068 アカリ、大神官と話す



「――して、どうだった?」


 翌日の午後――アカリはトラヴァロムと二人で話していた。

 仕事が早めに終わった彼女を誘い、傾く太陽の光に照らされた本堂のステンドグラスを見上げながら、彼はどこかワクワクしたような笑みを浮かべている。


「十五年ぶりの再会は、さぞかし色々とあっただろう?」

「えぇ。正直申し上げますと、かなり……」

「だろうな」


 それでもある程度は予測していたのだろう。トラヴァロムの表情に、驚きの類は全く出ていなかった。


「ワシもあの子の経緯を聞いた時は、それはもう驚いたものよ。しかしそれ以上に、あの子に纏う力強さには、目を見張るものがあった。久々に顔を合わせたが、それは更に洗練されておるようだった」


 目を閉じて懐かしそうに頷くトラヴァロム。それ自体はアカリも同意であった。悲惨な幼少期だったにもかかわらず、こんなにも元気な姿が見れたのは、まさに奇跡というほかはないだろうと。

 しかし――


「……大神官様は、あの子の『食欲』をご存じだったのでしょうか?」

「無論だとも」

「ですよね」


 しれっと放たれた返事に、アカリはため息をつく。それだけで何があったのか、トラヴァロムもなんとなく想像がついてしまい、思わず笑みが零れる。


「あの子の『アレ』を目の当たりにしたようだな」

「はい……まさかあんなに食べるとは……」


 昨晩の夕食のことだった。ラスターから真剣な表情で言われてはいたが、楽観視をしていたのだった。そこまで深く考えることもないだろうと。

 甘かった。

 まさに息子の言うとおりだったと、アカリもベルンハルトも思い知らされた。

 遠慮しなくていい――アカリは笑顔でそう告げた。社交辞令ではなく、本当にそうして欲しいからそう言ったのだ。

 それが決定的な引き金となったことは、恐らく間違いない。


「屋敷のメイドやコックが悲鳴を上げてました。いつもの三倍から五倍の量を、いきなり総出で作らされたのですから、無理もありませんよ」


 夕食だけで済まないのが、まさにヤミクオリティーと言うべきだろう。翌日――すなわち今朝の食事も、ヤミは手加減をしなかった。

 双子たちが改めて念を押した結果、昨日ほどの惨事は控えることはできたものの、やはり使用人たちの疲労は色々な意味で計り知れない。流石のベルンハルトも苦々しい表情を隠しきれないほどであった。


「はぁ……本当にあの子ときたら……」


 それを改めて思い出したアカリは、再度大きなため息をつく。


「育った環境を聞いて、それなりの予感はしていました。けれどあれは流石に……」

「淑女らしさの欠片もなかった、ということだな?」

「……母として、恥ずかしい限りです」

「気にすることはあるまい」


 トラヴァロムは気さくに笑う。その表情に軽蔑の節は見られず、むしろ可愛い孫娘に対する接し方そのものとすら言えていた。


「むしろあのジジイが育てた割には、かなり礼儀正しいほうだわい」

「そ、そうでしょうか?」

「うむ。お前さんも聞いただろう? あの子がワシに問いかけたではないか」


 戸惑うアカリに、トラヴァロムはフッと笑って見せる。


「まさかあの子の口から、『大神官様と呼んだほうがいいですか?』などと、敬語を聞く日が来ようとはな。思わず笑ってしまったわい」

「……普通だと思いますが」

「いやいや。あの子にかしこまる態度など、似合わんにもほどがある。ヤミの前では立場などあってないものと化す――お前さんもそれを、これからたくさん味わうことになるだろう」

「は、はぁ……」

「そんなことよりもだ」


 トラヴァロムは強引に話を切り替える。アカリが納得しきれていないのは明らかであったが、それよりも気にかけるべきことは他にあった。


「ラスターとレイが、随分とあの子に懐いておるようだな」

「はい。それは本当に良かったと思います」


 アカリの表情に笑みが宿る。その件については、心から嬉しく思っていた。


「生き別れた姉に出会って、打ち解けて……そのおかげでラスターが、自分で進むべき道を見つけるとは、正直思ってもみませんでした」

「ベルンハルトも驚いておったか?」

「はい……けれどすぐに、とても喜んでいる様子でもありました」

「そうか」


 トラヴァロムも笑みを浮かべて頷く。そして自然と目を閉じ、回想する。


(アイツも前から、父としての自分に対して、悩んでおったようだからの)


 数年前、たまたまベルンハルトと酒を酌み交わす時があった。

 そこで彼は珍しく酒が進み、大神官であるトラヴァロムに対して、初めてとも言える愚痴を零したのだった。

 騎士団長や聖女という肩書きは、我が子を苦しめる枷でしかないのかもしれない。どんなに理屈を述べようと、自分たちの理想を押し付けてしまっている――そんな自分が腹立たしくて仕方がないと。


(好きな道を歩んでほしい。けれどこの大聖堂では、それもまた難しい、か……)


 誰かがあの子たちを外に連れ出してくれれば――ベルンハルトは真っ赤な顔で、そんなことを話していた。

 完全に酔った上での言動だった。

 しかしそれ故に、その言葉は心からの本音そのものであったのだ。


(まさかその人物がヤミになるとはな。分からんもんだわい)


 世間は狭いと言うべきか、それとも運命と称するのか――恐らくレイもまた、考えを巡らせている。

 トラヴァロムは心の奥底で、そんな期待をかけていた。

 二人の表情を見てすぐに気づいた。新しくできた姉に感化されていると。


(まぁ、それもまた一興であろう。子供たちの未来は無限だからな)


 大神官として、未来ある存在を大切にしたい。立場上、口に出して言うことは殆どできないが、心の中で願っていることは、それはもうたくさんある。

 特にラスターとレイは、祖父としての感情も抱いているからこそ、尚更だった。

 それこそ決して口に出して言うことはないが。


「――アカリ! ここにいたのか!」


 本堂のドアが開けられると同時に、ベルンハルトの声が響き渡る。そして中へ入ったその瞬間、彼は目を見開く。


「大神官様――申し訳ございません、お話し中でしたか」

「構わんよ。ただの雑談だ。それよりも、何かあったのではないか?」

「はぁ、その……」


 尋ねられたベルンハルトは、困った様子で視線を動かす。知らせを持ってきたことは確実なのだろうが、危急というわけでもなさそうだと感じられた。


「アカリ、ヤミ君は今日一日、どのように過ごすと言っていた?」

「え? ラスターたちに大聖堂を案内してもらうって、朝食後すぐに出ましたけど」

「そうだったよな、うん。やはり俺の記憶に、間違いはなかったようだ」


 ベルンハルトは一人で納得している。流石に意味が分からず、アカリもトラヴァロムも首を傾げることしかできない。


「どうしたの? あの子たちに何か?」

「……とりあえず、訓練場に来てもらえないか? 実際に見てもらうのが一番早い」


 夫からそう言われたアカリは、トラヴァロムに視線を向けると、彼もまた無言のまま頷きを返す。

 行ってくるが良い――そういう意味だと判断できた。

 改めて、夫婦は並んでトラヴァロムに頭を下げ、踵を返して本堂を後にする。

 早歩きで向かうこと数分。二人が訓練場に繋がる扉をくぐった瞬間――


『ありがとうございました――あねさんっ!』


 若々しい大きな声が、一斉に解き放たれた。

 綺麗に整列された若手騎士たちの前には、指導官を務める男の騎士とは別に、一人の女性の姿がそこにあった。

 そしてそれは――紛れもなくヤミ本人であった。


「こちらこそありがとう! 今日は参加させてもらえて、本当に楽しかったよ」


 生き生きとしたヤミの声が聞こえてくる。その片割れには双子たちもおり、二人は顔を見合わせ、嬉しそうにしていた。


「い、一体……今日一日で、何があったというの?」


 まるで意味が分からないアカリに、ベルンハルトも苦々しい表情を隠しきれず、腕を組むことしかできなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る