竜の姿に、オーレリアは苦笑する。
「きっとヒカリを一番最初に見たから、刷り込みされてしまったのね」
「刷り込み……僕を親だと思ってるってこと?」
「そういうことになるな」
ブランドンも肩をすくめる。そして改めて小さな黒い竜の姿をまじまじと見る。
「見たところ黒竜の雛のようだな。この近くには生息していないはずだが……本当に卵がどこから来たのか、お前にも分からないんだな?」
「うん。むしろ僕が聞きたいくらいだよ」
「……そうか」
疑うような聞き方をする形にはなってしまったが、ブランドンも本気でヒカリを疑っているわけではない。
そもそも黒竜の卵を人知れず持ち込むなど、並大抵のことではない。
魔界の城は警備も厳重にしており、周辺の動きにもしっかりと目を光らせている。少しでも怪しい動きがあれば、すぐにでも目が向けられ、ブランドンの耳に入るシステムとなっている。
つまり、ヒカリが何かしらの不審な行動を取っていたとすれば、間違いなくこの時点でブランドンは知っているはずなのだ。
にもかかわらず、このような寝耳に水の現象が発生した。
ヒカリに対してあれこれ言うつもりはない。だがこのまま放っておくわけにはいかないのも確かではあった。
そしてそれは、オーレリアも心得ていることであり、冷静な表情で小さな黒い竜を見つめながら思考を巡らせている。
「何の前触れもなく、この菜園に落ちていた……何か裏があるように思えますわ」
「そうだな。少し調べてみよう」
優秀な妻の言葉に感心しつつ、ブランドンも頷く。そして改めて、二人揃ってヒカリのほうに視線を向けた。
「お前はこのまま、その黒竜の雛の面倒を見ておいてくれ」
「分かった。任せといて」
「きゅるぅ?」
ヒカリが力強く頷く傍ら、小さな黒い竜は意味が分かっていないらしくコテンと首を傾げていた。それを見たオーレリアが、思わず表情を綻ばせていたが、ブランドンがそれに気づくことはなかった。
かくしてヒカリは、小さな黒い竜を育てる生活が始まったのだった。
少しでも何かがあってはいけない。いくら頑丈な竜とはいえ、赤ん坊であることに変わりはないから、ちゃんと気を付けなければ――そんな考えとともに、ヒカリの中でやる気のスイッチが入る。
調教師から極秘で竜の飼育の基礎も教わった。
流石に状況が状況なだけに、大々的に習いに行くこともできず、ブランドンから手を回してもらったのだ。
もっともこれに関しては、それほど心配するようなこともなかった。
竜という生き物は、元々荒れた環境でも生きていける丈夫な性質を持つ。むしろ裏庭の菜園という穏やかな環境で、何かが起こるほうがおかしい――そんな謎の太鼓判を押されるほどだった。
とりあえず飼育についてはなんとかなりそうだと、少しだけ安心はできた。
しかし、警戒は怠れなかった。
もしかしたらこの小さな黒い竜を狙って来る者がいるかもしれない。万が一の時に備えておくに越したことはないだろうと。
しかし――
「何事もなく一日が終わっちゃた……」
「きゅるきゅるー」
小さな黒い竜の面倒を見ながらも、畑の手入れは無事に終了。野生のスライムたちにも協力してもらい、特に大きな問題が起こることもなかったのであった。
その翌日も同じくであり、むしろ平和としか思えない。
雲一つない快晴で、太陽の日差しとひんやりとした風が心地良い。小さな黒い竜も木陰の下で、スライムたちと一緒に昼寝をしていた。
ヒカリもヒカリでやることはあるため、どうしても目を離す時がある。しかしその間も小さな黒い竜に危害が加わるようなことは、何一つなかった。むしろ静か過ぎて逆に不気味さを覚えてしまったほどだ。
そしてそれは、現在進行形でヒカリが感じていることでもある。
「まぁ……何もなければ、それに越したことはないけどね」
「きゅるるぅ♪」
優しく背中を撫でられる気持ち良さが、鳴き声と笑顔によって表現される。まだ二日目だというのに、すっかり心を鷲掴みにされてしまっていた。
実際、刷り込み効果が発動していることは間違いない。
本当にこのまま何もないのであれば――ヒカリがそんなことを考え始めていた、まさにその時であった。
ブランドンとオーレリアが、小さな黒い竜の面倒を正式に見るよう、ヒカリに通達したのである。
「――実は『黒竜の里』に連絡を取ってみたのだが、つい先日いくつかの卵が盗難にあったらしくてな」
「盗難? それって、もしかして……」
ブランドンの言葉に驚きつつ、ヒカリは二日前に孵化したばかりの小さな黒い竜を見下ろす。
しかしブランドンは、首を左右に振った。
「いや、それについては、まだなんとも言えない状態だそうだ。それよりその雛についてなんだが……ヒカリのほうで大切に育ててやってほしいと言われたよ」
「……また随分とあっさりしてるね」
「刷り込みもされている以上、致し方ないとおっしゃられてましてね。お受けしていただけますか?」
「勿論。この子は僕が責任を持って育てます!」
オーレリアからの言葉に、ヒカリは強い意志を込めて答える。そして嬉しそうな笑みを浮かべつつ、小さな黒い竜を見下ろした。
「そうと決まったら、名前を付けないとね」
「きゅるぅ?」
「えっと、そうだなぁ……」
ヒカリは小さな黒い竜を、改めてジッと見つめる。そして脳内に、一つの名前が浮かび上がるのだった。
「――ノワール」
「きゅる?」
「うん。キミの名前は『ノワール』だ」
「きゅるる……きゅるぅっ♪」
「気に入ってくれたの?」
「きゅるるぅっ♪」
「よーし、それじゃあ決まりだね。ノワール、元気に育つんだよー」
「きゅるー」
小さな黒い竜――ノワールは、その名を喜んで受け入れた。ヒカリと笑い合うその姿を見て、ブランドンとオーレリアにも笑みが宿る。
「……完全に親子の姿となってしまっているな」
「えぇ。微笑ましい限りですわ」
かくして、ノワールはヒカリの元で暮らすことが決まったのであった。
しかしこれにより、しばらくの間、ヒカリは遠出をすることが難しいと見なされ、当初の予定を変更することを余儀なくされた。
本来、数日後にヒカリは、ブランドンたちの付き人として旅立つ予定だった。
行き先は大聖堂。
ヤミの聖女誕生お披露目パーティーに参加するためだった。
流石に残念そうにはしていたが、致し方ないとヒカリも認めていた。ヤミによろしく伝えてほしいと頼み、ヒカリは大人しく裏庭の菜園で、留守番をすることが決まったのである。
そしてその翌日――ノワールの卵が孵化して三日目の朝に、それは起きた。
「大聖堂へ行けないのは残念だけど……まぁ仕方ないね」
「きゅるるぅ?」
「ううん、なんでもないよ。今日もスライムさんたちといっぱい遊ぼうね」
「きゅるきゅるぅっ♪」
ノワールの嬉しそうな鳴き声に、心が癒されるような気がした。今はこの小さな黒い竜の世話に全力を注ぐ――それでいいのだと、ヒカリは改めて割り切った。
そして、ちょうど菜園の中央に差し掛かった瞬間――
「ん?」
突如として光が迸った。瞬時に足元に巨大な魔法陣が現れたのだが、ヒカリは驚くあまり、状況が読み込めないでいた。
その結果、逃げようとすることすらできず、眩い光に飲み込まれてしまう。
気がついた時には――
「えっ?」
「くきゅー?」
目の前に知っている顔ぶれがいた。ここでようやくヒカリは、自分たちが転移魔法に巻き込まれたのだと気づく。
しかしそれよりも、今は目の前の人物たちに声をかけたくて仕方がなかった。
「あ、えっと……久しぶり、だね。ヤミ……」
ほんの一週間ちょっと離れていた姉貴分の顔を見て、突然の出来事があったにもかかわらず、謎の安心感を覚えるヒカリなのだった。
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