065 鳴り止まぬレクイエム(前編)



 ラスターが部屋を後にし、二人きりとなったアカリとベルンハルト。しかしその雰囲気は、明らかに重々しいものであった。


「ベルンハルト。さっき光里……あの子がしてくれた話、何かの間違いじゃ……」

「それはないだろうな」


 心苦しそうにベルンハルトは答える。アカリの口調と表情から、藁にも縋る思いで問いかけてきているのはよく分かっていたが、ここで下手に誤魔化したところでどうにもならないこともまた確か。

 ここは事実を告げるしかないと、彼も心を痛めているのだった。


「そもそも彼女は、嘘をつけるようなタイプでもあるまい。本当にそうだったからそう言った――少なくとも俺には、そう聞こえたよ」


 なによりヤミが見せた傷痕――それが全てを物語っていた。

 故にアカリはショックを受けずにはいられない。

 自分が出奔した後、我が子がどれだけ荒んだ環境で生きてきたのか。どれだけ生と死の狭間の中を生きてきたのか。

 これまでもずっと後悔はしてきた。

 一度たりとも忘れたことはない――それもまた事実であった。

 ベルンハルトからプロポーズを受けた時も、地球に残してきた我が子のことを想い続けていると明かし、それを断ろうとすらしていた。それでも彼の熱意により、首を縦に動かした日のことは、彼女の中にあるかけがえのない記憶の一つだ。

 全ては時間が解決してくれる。

 生き別れた娘も異世界に来ており、再会できると聞いた時は、これで全てが報われると思ってしまった。

 それが途轍もなく浅はかであることを、全くと言っていいほど考えもせずに――


「私は……本当に最低の母親です」


 そして今、それを盛大に突き付けられたアカリは、大粒の涙を止めどなく零す。


「身勝手な私のせいで、あの子をとんでもない不幸にさせてしまいました」

「アカリ、そんなに自分を責めては――」

「だってそうじゃないですか!」


 慰めようとするベルンハルトに対し、アカリは声を荒げる。


「私があの子を置き去りになんかしなければ、いつ死んでもおかしくない環境で過ごすことはなかった! あんなに痛々しい傷を体中に付けることもなかった! 綺麗な黒髪だって、あんな真っ白になることも、なかったはずだった!」

「アカリ……」

「なにより名前を……希望の光に見立てて私が付けた『光里』という名前を、あの子が失うことは、絶対になかったはずなのに!」

「落ち着けアカリ。夕食まで、少し休んだほうが……」

「どうして!? どうして私はあの時、あの子を置いて出て行ったの? どんなに苦しくても、あの子のことだけは絶対に守ろうと……そう思っていたというのに!」


 もはやアカリの耳には、ベルンハルトの声すらも聞こえていなかった。


「私のせいで……私のせいであの子は――うっ、うわああああぁぁぁーーーーっ!」


 両手で顔を覆いながら泣き出すアカリの背中を、ベルンハルトが優しく撫でる。今はそれしかしてやれないことに、歯がゆさを感じずにはいられなかった。

 窓の外から差し込んでくる夕日の光が、眩しくて仕方がない。


(……ルーチェ。もしお前がここにいるのなら、アカリを慰めてくれないか?)


 ベルンハルトは目を細くしながら、真っ赤な夕日の奥に語り掛ける。

 本来ならばいたはずの『娘』の名を思い浮かべる中、彼は十数年前の忘れられぬ過去を回想する――



 ◇ ◇ ◇



 アカリとベルンハルトとの間に生まれた最初の子、ルーチェ。

 聖なる魔力を持った女の子として、周りからも大きな期待をかけられていたが、生後数ヶ月と経たぬうちに、事故でこの世を去ってしまった。

 それが表向きの説明であり、後に生まれた双子たちにも、そう説明されていた。

 しかし事実は異なる。

 本当は十三年前、母であるアカリとともに、魔界へ連れ去られたのだった。


(その目的は、アカリに宿る聖なる魔力……ルーチェはその人質として、まんまと付け狙われてしまった)


 聖なる魔力を注ぐ媒体となれ――前魔王はアカリにそう命じた。

 従わなければ、赤子の命はないと言って。

 素直に従えばルーチェは助かる。しかし自分は媒体という名の『生贄』となって、命を散らしてしまう。どちらも助かる手段は最初から用意されていなかった。

 我が子の命を取るか、己の命を取るか。

 アカリはすぐに前者を選んだ。

 無論、わずかな時間ではあるが迷いは抱いていた。しかし思いのほか、迅速に決意を下していたという。


 ――もうこれ以上、子供のことで後悔したくなかった!


 後にアカリからそう聞かされたベルンハルトは、なんとも言えない歯痒さに拳を握り締めており、今でも鮮明に思い出せる。

 確かにその気持ちは分かる。しかし無暗にその選択をしてほしくなかった。

 愛する妻を失う――それもまた彼にとっては、耐えがたいものだ。なんとか両方が助かる方法を模索するべきだったと、そう言いたかった。

 しかしそれも、致し方ないことであったというのは、分かるつもりであった。

 膨らむ理想に現実が追い付けない――そんな己の無力さを、彼は未だに思い出しては悔やむ気持ちに駆られる。


(そして俺は単身で魔界へ乗り込み、間一髪でアカリを助け出した……)


 その時点で彼は、立場も地位も捨てていた。大神官の意見に背き、自らの全てを投げ出し、愛する妻と子を助け出すべく動き出したのだった。

 アカリは無事に助け出された。

 かなり衰弱していたが、命に別状はなかった。やはり動き出して正解だったと、この時ばかりは彼も、自分の行動に対して誇りを抱いたものであった。

 しかし――


(ルーチェはその時点で、既に命を散らされてしまっていた)


 そもそも最初から、人質を解放する気などなかったのだ。ルーチェのことは、単なる聖女を従わせるための餌に過ぎず、用が済めば始末されるのは、当時の主犯たちの間における決定事項だったことが明かされた。

 ベルンハルトは当然、腸が煮えくり返る思いでいっぱいだった。

 しかし彼は、アカリを連れて大聖堂へ帰るのが限界だった。主犯たち――ひいては前魔王へ報復するだけの力は残っていなかったのだ。


(俺はアカリを連れ、無事に大聖堂へ帰り着いた。大神官様のお力添えにより、その事件は問題なく収束に導かれた)


 全ては魔界側に非があるという形で事件の決着がついた。

 聖女アカリを救出したことで、ベルンハルトも周りから称賛の声がかけられたが、彼はそれを拒否した。


 ――俺は騎士団長ではなく、妻と子を助ける家族として動いたまでだ!


 ベルンハルトは、皆の前でそう宣言し、騎士団長の証であるマントを捨てた。

 大聖堂の騎士団長として、怒りまみれの私情で命を奪う行為をするなど、言語道断もいいところ。立場を忘れて『家族』としての気持ちを優先させた――そんな自分に騎士団長を務める資格はない。

 そう言って彼は、勝手な行動を起こした責任を取ると、胸を張って告げたのだ。

 しかし大神官はそれを許さなかった。


 ――そんなことをしても聖女が悲しむだけだ。大神官としてそれは許さぬぞ。


 地位を捨てるのではなく、正しい行動を示す形で責任を取れ――トラヴァロムはそう言ってきた。周りの騎士たちも必死に呼びかけた。我が大聖堂の騎士団長は、ベルンハルトを置いて他にいないと。

 その気持ちは、大聖堂の人々全員が一致するものであった。

 誰一人として彼を非難することはなかった。

 結果、ベルンハルトの地位は継続された。本来ならば勲章が与えられるほどの功績と見なされるほどだったが、勝手な行動をしたペナルティにより、それが相殺されたという形である。


 かくして聖女誘拐事件は無事に収束された。

 しかしそれは、決して大団円とは言えないものであった――


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