072 受け止めるべき評価と懸念



「――誠に申し訳ございません」


 背中を向けるトラヴァロムに、アカリが深々と頭を下げる。


「娘の軽率な発言で、大きな騒ぎを起こしてしまいました」

「まぁ、そう気にすることもあるまい」


 トラヴァロムは気さくに笑いながら振り向く。


「ヤミがアカリの娘であることは、いずれ発覚していたことだ。明日にでも、ワシから正式に通達しよう。異世界転移によって引き離された母親と娘が、偶然に偶然が重なる形で再会を果たしたとな」


 そしてアカリの隣で、同じように頭を下げている男に視線を向ける。


「ベルンハルトよ。騎士団のほうは、お前に任せるぞ」

「はい。既にジェフリーが、指導官として見習いたちに説明の場を設けています。恐らく明日には、落ち着いていることでしょう」

「うむ」


 トラヴァロムは満足そうに頷き、そして再度、優しい視線をアカリに向けた。


「今回ばかりは、ヤミのことをあまりうるさく言ってやるな。娘が母を『母』と呼んだまで。違反めいた何かをしたわけでもあるまい」

「ですが……」

「そんなことよりも、あの子が見せた『凄さ』を認識するべきだろう」


 サラリと話題を切り替えてしまうトラヴァロムに、アカリは戸惑いを浮かべる。納得こそしきれていないが、大神官を相手にごねることもできず、ここはなんとか飲み込むしかない。

 そんなアカリの肩に、ベルンハルトが苦笑しながら手を置く姿を見つつ、トラヴァロムは話を続ける。


「お前さんたち母娘の関係が知られたのは、ヤミが若手騎士たちと打ち解けてからだということだったな? つまりそれまでのあの子は、ただのしがない冒険者としか見られておらんかったということだ」


 双子たちがヤミを『姉』と称していたとはいえ、そこから血の繋がりまでを想定したかというと、怪しいところである。

 世の中には血縁とは関係なく、兄妹と名乗りあう者たちはたくさんいるのだ。

 それこそまさに、ヤミと『弟分』の関係に当てはまるように――


「聖女の娘とかどうとか、そんな肩書きは一切関係なく、一人の『ヤミ』として、我が大聖堂の若手騎士たちと絆を深めたのだ。それもたった一日でな」

「確かに……簡単にできることではありませんね」


 ベルンハルトも、その点は素直に認めざるを得ないと思った。それをこなしてしまう時点で、明らかに凄過ぎる。騎士団長である自分でも不可能だろうと、心からそう思えてしまうほどに。

 それを可能にしてしまうだけの力が、ヤミの中にあるとするならば――


「幾多の修羅場を潜り抜けてきたからこそ、ということでしょうか」

「そうだな。そしてその結果、今のあの子がおる。アカリよ――お前さんがあの子の母親でありたいのならば、まずはそれを真正面から受け止めてやることだ」

「……はい」


 重々しくアカリが頷きを返す。しかしその表情は複雑そうであった。


「アカリ、そう気を重くするな」


 そんな愛しい妻の肩に、ベルンハルトが優しく手を置いた。


「形はどうあれ、彼女はお前を『母』と称した。これは大きな第一歩じゃないか」

「ベルンハルト……」

「お前は彼女の母なのだろう? この一歩を胸に、前に進めばいいさ」

「――そうですね」


 ここでアカリも、ようやく笑みを浮かべる。


「あの子との時間を取り戻すためにも、頑張ってみせます!」

「その意気だ。俺もさして協力はできないと思うが、応援はするよ」

「えぇ。ありがとうございます、ベルンハルト」


 見つめ合いながら笑みを浮かべるおしどり夫婦。それはそれで微笑ましい光景ではあるのだが、トラヴァロムの表情は依然として厳しいままだった。


(確かにそれは、大きな一歩かもしれん……だがそれは、大きな懸念でもある)


 トラヴァロムは目を細くし、アカリを見据える。


(今回、ヤミはアカリとの関係を、あっさりと明かしてしまった。わだかまりが解けたと見えるかもしれんが……実際は『それ以前』だ)


 アカリを『母』と呼んだことに対して、ヤミは特に意識などしていない。強がりなどではなく、本当にそれ以上でもそれ以下でもないのだ。そういう存在だから、そう呼んだまでのこと。

 あの場で呼んだのも、たまたまアカリがあの場に訪れたからだ。

 他の細かい理由は一切ない。あの場での発言が、周りにどのような影響を及ぼすかなど、ヤミは全くと言っていいほど考えていないだろう。


(自分を生んだ者であり、特に恨みもないため、呼ばない理由がない……それ自体は恐らく、あの子の本音そのものだろう。しかし……)


 あくまで『それだけ』だとするならば、これをプラスと呼ぶには足りない。

 ヤミ本来の性格として、周りを一切気にしないというのはあるだろう。しかしそれでも、大切に思う人への気遣う心はちゃんと備わっている。

 それ自体はトラヴァロムも把握しており、ヤミに対する評価の一つでもある。

 だからこそ認識せざるを得ない。

 その対象には間違いなく、アカリという存在はいないということを。


(ヤミにとってアカリは、あくまで『血の繋がった赤の他人』に過ぎん。アカリは恐らくその部分に、まだ気づいてはおらんだろう)


 トラヴァロムの視線の先では、ベルンハルトに励まされながら涙を流す、一人の母の姿であった。

 それをどうしても、素直に喜ぶことができない。

 否――喜ばしくは思うが、それ以上の懸念が押し寄せてきており、どうしても気にせずにはいられない。


(アカリよ……お主は本当に分かっておるのか? 今回は大きな一歩を得られたかもしれんが、それと同じ一歩を、今後も踏み続けられるとは限らんことを、ちゃんと考えていればいいのだが……)


 心の底から願いつつも、トラヴァロムは不安を感じずにはいられなかった――


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