079 深まる疑惑



「あ、あり得ない……そんなの、きっと何かの間違いだわ!」


 震える声でアカリが必死に呼びかける。しかしそれに対して、アマンダが目を閉じながら、力なく首を左右に振った。


「残念ながら聖女様、それが現実です」

「けど!」

「聖女様がお生みになられたご息女ですからね。信じたい気持ちは分かります」


 アカリに気を遣っていることを言っているつもりなのだろうが、その表情や口調はどこまでも淡々としており、お世辞にも感情が込められているとは言えない。

 否――感情を込める価値すらないと、そう言わんばかりであった。


「私が修練場へ案内する途中、彼女は『アマノイワト』を発見してしまい、どうしても見てみたいと言って聞かなかったので、仕方がなく立ち寄りました。そこで一応の解説はしましたが、まだ何かあるかもしれないと言って、私の言葉も聞かずにその場から動こうともしなかったのです」

「それで……お姉ちゃんをその場に置いて立ち去ったんでしょ?」

「私も暇ではありませんから」


 憎しみさえ込められているような低い声で問いかけるレイだったが、アマンダは涼しい態度を崩さない。


「それから私も自分の用を終え、数時間後に戻りましたが、彼女はもうその場にはいませんでした。流石に私も慌てて探しましたが、どこにも姿は見当たらず……聖女様の元へも帰った様子はありませんでした」

「だから姉さんは、そのまま大聖堂を出たと?」

「えぇ。そう考えるのが一番自然だと、私は思っております」

「シルバを置いて?」

「それも大方、ラスター様やレイ様に懐いておられる姿を見て、もう自分の居場所はないと悟ったのでしょうね」


 ラスターの問いかけに対しても、やはりアマンダは淡々と答えるばかりだった。むしろ口調には、少々の苛立ちも込められており、傍から見ればそれは、ヤミに対する失望であると見受けられる。


「哀れなものです。偉大なる聖女様の娘だと知って、我が物顔で大神官様や聖女様に馴れ馴れしい態度を取ったバチが当たり、それを受け止められずにこっそりと大聖堂から逃げた……つまりはそんなところですよ」

「あり得ません!」


 重々しく語るアマンダを、レイが一刀両断するような勢いで叫ぶ。


「お姉ちゃんは逃げ出すような弱虫じゃありません! ましてやシルバを置いて一人でこっそりとだなんて――勝手なことを言わないでください!」

「ならば、他にどんな可能性があると?」

「え、それは……」


 何も思い浮かばず、レイは言葉を詰まらせてしまう。それに対してアマンダは、ひっそりと小さなため息をついた。


「昨日今日の話ならともかく、もう彼女は一週間も姿を消しているんです。こんなにも音沙汰がないとなれば、逃げだしたと考えるのが自然ですよ」

「けど!」

「――認めたくない気持ちは分かります。しかしそれが現実なのです。あなたも偉大なる聖女様の娘ならば、どうかそれを乗り越えてください」


 その諭すような物言いに、レイは何も反論できない。アマンダの言っていること自体は正しいように聞こえるからだ。

 しかしそれで納得できるかというと、話は別であった。

 そしてそれは、双子の兄も同じであった。


「姉さんが『アマノイワト』の中にいる可能性は?」


 シルバを優しく抱きかかえながら、今度はラスターが問いかける。


「最後に姉さんを見たのはそこなんでしょ? だったら……」

「あり得ません」


 しかしアマンダは、これまたきっぱりと否定する。


「あそこがどのような場所なのか――それを考えれば、答えは明らかでしょう」

「……えぇ。こればかりは、アマンダの言うとおりだと思うわ」


 ここでまさかの母親が同意する姿勢に、双子たちは揃って目を見開く。

 どうしてデタラメしか言わないこの女の味方をするのか――そんな無言の問いかけに対し、アカリも納得したくないという苦々しい表情を浮かべる。


「ラスター、レイ。あなたたちも『アマノイワト』が厳重に封印されていることは、よく知っているでしょう?」

「……封印魔法と拘束魔法を組み合わせた、極めて特殊な魔法で」

「それを解除するには、聖女の修業を乗り越えた人だけが伝えられる、秘密の魔法でなければならない」


 ラスターに続き、レイも忌々しそうな態度を隠そうともせず、アマンダとアカリを睨みつけながら見上げる。

 子供たちなりのささやかな抵抗のつもりだった。

 しかし――


「はい、そのとおりでございます! 流石は聖女様の御子様方ですね。よくお勉強なされておりますこと」


 アマンダは嬉しそうに拍手をしてきた。二人の皮肉はまるで通じていない。


「お二人が答えられたように、あの『アマノイワト』の中へ入るのは不可能です。それこそ封印魔法と拘束魔法――この二つを問答無用で破壊してしまうほどの、デタラメな特殊能力でもない限りは」

「だから……姉さんがあの中にいるのはあり得ないと」

「理解していただけたようですね。本当になによりなことです」


 どこまでも誇らしげに言い放つアマンダ。しかし双子たちは何も答えられず、押し黙るしかなかった。

 言い返せる材料が何もない。彼女の言うことは何もかもがもっともだった。


「アカリ、大丈夫か?」

「え、えぇ……」


 後ろから肩を支えてきたベルンハルトに、アカリはようやく、自分が体を震わせていることに気づく。

 信じたくはなかった。十五年ぶりに再会できた娘が、挨拶もなく姿を消したなど。

 しかし、それ以外に考えられる要素がないのも、また確かではあった。

 この一週間、全く音沙汰がない――それに対して周りも、何一つとして事態を把握できていないという事実が、自然と言葉を詰まらせる。

 執務室の空気は重くなる一方であった。

 並行して皆の表情が沈んでゆく中、一人だけ――顔を背けながら、ほくそ笑む人物がいたのだった。


(ふふっ♪ どうやら論破はできたみたいね)


 ニヤリと笑みを浮かべるそのシスターに気づく者は、誰一人としていない。そこもちゃんと計算していない彼女ではなかった。


(この双子たちも、相当なまでにあの野蛮人に入れ込んでいた様子。ならばこの一件をもって、大聖堂に見切りをつける可能性が高い。そうなれば……ふふっ♪)


 全ては自分の目論見どおり。後は自然と事態が動いてくれるだろう。そうなれば、今度こそ大手を振って、聖女に進言できるというものだ。

 私を聖女様の娘にしてください――と。

 そんな輝かしい光景が、アマンダの脳内で鮮明に映し出されていた。

 もはやこれは決定と化したも同然。早くその時が来ないかと、今から待ち遠しくて仕方がない。


(あの野蛮人がどうなったのかは、正直全く分からない……けどまぁ、いなくなった人を気にしたところで、意味の欠片もないわ)


 なんだかよく分からないけど、邪魔者が消えてくれて清々する――それがヤミに対する、アマンダの率直な感想であった。

 聖女アカリが、ヤミのことをどう思うかなど、全くもって興味がない。

 過ぎた話よりも未来を見据えるほうが有意義ではないか、と。

 そんなことを気分よく考えていた――その時だった。


「――くきゅっ!」

「シルバ? どうし……えっ?」


 鳴き声に反応したレイも、その『異変』に気づいた。他の皆も、その声に疑問を抱きながら視線を向け、やがてそれを目にする。


 神々しく光り出す――『アマノイワト』の姿を。


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