089 トラヴァロムからの忠告



「大神官様――」


 ひとしきり不満が出たところで、眼鏡の男が立ち上がり、姿勢を正す。


「この場にいる者を代表し、これまで数々の無礼な発言をしてしまったことを、深くお詫び申し上げます」

「構わん。お前たちの気持ちも分かるからな。気にすることはない」


 軽く手をかざしながらトラヴァロムは気さくに笑う。そして眼鏡の男も顔を上げ、小さく笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」

「うむ。話はこれで以上とする。それぞれ思うところはあるだろうが、細かい疑問の解消は後日に回す。何か異論のある者は?」


 トラヴァロムが周囲を見渡すと、貴族たちも顔を上げていた。数秒ほどの沈黙が流れたところで、この会議の締めに入る。


「では、これにて会議は終了だ。急な話に協力してくれたことを感謝する」


 そして各々が立ち上がり、会議室を後にしていく。大神官であるトラヴァロム、そして聖女であるアカリに一礼はしていた。

 しかしながら、貴族たちにおけるアカリへの視線は冷たかった。

 それはアカリも強く感じており、まるで金縛りにあったかのように身を硬直させ、背中を嫌な汗が伝ってゆく。

 やがて最後の貴族の一人が退出し、扉が閉められる。

 会議室の中に三人だけが残る形となっても、表情の強張りは直らなかった。


「――アカリ、大丈夫か?」


 ベルンハルトが優しく抱き寄せるように肩を掴むも、アカリの視線はテーブルに向けられたままだった。


「色々と言われてしまったが、気にするな。お前がよく頑張っていることは、俺もよく知っている。だから……」


 必死に愛する妻へと呼びかけるベルンハルト。その姿は、一人の夫としては美しいと言えるものかもしれない。

 だが――


「残念ながら、そうも言ってられん事態にはなっているぞ」


 黙って見過ごすわけにはいかない――そんな気持ちとともに、トラヴァロムは厳しい表情で言い放った。

 アカリもベルンハルトも、夫婦揃って目を見開き、視線を向けてくる。


「大神官様……急に何を……」

「今までのような考え方では到底足りんと、そう言っているのだ」


 いつかは言わなければならないかと思っていた。それだけアカリに対し、危うさの類を抱いていたのだ。

 まさか不安を抱いて程ない間に、その機会が訪れてしまうとは――ここまでの急展開はトラヴァロムも予想外ではあったが、いつまでも驚きや戸惑いに支配されているわけにもいかない。

 やらなければならないことはたくさんある。


「アカリよ。お前さんはヤミに対してどうしたいのだ? あの子の幸せを願っていたのではなかったのか?」

「そ、それは勿論でございます!」

「ならば何故あの時お前は、あの子が聖女になる方向で説得しようとしていた?」

「――え?」


 アカリは言葉を詰まらせる。食事会でのことを言っているのはすぐに分かった。しかしその返答が、喉の奥からなかなか出てこない。

 そんな困った表情を浮かべるアカリに対し、トラヴァロムは依然として厳しい表情を崩そうとしなかった。


「あの子が聖女にならないという考えは、前々から固まっていただろう。一度言い出したら聞かない性格なのは、もはや考えるまでもないはずだ」

「それは……」

「自分が責任を持ってなんとかしてみせるから、気にせず好きな道を進めと――そのように言うこともできたはず。むしろあの子を大切に想うのなら、率先してそう告げて然るべきだと、ワシは思うのだがな?」


 無論、トラヴァロムがそれを言うことも普通にできた。しかし彼はその役目を早々に放棄した。実の母親であるアカリが、すぐ傍に座っていたからだ。

 十五年間も娘を想い続けてきた――その証を見れることを期待していた。

 しかしその結果は、期待から大きく逸れてしまうものだった。トラヴァロムが殆ど最後まで口を挟まなかったのは、そんなアカリに対して失望に近い驚きを示していたというのもある。

 もっともトラヴァロムは、それをここで言うつもりはなかった。言ったところでどうにもならないことは明白だからだ。

 むしろ拗れてしまう可能性すらあるだろう。

 ここには彼女を全力で『守ろう』とする存在がいるのだから――


「お待ちください、大神官様!」


 アカリを庇うようにして、控えていた彼が前に出てきた。


「いくらなんでも今のは言い過ぎかと――」

「お前もお前だ、ベルンハルトよ!」


 そしてそんな彼に、トラヴァロムは容赦のない厳しい口調をぶつける。


「妻であるアカリを溺愛する――そんなお前の気持ちは、決して分からんでもない。だが甘やかすだけでは何もならん。時には厳しく突き放すように諭すのも、立派な愛の一つだと思うぞ?」

「……それは心得ておりますが」

「心得ているだけで実行に移さなければ、何もならんことぐらい分かるだろう? その騎士団長という肩書きが飾りなどでないことは、なによりもお前が一番よく知っているはずだぞ?」

「はい……勿論それは心得ております」


 ベルンハルトもまた項垂れる。他の騎士たちの前では、決して見せてはいけない姿そのものであった。

 しかしトラヴァロムに驚きはない。むしろ呆れとともにため息をついていた。


(全くコイツという男は……普段は立派な騎士団長をしとるくせに、アカリのことになると急に空回りしてくるから、なんとも困ったものだわい)


 それこそが、ベルンハルトの大きな弱点とも言えた。子供たちに対する不器用さと同等、もしくはそれ以上なほどに。

 この世に完璧な存在などいない以上、それ自体の存在はおかしくない。

 しかしそれでも、少しはなんとかならないものかと思いたくなる。

 ベルンハルトの人となりもまた、この十五年前から変化しているようでさほど変化していないのも確かだった。そしてそれを把握していながらも、なんやかんやで今日まで見過ごしてきた。

 それを自覚しているトラヴァロムもまた、ある意味では同罪だと思えてならず、心の中で情けなく思っているのだった。


「――この程度は、まだまだ序の口と言ったところだ」


 故にトラヴァロムもまた、己に対しての意味も込めて厳しく話す。


「もはや何がどう転がってもおかしくない。お前たちも覚悟しておくことだ」

「そんな……」

「これまで溜めた十五年分のツケを支払う時が来た――そう思えばいい」

「っ!」


 トラヴァロムの率直な言葉に、アカリもベルンハルトは押し黙ってしまった。

 これで少しは考え直してくれれば――そんな期待も含まれてはいたが、いささか遅過ぎたかもしれないという不安も浮かんでいた。

 今回の件はほんの『前座』――そう思えてならなかったからだ。


(どうも胸騒ぎがする……面倒なことが舞い降りたりしなければいいのだが……)


 その予測は、見事なまでに的中することとなる。今まさにこの瞬間、大聖堂の牢屋で動きが起きようとしていたのだった。


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