085 根底から覆されたもの



「くきゅっ♪」


 嬉しそうに膝の上に飛び乗ってきたシルバを、ヤミは両手で抱き上げた。


「おー、よしよし。シルバもいっぱい食べた?」

「くきゅきゅー」

「そっかそっか。良かったねー♪」


 ほんの数秒前まで展開されていたはずの凄まじさは、一体どこへ行ったのか。今はただ単に、小さな白い竜を愛でる優しい少女にしか見えない。

 本当に同一人物なのか。

 少し目を離した隙に別人と入れ替わったのではないかと、そう思えてしまうくらいに雰囲気が違う。これまでさんざん戸惑いや驚きを与えてきたというのに、ここにきてまた更なる戸惑いを与えてくる。

 どこまで周りを振り回せば気が済むのだと――誰かが呟いたような気がした。


「くきゅきゅ?」

「あたし? うん、しっかり食べたよー♪ 一週間ぶりのご飯だもん、エネルギーはしっかり付けとかないとねー」


 むしろ『しっかり』を完全に通り越しているのでは――そんな疑問が周りの心の中で飛び交うが、今はそこを追及したところで、殆ど意味を成さないことは目に見えていた。

 そもそも今はどういう場なのか――それを今一度、見直す必要があった。


「――さて。改めてこの場を借りて、少し話し合いたいと思う」


 トラヴァロムの重々しい口調が響き渡る。各々の反応を示していた貴族たちも、そしてアカリやベルンハルト、双子たちもまた姿勢を正し、表情を引き締める。

 ヤミとシルバもきょとんとした状態で注目する。少なくとも、何か大事な話をするんだろうなぁということだけは分かり、下手に口を挟むようなことはするまいと無意識に感じたのであった。


「経緯はどうあれ、ここにいるヤミが聖女の試練を突破したことは事実。それは聖なる光の柱が証明していることは、皆も承知だと思う」


 その言葉に若干名の顔がしかめられたが、実際そのとおりでもあることは分かっているため、表立っての反論はない。

 改めていい雰囲気とは言えなくなってきたが、トラヴァロムは構わず続ける。


「本来であれば現聖女アカリに代わり、ヤミが新たに聖女としての役割を引き継ぐという形を取るのだが……」

「えぇっ!?」


 ここでヤミが驚きの声を上げる。そしてテーブルを叩きつけるようにしながら、勢いよく立ち上がった。


「ちょっとトムじい! それって――」

「そう焦るな。まずは話を最後まで聞くが良い」

「むぅ……」


 やんわりとした笑顔で制してきたトラヴァロムに、ヤミは何も言えなくなる。そしてそのまま座り直したのを見て、彼は仕切り直すべく咳払いをした。


「――しかしながら、事態はそう簡単な話とも言えん。これもまた事実だ」


 トラヴァロムは改めて周囲をの様子を見る。ヤミとシルバは意味が分からずに首を傾げており、アカリとベルンハルト、そして他の貴族たちは、重々しい表情を浮かべていた。

 そんな大人たちの様子に双子たちは不安そうな様子を隠せていなかったが、こればかりは致し方ないと割り切るしかない。

 申し訳なさを覚えつつ、トラヴァロムは話を再開する。


「確かにヤミは聖なる試練を突破した――その途中過程を大幅にすっ飛ばす形でな」

「大神官様。失礼ながら一つ、発言させていただきたいのですが」


 スッと手を挙げたのは、眼鏡をかけた貴族の男だった。トラヴァロムは頷いて許可を示すと、男は眼鏡のブリッジを上げながら言う。


「これまでの経緯については、私どもも事前に聞いております。信じられないのが正直なところですが、聖なる光の柱が現れた以上、否定したくてもできません」


 男の言葉に、周りの貴族たちも頷いた。それ自体は予想していたため、トラヴァロムも冷静なままである。


「しかしながら――」


 ここで男の視線は、鋭い目とともにヤミに向けられた。


「聖女の修業に欠かせなかったはずの『淑女』についての修業――これを全て飛ばしているという点は、まさに前代未聞もいいところ。そもそも聖なる試練は、淑女とまるで関係がないということが証明された――そうは言えませんか?」

「確かに。大神官様の前で失礼かもしれませんが……私が今まで習ってきた歴史は何だったのかと、そう言いたくて仕方がありません」


 貴族令嬢もため息交じりに話す。その発言に関しては、無理もない話であった。


「聖女たるもの、淑女であることが基本中の基本――その教えが根底から覆されたと知って、どれだけの見習いシスターがショックを受けたことか。私とも昔から仲良くしている人も例外ではありません」

「……心中、お察しします」


 眼鏡の男の言葉に、貴族令嬢も頭を下げる。自分の発言はここまで、という意思表示であり、ここから再び彼が口を開く。


「彼女の言うことももっともですが、一番に懸念すべきことがございます」

「分かっている。聖女誕生お披露目会のことだろう?」

「えぇ」


 トラヴァロムと眼鏡の男の視線が交錯する。やはりこの話は避けて通れない――そんな無言のやり取りが交わされていた。

 一方、何のことだかさっぱりなヤミは、小声で隣に座るレイに話しかける。


「――おひろめかい?」

「うん。新しい聖女様が誕生した時に、必ず開かれるパーティーだよ」


 同じくひそひそ声でレイは答える。


「世界中から王族や貴族が集まってくるんだって。そこで新しい聖女様を紹介して、これからもよろしくお願いします、っていう挨拶をするみたい」

「へぇー。そんな凄いパーティーするんだ?」

「……いやいやお姉ちゃん、そんな他人事みたいに言ってる場合じゃないから」

「何で?」

「くきゅー?」


 ヤミとシルバが同時に首を傾げる。それを見たレイは苦い表情を浮かべ、その隣でずっと聞いていたラスターが、代わりに応えることにした。


「そのパーティーに、姉さんが新しい聖女として発表されるって言ってるの!」

「……えっ?」

「もしこのままそのパーティーに参加したら、姉さんはこの大聖堂で、母上に代わって聖女をしなければならなくなるんだよ」

「そうだよ! お姉ちゃんはホントにそれでいいの?」


 あくまで小声で話すラスターとレイ。しかしその様子は丸見えであり、アカリたち両親も、他の貴族たちも、そしてトラヴァロムも気づいていた。

 そして――


「いやいやいや! そんなの絶対イヤだし! 聖女なんてまっぴらごめんだよ!」


 ヤミはここで思いっきり、大きな声でそう言い放ってしまうのだった。


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