077 双子たちの親として
それから、数日の時が過ぎた――
ヤミに関する音沙汰はなく、彼女がどうしているのかを知る方法は、現時点では皆無に等しかった。あくまで魔力の基礎訓練だと言われているが、それでもぱったりと姿も声も連絡も途絶えてしまうとなれば、流石に不安を覚えずにはいられない。
「――アカリ、入るぞ」
不意に聞こえたその声に、アカリの目が見開かれる。
「ベルンハルト……訓練はどうしたんですか?」
「少し任せてきた。お前たちの様子が気になったからな」
ソファーに腰掛けるベルンハルトに、アカリは頬を軽く染める。
「もう……相変わらず過保護が過ぎますよ」
「夫が妻を心配するのは、至って当然のことだろう?」
「私は大丈夫だと言ってるんです。子供たちにも顔を出してあげてくださいな」
ため息交じりにアカリがそう言った瞬間、ベルンハルトの笑みに陰りが宿る。
「……子供たちのところへは、先に顔を出してきた」
「そうなんですか?」
「あぁ、ヤミ君が修業に出て早数日……色々と大変だろうと思ってな」
「そうですね……」
夫がどこか力のない笑みを浮かべているのが気になったが、それよりも気にかけなければならないことは、アカリの中では多かった。
「シルバも毎日、とても寂しそうにしていますから」
ヤミから頼まれた小さな白い竜を、ラスターとレイは、毎日どちらかが必ず付いて面倒を見ていた。今は自分たちが、兄と姉として務めを果たさなければと、かなりの気合いを入れていた。
しかし程なくして、シルバの表情から笑顔が消えた。
その原因は考えるまでもない。多少なり寂しがる可能性は考えていたが、まさかヤミが何日も帰ってこないとは思わなかった。
自然と双子たちにも、大きな重しがのしかかる羽目となった。
務めを果たそうとする気持ちは今でも変わらないが、二人はまだ八歳の子供だ。いくら力を合わせて頑張ったとしても、やはり訪れる限界には勝てない。
親として、そのことを気づかないわけがなかった。
「実はさっき、見習い騎士のキャロルから言われたんだ。レイはもう、かなり限界が近づいているようだとな」
「……私のところにも昨日、フィン君が頼み込んできました。ラスターが今にも倒れそうだから、なんとかしてやってほしいと」
普段はちょっかいばかりかけていたラスターも、今回ばかりは気を遣い、不器用に励まそうとしていたのだ。そしてキャロルも訓練の合間を縫って、双子たちと話す時間を設けるなど、気にかける姿が目撃されている。
アカリもベルンハルトも、それ自体はとてもありがたいと思っていた。
しかしその一方で、思うこともあった。
「少しでも溜め込んだものを吐き出してくれればと思って、あの子たちの元へ顔を出してみたんだが……母上を励ましてあげてと、追い返されてしまったよ」
「全くあの子たちは、余計な心配を……」
軽く憤慨する様子を見せるアカリだったが、ベルンハルトは苦笑を浮かべる。
「だが、正解だったと俺は思う。この部屋に入った瞬間、アカリも割と酷い顔をしていたからな」
「……そうでしたか?」
「あぁ」
そしてその気持ちも、ベルンハルトは夫として、分からなくはなかった。
十五年ぶりに再会した実の娘を、アカリはとても気にかけている。この数日の状況を考えれば、子供たち以上に心配することは目に見えており、実際そのとおりになったことは間違いない。
「シスターのアマンダからは、なんて聞いたんだ?」
「泊まり込みで修業をしているとだけ……詳細は伏せられました。下手に接触して、邪魔をしてはいけないとも」
「ふむ……まぁ、妥当ではあるな」
しかしその結果、アカリは倒れそうなほど心配している。子供たちの前で堂々とその様子を見せていないのは、母としての意地のようなものだった。
もっとも、それが当の子供たちに筒抜けなのも、また確かではあるのだが。
「……それにしても、ヤミ君は凄いな」
独り言のようにベルンハルトは切り出した。
「彼女が少し留守にするだけで、ここまで家の雰囲気が変わってしまうとは……それだけとても大きな存在だということが、改めて思い知らされたよ」
少しでも元気づけようと、ラスターとレイの元へ訪れた時のことを思い出す。
ボクたちはいいから母上を慰めて――そう言ってきたラスターの目に、期待という名の光は宿っていなかった。
ベルンハルトは嫌でも気づいてしまう。
双子たちはこう思っていたのだ。今の両親――特に母親は当てにならないと。
父親も母親を宥めるので精いっぱいなのだろうから、今は兄妹でシルバを励ましながら持ち堪えるしかない――そう思っているのだと。
それを口で言ってきたわけではない。むしろ何も言ってこなかったほうだ。
しかし分かる。無暗に聞いたところで藪蛇にしかならないと、理屈抜きに確信してしまうほどに。
だからこそベルンハルトは、軽い苛立ちを覚えたのだった。
「あの子たちにとって俺は……一体何なのだろうな?」
自分はあの子たちの父親だというのに、何の期待もされていないというのか。何年も親子として暮らしてきた父より、出会って数日しか経っていない義理の姉のほうが大事だというのか、と。
そう考えれば考えるほど、その怒りは疑惑と化してくるのだった。
「俺はずっと、やるべきことを全力で取り込んできた。騎士団長の仕事を全うし、夫としてアカリを支え、愛してきた」
「……はい。それは私がよく知っています。間違いありませんよ」
「だが」
ベルンハルトは、意識して声を強めてきた。
「父親としてはどうだろうかと……俺は今になって思う」
しみじみと語るその口調は、彼の心からの言葉であると、アカリは感じ取った。軽く茫然とする中、ベルンハルトは続ける。
「ラスターとレイは、俺の大切な子たちだ。無論、ルーチェのことだって、今でも大切な娘として、俺の心の中でちゃんと生き続けている」
「はい。それも承知しています」
「しかし――」
ベルンハルトは膝の上で、ギュッと拳を握り締めた。
「それはあくまで、単なる俺の独りよがりに過ぎなかったのかもしれん」
「そんな……急に何を言い出すんですか!」
流石に聞き捨てならなかったらしく、アカリが声を上げる。
「あなたがあの子たちを大切に思っているのは、事実ではありませんか!」
「それも伝わらなければ、何の意味も成さないと言ってるんだ」
必死に投げかけてくる妻の言葉を、ベルンハルトは両断するかの如く言い放つ。そして再び、自虐的な笑みを浮かべるのだった。
「もしかしたら俺は、あの子たちの心を蔑ろにし続けてきたのかもしれんな」
「蔑ろだなんて、そんなこと……」
「あるさ。口ではどれだけ達者なことを言っても、結局は騎士団長としての仕事と、アカリのことを最優先で動いてきた――その結果がこの有様だ」
彼の言いたいことは、アカリとしても分からなくはないし、嬉しくも思う。だからこそアカリは、言っておきたいことがあった。
「でも、あなたの立場は、とても大きいです。だから……」
「致し方なかったと? そんな言い訳で済ませてしまおうものなら、それこそ騎士団長の名に傷がついてしまう。無論、聖女アカリの夫としても、そして……ラスターとレイの父親としても」
しかしベルンハルトは譲らない。そしてそれに対して、アカリは何も言い返すことができない。
何故なら正論だからだ。
なによりこの間、自分も同じようなことを考えていたからこそ、尚更だった。
仕事が忙しかったとか、子供たちを信じていたとか――そんなものは、何の言い訳にもならないと。
「アカリ……俺たちもいい加減、自分の足で動き出すべきなのかもしれん」
ここでようやく、ベルンハルトの声に力が戻ってくる。その表情には、いつもの力強い笑みが宿っていた。
「あの子たちはあの子たちなりに道を見つけた。俺たちにその決意を話すことで、それに向けての一歩を踏み出したんだ。なのに肝心の親である俺たちが、目を背けるような真似をしてどうする?」
「ベルンハルト……はい、確かにそうですね」
頷いて見せるアカリの目にも、ようやく光が戻ってきた。
「あの子も今頃、きっと頑張っている。私がうずくまっていたら、母親として申し訳が立ちません」
「あぁ、そうだな」
ベルンハルトは頷きつつ、心の中で改めて決意した。自分たちもこれからは、親としての責務を見直していかなければならないと。
そのことについて、改めて妻とちゃんと話さなければならないと。
それを教えてくれた『ヤミ』という存在に、改めて感謝しなければならないと。
「ならまずは、俺たち二人で子供たちのところへ行こう」
「えぇ! 今更かもしれないけど、少しでも苦しみを取り除いてあげたいです」
夫婦は立ち上がり、気合いを込めた表情で動き出す。
そんな両親の姿に子供たちが呆気に取られ、違う意味で心配してくるのは――それからほんの数分後の話であった。
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