080 ずっとあなたは、そこにいた
果てしなく真っ白な空間にいた。
いつからここにいるのか。どうしてこうなったのか。そもそも今、自分は何をしているのか――もはやそんなことは、どうでもよくなっていた。
「…………」
目は開いていた。
寝ているようで寝ていない。意識はないようで意識はある。実に表現しがたい中途半端な状態の中を、ヤミはずっと漂っている。
時間の流れなど分からないし、考えてすらもいない。そもそも今、自分が座っているのか立っているのか――それすらも分からない。
しかしそんなことは、実に些細な問題でしかなかった。
何故なら彼女は一人ではなかった。
そう――知らないはずなのに知っている『それ』と、ずっと一緒だったからだ。
――ねぇ。
――ん?
――今更かもしれないけどさ。
――うん。
――あたしが『目覚めた時』からずっと、あんたはあたしの中にいたんだね?
ヤミが問いかけたその瞬間、確かに『それ』は息を飲んだ。
――どうしてそう思うの?
平然を装い、『それ』は問いかけてくる。
――なんとなくだよ。
無論、ヤミはその様子に気づいていたが、気にする素振りは見せない。揶揄うような真似をする気はなかった。むしろ可愛げがあって、微笑ましい気持ちしか沸き上がらないほどである。
まるでそう――ここ数日前から、ずっと感じてきた感情と同じように。
――それで? あたしの考えは当たってるの?
――ピンポーン、と言っておくよ。
――当たりでいいじゃん。
思わず苦笑しながらツッコミを入れてしまう。実に呑気な雰囲気であった。今、自分がどのような状態にいるのかも、全く分からないというのに。
しかしヤミは、それでも気にならなかった。
こうして話せていることが、実に心地良くて仕方がない。幾度となく話しては消えていく『それ』の正体が分かった今、もっとお近づきになりたいと、ヤミは割と本気で思っていた。
――それよりも、おめでとう。
急に声のトーンを変えつつ、『それ』は言ってきた。
――聖なる魔力を完全に使えるようになったね。
――そうなの?
――こうしてずっと一緒にいられたんだから、それが立派な証拠だよ。
――そんなもんかね。
――ふふふっ♪
正直、実感はなかった。最初は確かに、様々な違和感に振り回されていたような気はしていたが、それもいつしか気にならなくなっていた。
今ではもう何も考える必要すらない。
意識することなく意識することができるからだ。
どういう理屈なのかも、わざわざ考える必要はない。自分の中に答えがある――それが全てなのだから。
――聖なる魔力もすっごい喜んでるよ。むしろビックリしてる。
――なんか生きてるみたいだね。
――生きてるよ、ちゃんと。死んだら魔力は動かないもん。
――あ、それもそっか。
――そうそう。
まるで流れる川のように、周りを漂う空気のように、会話のやり取りが行われる。いつまでもこんな時間が続くのだろうと、そんな心地良さすら感じられる。
しかしそれは、まさに『気のせい』でしかなかった。
――楽しかったよ。ずっと一緒に居られて。
――なに? もう行っちゃうの?
――行くっていうか……あなたの中に戻るだけ、かな?
――あぁ、そゆこと。
――うん。
だからこそヤミは受け入れられる。何かが変わるわけでもない。そもそも最初からそこにいたのだから。
本当の意味で目覚めた――あの日から、ずっと。
――お別れとは、ちょっと違うかな。
――あたしの中にいるんだもんね。
――今はね。そのうち、あなたそのものになっちゃうかもしれないよ。
――むしろそのほうがいいんじゃない?
――だね。けど、もうちょっとだけ、一緒にいる形にさせてね。
――お好きにどーぞ。
ヤミは笑っていた。そして『それ』も笑顔だった。
真っ白な空間に穏やかな雰囲気。それが今、最後の時を迎えることを感じつつ、ヤミはしっかりと目を開き、『それ』を見上げる。
――じゃあね。
――うん、またね……おねえちゃん♪
明るい声が、耳の中を駆け抜けていく。自然とヤミの笑みも深まり、その言葉は無意識に紡ぎ出される。
「またね……ルーチェ」
その瞬間、視界が真っ白に染まっていった――
◇ ◇ ◇
「あれは、まさかそんなことが……」
眩く光る『アマノイワト』の姿に、トラヴァロムは目を疑う思いだった。
いつも冷静な彼でさえ、冷や汗を垂らして顔をしかめている。それほどまでにあり得ない光景であることを意味しているのだった。
「大神官様!」
「おぉ、アカリ。それにみんなも一緒か!」
慌てて駆けつけてきたアカリたちの目的は、もはや考えるまでもない。視線は自ずとそこに向けられる。
「あれは『アマノイワト』から発せられた光だ。あそこで何かが起こっておる」
「でも、一体何が……」
「あんな光、わたし初めて見たよ」
「くきゅー?」
驚きの声を出すラスターとレイに、シルバが首を傾げる。それに反応したのは、二人の父親であるベルンハルトであった。
「そういえばお前たちは、あの光景を見るのは初めてだったか」
「うむ。あれが光る姿を見せたのは、十数年前のアカリの時以来だからな」
「それって……まさか?」
アカリの反応に、トラヴァロムは重々しく頷く。
「聖女としての最終試練……それこそが、あの『アマノイワト』と聖なる魔力で一つになることだ。あれが光るときが、試練を突破した証なのだが……」
「つまり、誰かがあそこで試練を受けていた、ということになりますね?」
「そうなるな」
ベルンハルトの問いかけに頷きつつ、トラヴァロムの視線は、アカリたちに同行してきたアマンダに向けられる。
アカリたちもまた、どういうことだと言わんばかりに疑いの視線を向けていた。
「あ、あり得ませんっ!」
視線に耐えかねたのか、アマンダが感情を剥き出して叫ぶ。
「誰かがあそこにいるなどあり得ません! これはきっと何かの間違いです!」
「まぁ……ワシもそう言いたい気持ちではあるが……」
どこから指摘していこうか迷い、トラヴァロムが困り果てた表情を浮かべていた、その時――光が天を貫いた。
「な、なんだ!?」
思わずアカリを抱き寄せ、ベルンハルトは叫ぶ。双子たちも身を寄せながら、その現象を見上げていた。
天に伸びる光――それはまるで柱のようであった。
「こんなに強い現象は初めて見るが……何にせよ、近くで見るほかあるまい!」
言い終わる前にトラヴァロムが動き出す。アカリたちもそれに続いた。
あそこに何かがある。不思議と悪い予感はしないが、とんでもない何かが起きているような気がしてならない。
矛盾しているようで微妙に違う、そんな気持ちを沸き上がらせつつ辿り着く。
そこには――
「なっ!?」
トラヴァロムは目を疑った。アカリやベルンハルト、そして双子たちやアマンダも同じくであった。
そして――
「くきゅーっ♪」
シルバだけが、喜びの表情を浮かべていた。そこにいたのは、まさにこの一週間、待ち望んでいた少女の姿だったからだ。
光の柱――その中央で、まるで水面を漂うように浮かび上がっていた。
「ね、姉さん……」
ラスターの呟きが、風に乗って流れてゆく。
凄まじい聖なる魔力の影響なのか、彼女の服はボロボロと化しており、傷痕だらけの肌が、剥き出しとなっていた。
しかしながら、それは決して痛々しいものには見えない。
むしろそれすらも神々しい姿であると、何故かそう思えてならなかった。
「お姉ちゃんだ……」
「くきゅきゅ、くきゅーっ♪」
唖然とするレイの周りを、シルバが嬉しそうに飛び回る。光の柱については、正直どうでもよかった。愛する母親のような存在が、ようやく目の前に現れ、再会を果たしたのだから。
「――ウソよ。こんなの……こんなのあり得ない!」
そしてそんな中、アマンダは一人、声を震わせていた。
「あんな野蛮人が聖女の試練を――そんなの、私は絶対に信じないわっ!」
アマンダの叫びに反応するかの如く、ヤミは薄っすらと目を開ける。
そして小さく、不敵に笑ってみせるのだった。
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