086 ヤミ、即答する
「そもそも聖女の試練とかなんて、あたし全然知らないもん! アマンダさんに案内されて洞窟に入ったら、たまたまああなっただけだし」
そう、全ては偶然。アマンダに騙されていたことも知らず、時間の感覚を失った状態で一週間も洞窟内で過ごし、聖なる魔力に選ばれた存在となった。
聖なる魔力の修業――その駆け出し部分だと思いきや、まさかの最終試練。流石にこればかりは夢にも思わなかった。予想すらできない事態を迎え、どう反応すればいいか分からないほどだった。
しかしそれでも、抱いている気持ちそのものは、何も変わっていない。
だからヤミは胸を張って断言できるのだ。
「あたしは絶対に『聖女』なんてものにはならないよ。誰が何と言おうとね!」
その言葉が発せられた瞬間、トラヴァロムの表情は苦々しいものと化す。
これが普通であれば叱ることができた。お前が望んで試練を突破し、聖女の資格を得たのだから、ちゃんとその務めを果たせ――と。
しかし――
(……まぁ、確かにヤミの言い分は、何一つ間違ってはおらぬな)
全てにおいて不可抗力。改めて冷静に物事を少し整理してみるだけで、普通ならばこのような結果になるなどあり得ないはずだった。
ヤミの特殊な体質が、不可能を可能にしてしまったのだ。
アマンダに対しても見通しが甘過ぎた。まさか初対面でいきなりけしかけるとは、流石に思ってもみなかった。
これは明らかに、周りにも大きな責任がある――それを自覚しているからこそ、トラヴァロムも強く言えない部分があった。
(これでヤミが『聖女』という存在に少しでも興味があれば、まだ話の軌道を修正できる可能性はあったのだが……)
その望みは、もはや限りなく薄いものだと思っていた。ヤミの人となりをそれなりに知っているトラヴァロムでさえ、殆ど諦めに等しい気持ちを抱いている。
だが、色々な意味でまだヤミのことを知らない『彼女』は――
「ね、ねぇ! 本当に聖女になるつもりはないのかしら?」
実の母親として、目の前に座る『娘』に対し、必死にそう呼びかけるのだった。
「聖なる魔力に選ばれるというのは、とても光栄なことなのよ? それを裏切るのもどうかとは思うし、不安なら私も全面的に協力するわ。だからここは、大聖堂の伝統に従う形で、私と同じように聖女を務めて――」
「勝手なこと言わないでよ。誰が好き好んでそんな窮屈なことするかっての!」
しかしヤミは、真正面からバッサリと切り崩すように言い放つ。実母の必死な呼びかけなど、まるで通じてなどいない。
これには流石のベルンハルトも目を見開いた。ラスターやレイも同じくであった。
ヤミもそこは気づいていたが、それでも迷いのない表情を変えることなく、そのまま続ける。
「あたしからすれば大聖堂の評判がどうなろうが、聖女の評判がどうなろうが、正直知っちゃこっちゃない話だからね」
「……ラスターとレイのことはいいのか?」
それを訪ねたのはトラヴァロムだった。ヤミがきょとんとしながら振り向くと、彼は厳しい表情を向けてきている。
「お前が好き勝手やればやるほど、この子たちの評判も下がり、迷惑をかけることにも繋がりかねんのだぞ?」
「うーん。まぁ、それはそれで申し訳ないなー、とは思わなくもないけどねぇ」
「ならば――」
「でも」
トラヴァロムが何か言いかけた瞬間、ヤミの言葉が遮る。今度はトラヴァロムが視線を向ける番だった。すると改めて気づいた。
ヤミが清々しくも強い笑顔を浮かべていることに――
「やっぱり一番に優先させたいのは、あたしが自由に動けるかどうかだから。それとこれとは話が別だよ。この子たちには悪いけど、それだけは譲れない」
「……そうか」
きっぱりと言い切ったヤミに、トラヴァロムも思わず苦笑してしまう。
「やはりヤミは、どこまで行ってもヤミだということか」
最初から予想はしていた。それでもわずかな可能性があるのではと思い、尋ねてみた結果がこれだ。
どこまでも期待を裏切らない少女――それがヤミなのだと思い知る。
こうなってはもう、何を言ったところで意味はない。トラヴァロムは改めて、覚悟を決めに入るのだった。
「分かった。流石にパーティーの開催を避けることはできんが、ヤミに不都合なことは起こさせないと約束しよう」
「――ホント?」
「あぁ。ここで無理強いをすれば、ワシもあのジジイに合わせる顔がないからな」
「やった♪ ありがとう、トムじい!」
「気にするな。ワシなりのケジメみたいなものだ」
満面の笑みで喜ぶヤミに、トラヴァロムもニッコリと微笑む。しかしこれで話がすべて終わったかと言われればそうでもない。
むしろ、ここから色々と詰めていかなければならないと言えていた。
改めて周囲に視線を向ける。
双子たちは安心したように笑っていたが、ベルンハルトやアカリ、そして他の貴族たちは、皆揃って苦々しい表情を浮かべていた。特にヤミが忖度することなく発言し始めてから、よりその空気の濃度は増したのは確かだった。
(もしもヤミが普通に聖女を目指し、この結果を得たのであれば――生き別れていた聖女の娘という点を、存分にアピールできたのだがな)
ふと、そんな妄想をしてしまう。しかしそれこそあり得ないものでしかない。
それはそれとして、もう一つ懸念事項がある。
(問題は……件のパーティーに、他国の王族や貴族を招待するという点だな)
ヤミに王族や貴族と渡り歩くような振る舞いができるか――それこそ考えるまでもないことだ。今しがたこの目で見た食事風景が、それを物語っている。今からどんなに訓練したところで、望む結果が得られないことは目に見えていた。
(そこらへんも含めた上で、これからこの者たちと話していかなければならんか)
ヤミとシルバ、そして双子たちを除いた緊急会合――その開催が、トラヴァロムの中で決定づけられた瞬間であった。
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