088 ヤミの処遇
「言われてみれば確かに……」
「パーティーのことを考えていて、すっかり失念していましたわね」
他の貴族たちも、そういえばと思い出したような反応を示す。それを見た眼鏡の男もまた、声を出して正解だったと密かに安堵する。
「折角この場に集まっているのですから、そこもしっかり考えるべきかと」
「うむ。それは間違いない」
トラヴァロムも頷いた。元より話すつもりではいたが、先に切り出してくれたおかげで多少の手間が省けた形であった。
「まだヤミ本人にちゃんと確認は取れていないが……恐らくあの子は、この大聖堂にずっと居座るつもりはないというのが、ワシ個人の見解だ」
その瞬間、アカリがわずかにピクッと身を硬直させた。ベルンハルトもそれに気づいたが、一瞥することしかできなかった。
「あの子は誰よりも『自由』を大切にしている。仮にワシらがあの子に追放を命じたとしても、否定するどころか喜んで受け入れてしまうだろう」
「……あり得る気がします」
最初に同意したのは、眼鏡の男だった。
「むしろ肩の荷が下りたとか言って、喜ぶ姿が目に浮かんできますよ」
「同感ですな」
「元から冒険者として、各地を放浪する生活を送っていたようですし、追われたとしても途方に暮れるようなことには、まずならないでしょうね」
「追い出す、という言葉はいささか穏やかには聞こえませんが……」
「そこは言葉の綾でしょう。当の彼女は、些細な問題としか見なさないのでは?」
貴族たちは試しに想像してみた。追放すると言い渡した際に見せるヤミの姿を。
一瞬、驚くぐらいのことはするだろう。しかしすぐさま笑顔を浮かべ、それを受け入れる姿が浮かんだ。
――おっけー、りょーかい♪ んじゃバイバーイ♪
そんな明るい笑顔とともに手を振って自ら去っていく姿が、何故か全員の脳内を同時に駆け巡っていた。流石に極端な気もしたが、それにしてはどうにもリアル過ぎて逆に怖くなってきてしまう。
眼鏡の男が苦々しい表情で目を閉じた。
「ただでさえ、現時点で彼女に思いっきり振り回されているというのに……」
食事会だけではない。そもそもヤミが聖女の試練を突破したこと自体が、既に周りを大いに振り回してしまっている。しかも当の本人には、何の悪気もないというのだから質が悪い。この数日で、ジェフリーなど若い貴族からの支持を集めてしまっているのだから尚更だった。
結局、想像の中でも振り回されるのかと――実に変なタイミングで、皆の思いが改めて一つになっていた。
「……むしろこの大聖堂に無理に留めさせるほうが、我々にとっても大変なことになりそうな気がします」
「それこそ何かと振り回される結果が、ありありと見えてますわね」
頭を抱える眼鏡の男の言葉に、貴族令嬢も苦笑する。
「とはいえ……ここはもう少しだけ慎重に考えたほうがよろしいかと思いますわ」
するとここで、貴族令嬢が切り出してきた。他の貴族たちが注目する中、令嬢は凛とした表情を浮かべる。
「私たちが何を言おうが、彼女自身は何も言わないでしょう。しかしその周りは、果たしてどう思うか……」
「うむ。ヤミはこの数日間で、大聖堂に多くの味方を作っているようだからな」
トラヴァロムもそこは言おうと思っていたところであった。
「若手騎士団の多くも、あの子の強さに一目置いているらしい。下手にワシらがあの子に何か言えば、少なからず影響が出るだろう」
「……確かにありそうですな。かくいう私の息子も、彼女の強さに惹かれているようなのですよ」
「私のところもだ。娘が密かに憧れていて、この一週間も心配している様子だった」
「ウチの倅も、騎士団の訓練に対し、より精を出すようになったようだ」
「そう考えてみると……我々も知らず知らずのうちに、彼女の存在に救われていたと言えるのかもしれませんな」
貴族たちの表情が、再び難しいものと化す。まとまりかけていた話が、改めて振り出しへと戻ってしまった気分であった。
「彼女を追い出すという方向性は……得策ではなさそうですな」
「うむ。犯罪を犯したというのであれば話は早かったが、そうではないからな」
「むしろ逆でしょう。大聖堂の若手たちにとって、彼女の存在は色々な意味で、いい刺激となってしまっている」
「皮肉とはこのことか……実に悩ましいことだ」
「私も別に、彼女の人となりそのものを否定するつもりはありませんわ」
「それは私も同感です。ただ立ち位置が厄介過ぎるというだけで」
「……そこが一番の問題ですわよね」
改めて貴族たちは、こぞって深いため息をついた。
別に、ヤミに対して恨みそのものはない。アカリの実の娘という点も、本来であれば気に留めるほどのものでもなかった。十数年ぶりに奇跡の再会を果たした――それを話題の種として利用する価値も、十分にあったことあろう。
しかし、彼女が起こした『奇跡』が、全てをひっくり返してしまった。
周りの予想どころか常識すらも、軽く飛び越えていく。
よりにもよって何故――そんな疑問を何度浮かべたことかと、この場にいる誰もが思っていた。
「正直なことを申し上げますと……」
だからこそ、貴族たちは言わずにはいられないこともあるのだった。
「これまで積み重ねてきた常識が打ち砕かれた……その衝撃が大きいのは、どうしても否めないものですね」
「……そうですな」
「確かに。私もそれについては同感としか言えませんわね」
貴族令嬢もため息をつき、そして顔を上げて発言を続ける。
「今更それを批判するつもりはございません。しかしながら、この例外過ぎる展開に整理をつけるのは、いささか難しいかと」
「例外、という言葉では、もはや片づけきれませんぞ」
「確かにな」
「これから更に文句を言う者も、増えてくるかもしれませんなぁ」
「誇り高き大聖堂の歴史に傷をつけられた……そう見なす者も出てくるでしょう」
「しかもそも原因が――」
次々と言葉が解き放たれ、貴族たちの視線は一方向に集中する。
未だ気まずそうな表情を浮かべまま、一言も発していない現聖女のほうへと。
「聖女様も、所詮は未熟な親に過ぎなかったようですな」
貴族の一人が失望を込めた口調で切り出す。
「再会した娘と関係の一つも取り戻せないとは……全く情けない話ですわい」
「――お言葉ですが!」
流石に黙っていられず、ベルンハルトは立ち上がりながら反論する。
「今の発言、少々お言葉が過ぎるかと思われますが!」
「大聖堂の評判がどうなろうが、聖女の評判がどうなろうが、正直知っちゃこっちゃない――確かにあの小娘はそう言っていた。それをどう説明してくれる?」
「っ!」
その問いかけは、ベルンハルトの反論を叩き落とすには、十分過ぎるものだった。自分もこの耳でしっかりと聞いていたのだから、反論のしようがない。すればするほど深みに嵌るだけなのは明らかだ。
すると他の重鎮たちも、こぞってわざとらしく、大きなため息をついてくる。
「今回ばかりは、全くもって否定のしようもない」
「ベルンハルト殿の責任も大きいと言える」
「聖女様を一筋に想うのは立派だが、如何せん甘い汁を吸わせ過ぎたようだ」
「もう一人のご息女も、十年後にはどうなっているやら……」
「これでは大聖堂の未来も、全く想像がつかないと言わざるを得ないな」
次から次へとため息交じりに放たれる、不満という名の文句。騎士団長と聖女に向けられた視線は、どこまでも冷たいものであった。
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