092 ヒカリと黒い卵



「えっと……ヒカリ、だよね?」

「うん。ヤミのよーく知ってる弟分でございますよ」


 目を丸くするヤミに対し、ヒカリは苦笑する。胸元に抱きかかえている小さな黒いドラゴンの頭を優しく撫でながら、周囲を軽く見渡した。


「ところで、ここってどこ?」

「……大聖堂」

「へぇ、どーりで立派な建物があると思った。にしても元気そうで良かったよ。もう一週間以上も連絡なかったから、ちょっと心配してんだ」

「あーそれはごめん。色々とあったもんでさ……」

「もしかして、こないだの光の柱が、何か関係してたりする?」

「まぁね……って、いやいやいや!」


 無意識にいつもの調子で語り合っていたことに気づいたヤミは、ようやく我に返り手を激しく振る。


「そんな呑気に喋ってる場合じゃないでしょ! てゆーか何であんたはそんなに落ち着いてられんの?」

「いや、僕もビックリはしたけど……ヤミの顔見たら、なんか安心しちゃって」

「あ、そう……いやいや、それで納得できるものでもないけどさ……」


 と言いつつも、ヤミもあながち人のことは言えなかった。最初は確かに驚いたが、それはすぐに喜びへと変化したのだ。

 ヒカリが目の前にいる――それが普通に嬉しい。

 現に無意識で会話していた今も、謎の心地良さを覚えていたほどだった。できればこのままゆったりと話を続けていきたいほどだったが、聞かなければいけないこともあるのは確かであるため、ヤミは強引に気持ちを切り替える。


「ヒカリはどうしてここに……あ、いや、転移魔法だってことは分かるんだけどさ。あたしが聞きたいのはそーゆーことじゃなくて……」


 言いたいことが上手くまとまらず、ヤミは慌て出してしまう。突然この場に弟分が現れたことが、存外大きな驚きとして衝撃を与えていたようであった。

 一方のヒカリも、そんなヤミに対して苦笑を浮かべる。


「あーうん、分かってるよ。経緯はちゃんと話すから……この子のこともね」

「きゅるぅー?」


 小さな黒い竜がヒカリを見上げ、可愛らしい鳴き声を上げる。その姿はまるでヤミとシルバのようであり、実際ヤミ自身も、どこか自分と重ねてしまうものを感じてならなかった。

 やがてヤミはヒカリを立ち上がらせ、近くにあった木陰に移動し、二人で座る。

 それぞれの膝元に、小さな白い竜と黒い竜を乗せた状態で――


「じゃあ早速話していくよ。と言っても、僕自身も分かってない部分が多いけどね」

「構わないよ。あんたがその目で見てきた内容を、そのまま話してみて」

「うん。分かった」


 ヒカリは頷き、その当時の出来事を回想していくのだった。



 ◇ ◇ ◇



 時は三日前に遡る――ヒカリがいつものように農作業をするべく、魔界の城の菜園に訪れた時のことだった。

 いつも遊びに来ているスライムたちの鳴き声が、何故か全くしなかった。

 おかしいと思いながら向かうと、その謎はすぐに解けた。


「――卵?」


 菜園の中央に、それが落ちていた。明らかに大きくて、漆黒に覆われた卵は、なんとも言えない不気味さを醸し出している。

 遊びに来たスライムたちも皆、少し離れた位置でそれをジッと見ていた。

 ある種の夢中と化していたことから、ヒカリが菜園を訪れても声が聞こえることはなかったのである。


「ねぇ。これってキミたちが来た時からあったの?」

「ぴきーっ!」

「ぴゅいぴゅいー!」

「……最初からあった感じか」


 スライムたちが慌てるように飛び跳ね、必死に鳴き声を出してくる様子から、何も知らないと訴えてきていることはなんとなく分かった。

 少なくとも、スライムたちが仕組んだ悪戯の類ではない。

 だとしたらこの卵は、一体どこから来たのか――自ずとそのような疑問にぶち当たることとなる。かと言って情報が少ないどころか無さ過ぎるこの状態で、何の判断もしようがないのも確かではあった。


「えーっと……見る限りヒビとかは入ってなさそうだねぇ……」


 周囲をぐるりと回る形で、ヒカリは卵の様子を見る。何かにぶつかったりして傷がついている様子はなく、むしろ大切に保管されていた場所から取り出したかのように綺麗だった。心なしかその漆黒さが、輝いているようにも見えるほどに。


「もしこれが上から落ちてきたんだとしたら、割れてグチャグチャになってるはず。なのにこんなピカピカ……誰かが直接運んできたってわけでもなさそうだし……」


 むしろ裏庭の菜園に運ぶ理由が思い浮かばない。ここはあくまで野菜などの作物を育てている場所でしかなく、風通しも日当たりも良いため、何かを隠したりする場所には不向きにもほどがあるくらいだ。

 しかも置いてある場所は、一番見つけやすい菜園のど真ん中の地面。

 物置の影など、菜園の片隅に転がっていたのなら、まだ色々と判断もつけられた。ここまで堂々と転がっている状態ともなれば、逆にどういうことなのか、まるで意味が分からなくなる。


「――とりあえずここは、兄さんに知らせるか」


 結局それしかないとヒカリは判断し、周りで様子をうかがっているスライムたちに視線を向ける。


「みんな、この卵には触らないようにしておいてね。今からどうするか、僕たちのほうで考えてみるから」

「ぴきっ」

「ぴゅいぴゅい」


 元気よく返事をするスライムたちに、ヒカリも表情を綻ばせる。そして急いで兄の元へ向かおうとした。


 ――ピシッ!


 その時、小さな亀裂音が聞こえた。ちょうど踵を返して走り出そうとしており、背中越しにそれを聞く形となった。

 ヒカリは立ち止まる。同時に嫌な予感が背筋を過ぎった。

 ゆっくり恐る恐る振り向いて見ると、黒い卵に亀裂が走っている。しかもグラグラと動いており、ピシピシッと亀裂音も大きくなり、少しずつ卵の殻の破片が飛び散り始めてゆく。

 ここまでくれば、卵に何が起こっているのか考えるまでもなかった。

 ヒカリも、そしてスライムたちも、まさか――と言わんばかりに唖然としながら、その様子に釘付けとなる。

 やがて――殻の上部分が、弾けるように飛び散った。


「ふ、孵化……した?」


 引きつった声を出すのが精いっぱいだった。無論この場に、そんなヒカリの声に反応できる者はいない。


「きゅ……きゅるぅ……」


 呟くにしても小さすぎるか細い鳴き声。殻の破片を落としながら、ゆっくりとのぞき出してくる顔。

 ぼんやりと開かれた細い目は――ヒカリを一直線に捉えていた。


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