090 アマンダ、脱獄する
「――おい。早く出ろ」
「うるさいですね。そんなに急かさないでくださいな」
金属のきしむ音を響かせながら開く扉をくぐり、シスター服の女性が思いっきり腕を突き上げる。後ろで大きな三つ編みにした栗色の髪の毛は、煤で汚れてボサボサと化してしまっていた。
彼女はそれにすら構うことはなかった。
今はとにかく、ここから脱出することが先決――それ以外はもはや、どうでもいいとしか思っていなかったのだ。
扉を開けた『彼』も同じことを考えており、ニヤリと笑う。
「流石はアマンダ……どこまでもブレない女だな」
「褒めても何も出ませんよ。そもそもあなたの言葉は白々し過ぎるんです」
「手厳しいな。まぁ別に構わんが」
肩をすくめる彼は、苦笑を浮かべてはいるものの、気にしている様子はなかった。任務を遂行することが最優先であり、彼女の言葉に興味の欠片もない――それ以上でもそれ以下でもないのである。
「……ほら、何をグズグズしているのですか?」
アマンダが呆れた視線を彼に向ける。
「早く私を外へ逃がしてください。あなたはそのために来たのでしょう?」
「偉そうに言ってくれるな」
「不満があるなら見捨ててくれて結構ですよ?」
「そうはいかん。ボスの命令だからな。お前を連れ出す義務がある」
「なら、さっさとしたほうがいいんじゃないですか? 見張りが眠っている時間も、そう長くはないのでしょう?」
「ハッ! どこまでも達者な口だことで」
好き放題言われているにもかかわらず、彼の態度は飄々としていた。喋りながらも手を動かしている。アマンダがまだ牢にいるよう見せかけるための偽装を、手早く施しているのだ。
ここまで殆ど物音を立てていない。ついでに言うと慌ててもいない。
それだけ彼には余裕があることがよく分かる。その姿が余計に、彼の掴みどころのなさを強調させていた。
故にアマンダもまた、更に苛立ちを募らせてしまう。
本人は必死にそれを押し隠そうとしているようだったが、彼からしてみればバレバレもいいところであった。
それも彼の余裕な笑みを浮かべる理由であることを、彼女は知る由もない。
「よし、こんなもんでいいだろう」
偽装工作を終えた彼は、どこか満足そうな表情をしていた。汚れの目立つ大きな布を羽織って背を向けているようにしか見えない姿は、確かにそこにその人物がいるようにしか見えない。
「――行くぞ。声を出すなよ」
彼の呼びかけに頷き、アマンダは動き出す。周りは静かだった。通りすがる中、眠りこけている見張りや巡回中の兵士の姿を何人か見かける。先導している彼が仕掛けたものだということはすぐに分かった。
大聖堂の内部はとても広く、牢屋からの道はかなり入り組んでいる。
なのに彼は、迷うことなくスイスイと進み続ける。まるで何度もこの場に来ていると言わんばかりであった。
(不気味なものですね……もしかしてこの男、前々からこの大聖堂に出入りを?)
そうでもなければ、ここまでスムーズに移動できるのだろうか――アマンダは顔をしかめずにはいられなかった。
脱走しようとしているにもかかわらず、謎の不安が過ぎって仕方がない。
もっとも既に後戻りは許されない状況でもあるため、このまま進み続けるしかないのも分かってはいるのだが。
「よし、ここなら大丈夫だろう」
人気のない片隅にやってきた彼は、懐から一枚の紙きれを出し、それを床に張り付けるようにしておく。その瞬間、紙が眩く光り出し、一つの魔法陣となって現れ、彼とアマンダの二人を包み込むようにして広がる。
そして彼は、アマンダが驚きに満ちた表情を浮かべていることに気づき、悪戯が成功した子供のように小さく笑う。
「バカ正直に出入り口から抜け出すとでも思ったか?」
「……いえ。そのような技術を使う場面を、始めて見たものですから」
「へっ。まぁ別に構わんがな。そのままジッとしておけよ」
「言われなくとも」
まるで口癖のようにサラリと言い放つ彼に対し、アマンダも視線を逸らしつつ吐き捨てるように言う。脱獄させてくれたこと自体に感謝はしているが、彼と慣れ合うつもりなど一切なかった。もっともそれは彼も同じくであり、ある種のウィンウィンと言えなくもない。
あくまで現時点での形だけ、ではあるが。
「――そこっ! 何をしている!?」
そこに鋭い声が響き渡る。たまたま通りかかった騎士の一人が、二人に気づいてしまったのだ。
しかし当の本人たちに慌てる様子は全くない。
魔法陣は既に発動しており、後はその効果が適用されるだけなのだから。
「…………」
「フッ」
アマンダが無表情で、そして彼がニヤリと笑いながら視線を向ける――それが騎士の見た、二人の最後の姿だった。
眩い光は一瞬で、二人の姿ごと影も形も消してしまっていた。
「な、バ、バカな……」
あまりの突然過ぎる展開に、騎士はそのまま立ちすくんでしまい、報告しなければと思いつくのに数分を要してしまうのだった。
◇ ◇ ◇
「――あぁ、もうっ!」
とある場所。ランプの明かりだけが頼りの地下の部屋。そこでアマンダは、明らかな苛立ちを示していた。
目の前のカップに注がれている飲み物は、元々は温かかった。しかし既に湯気は全く立っておらず、冷めきってしまっていることが分かる。それどころか、一緒に添えてある焼き菓子にも一切手を付けていなかった。
人質の部屋とも見えるし、来客の空間とも言える。彼女の場合は、どちらでもあると言ったほうが正しいのかもしれない。
「いい加減、少しは落ち着いたらどうだ?」
アマンダを脱出させた彼もまた、この空間にいた。
見張りも兼ねてなのか、彼女がこの部屋に来てからずっとである。と言っても特に何かをしているわけでもないため、いる意味があるのかと問いただされても不思議ではなかったが、アマンダからは特に何も言われていなかった。
故にそのまま居座り、二人っきりとなる謎の空間と化してしまっている。
「折角あんな狭苦しい牢屋から脱出できたんだぞ? 今は来るべき時に備えて、英気を養っておくべきじゃないか?」
「うるさいですね。それを言うならこの部屋も大して変わらないですよ!」
「頭の固い騎士がいないだけ、まだマシだと思うんだがな」
「……最悪です」
彼の意見に同意を抱いていはいたが、それを口に出すのは癪に障る。そっぽを向いて悪態づくのが精いっぱいだった。
もっとも彼はそれを見て、思わせぶりな笑みを浮かべていた。普通に気づいているのか、それとも彼女の反応を面白がっているのか――いずれにせよ、傍から見れば掴めないことこの上ない。
「まぁ、確かに……組織の隠れ家でもあるこの場所の居心地は、お世辞にもいいものとは言えんな」
「そんなことはどうでもいいのです」
「ほう? ではさっきから何を苛立ってるんだ?」
物凄く自然に尋ねてきた。そんな彼の意図は全く読めなかったが、それこそアマンダからすればどうでもいいことだった。
「……ここでこうしている間にも、聖女様に毒牙が向けられていると思うと、気が気でないのです。すぐにでもあの野蛮人を、この手で葬ってやりたい……その力が私にないのが悔しくて仕方がない!」
「ハハッ。随分と正直に言うもんだな。実に分かりやすくて助かるが」
彼が笑った瞬間、アマンダはキッと振り向きながら睨みつける。鼻で笑われたと思い込んでおり、それはあながち間違いではなかったが、いずれにせよ彼に効いていないことだけは間違いない。
マイペースに飲み物を摂取し、ゆっくりとカップをテーブルに置いた。
「お前の願いは叶えてやる――そうボスからも言われただろう。今はまだ、お前が動き出す時ではないこともな」
「それは……それは分かっているのです。けど……」
「そうやって本能のままに動くから、大きな失敗に繋がったんじゃないのか?」
「ぐっ!」
アマンダは押し黙る。確かにそのとおりだと、返す言葉もなかった。すると彼は、再びカップを手に取りながら言う。
「何事にも準備は必要だ。美味い料理を作るには下ごしらえが必須であるようにな」
「……何が言いたいのですか?」
「下ごしらえが馴染むのを大人しく待て――要はそういうことだ」
そして再び飲み物に口を付けた。そして先刻、自分だけが『上』から聞かされた内容を思い出す。
(しかしまさか……その下ごしらえに、あの『黒い卵』を使うとはな……)
含み笑いを出す彼に首を傾げるアマンダだったが、その真相が分かることはないのだろうと、半ば諦めたようにひっそりとため息をつくのだった。
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