064 血の繋がった『他人』



 ――リィーン、ゴォーン!


 夕刻を知らせる鐘が鳴り響く。ヤミが窓のように視線を向けると、夕焼けの日差しがオレンジ色の光とともに入り込んできている。普通ならば訓練やらクエストやらを切り上げて、帰路につく頃合いだろう。


「ふむ、どうやら随分と話し込んでしまったようだな」


 ベルンハルトが手の平で両膝を軽く叩いた。


「ヤミ君。キミはこの後、何か急ぎの用事などはあるのかい?」

「いえ、特に何も――なんかあたしに頼み事でも?」

「いやなに。もしキミさえ良ければ、ウチに泊まっていってはどうかと思ってな」


 その瞬間、双子たちの目が輝きだした。アカリも目を見開いており、その視線は一斉にヤミに向けられる。

 そんな中ベルンハルトは、にこやかな笑みを浮かべながら話を続ける。


「我が子を助けてくれた礼をしたいというのもあるし、ラスターとレイも、もう少しキミと話したそうにしているようだ。何なら一晩とは言わずに、何日かゆっくりしていくといい」

「――流石はお父さま! ねぇ、お姉ちゃん、ウチに泊まってってよ!」


 遂に我慢ができなくなったらしく、レイが詰め寄ってくる。ラスターも無言のまま頷いており、その目は完全に期待を込めた輝きを解き放っていた。

 そしてヤミもまた――


「わ、分かった、分かったから離れてってば!」


 レイを制しながら苦笑する。その心は完全に根負けしており、両方の手のひらを軽く掲げたまま、ベルンハルトに視線を向けた。


「じゃあお言葉に甘えて、しばらくお世話になります」

「うむ。歓迎するよ。今日の夕食も、ウチのコックに腕を振るってもらおう」


 その瞬間、ラスターの表情がピシッと固まった。しかし隣に座るレイは、それに気づくことなく姉にしがみ付く。


「お姉ちゃん、今日は一緒にお風呂入ろうね。わたしと一緒のベッドで寝ようよ」

「うん。ありがとう」

「じゃあまずはこの家を案内するよ。ラスターも一緒にいこ!」

「あ、ボクはちょっと、父上たちに話しておきたいことがあるから」

「ふーん……なら先にお姉ちゃん連れて行ってくるねー」


 若干ながら引きつっていたラスターの表情に首を傾げつつも、レイはそれ以上気に留めることもなく、ヤミの手を引いて立ち上がる。


「あぁ、ちょっとちょっと! そんな慌てなくてもいいでしょーが!」

「早く早く! シルバも一緒にね」

「くきゅっ」


 レイに引っ張られる形でヤミはそのまま退出する。シルバも飛び上がり、そのまま部屋を後にした。

 扉が閉められたタイミングで、残されたラスターは改めて両親に向き直る。


「――今日の夕飯だけど、とにかくたくさんの量で作ってもらって! 質は全く気にしなくていいよ!」


 真剣な表情でまくし立てるようにいう息子に、両親はポカンと呆ける。困惑しながら妻と顔を見合わせ、再び息子にベルンハルトが視線を戻す。


「どうしたんだ? 折角の客人なのだから、豪華にもてなしを……」

「姉さんに豪華さは通じないよ。むしろ量が少ないとガッカリされちゃうから!」

「……そんなに食べるの?」


 母からの質問に、ラスターはため息をつき、視線を逸らした。


「こないだ、緊急クエストで仕留めたビッグボアを丸々一匹、一人で平らげてたよ」

「えっ……」

「しかもその後、フツーに夕飯も食べてたし」


 だから覚悟しておいてね――そんな意味を込めたラスターの発言に、両親は再び呆然とした表情を見せる。

 あまり驚かせるようなことを言いたくはなかったが、こればかりは避けられないことだとラスターは思っていた。むしろやるだけのことはやったつもりだと、自分を褒めてやりたかった。

 それ自体は、実に正しかったと言えるだろう。

 しかしいつの時でも、想定というのは超えてくるものである――それを近々思い知らされることを、彼らは知る由もなかった。



 ◇ ◇ ◇



「――ここが、わたしとラスターの部屋だよ」


 レイに案内された部屋をヤミとシルバが見渡す。二人分の机とベッド、そして本棚などが設置してあるその空間は、他の部屋よりも面積こそ大きいが、それだけの広さを感じるかというと、意外とそうでもない。


「へぇ。二人で一緒に使ってるんだ?」

「お父さまは、そろそろ兄妹別々の部屋にしようかとか言ってたけどね」

「レイはそのつもりないの?」

「うーん……今は別に困ってることないし、いいかなーって感じ」

「そっか」


 ヤミは小さく笑いつつ、大きなベッドに直接腰掛ける。


「おー、ふっかふか♪」

「くきゅー」


 シルバも興味深そうに飛び回る中、ヤミはそのままベッドに寝転がる。このまま気持ちよく眠れてしまいそうだと思えるほどだった。

 その時――


「お姉ちゃん。なんかその……ごめんね」


 なにやら申し訳なさそうな声が聞こえてきた。ヤミが起き上がると、口調どおりの表情を浮かべながら、レイがベッドにポフッと腰かけてくる。


「お父さまとお母さまの、ワガママに付き合ってくれて」

「どうしたの、急に?」

「さっきのこと」


 そう言われてヤミは思い返してみる。特に我儘らしき場面などなかったし、


「しばらく泊まってほしいのも、本当はお姉ちゃんがお母さまと、もう少し仲良くなれればって……きっとそう思ったからなんだよ」

「だろうね」

「気づいてたの?」

「んー、まぁ、なんとなく。けどね――」


 ヤミはフッと小さく笑い、優しくも力強い視線をレイに向ける。


「向こうさんがどう思っていようが、あたしには正直、何の関係もない話だよ」

「……やっぱりお母さまのこと、恨んでたりする?」

「いや、別に」


 ヤミは即答する。レイは思わず驚いて見上げると、これと言って何の感情も抱いていない表情が、姉の顔に現れていた。

 しかしそれもすぐに、どこか恥ずかしそうな笑みに切り替わる。


「さっきも言ったとおり、何も覚えてないからね。恨みようがないってもんだよ。それにあの人があたしの母親だってのは、トムじいの魔法が証明してる。だから否定するつもりもないさ」

「え、それじゃあ……」

「けどまぁ――それだけの話だね」


 それは落ち着いていて、それでいて確かな意志の込められた口調だった。茫然と見上げるレイも、これだけは分かる気がした。

 ヤミは間違いなく、本気で言っているのだと。


「今の今まで考えたことすらない、実の母親……それが急に出てきて、涙ボロボロの状態で『ごめんなさい』を必死でしてくる」


 天井を見上げながら、ヤミは大聖堂の本堂に来てからの出来事を軽く思い出し、無意識に苦笑する。


「そんなことされてもさ……正直どう反応すりゃいいんだって、あたしは思ったよ」


 実の両親がいた記憶がないまま過ごすこと十数年。それはあっという間であり、とても長い時間でもあった。

 ましてや彼女は、両親の存在を考える余裕すらなかったとも言える。

 ただでさえ子供から大人に成長する十数年は、とても大きい。毎日のように様々な出来事を経験してきたのならば尚更だ。生き別れた家族に対する気持ちが、限りなく薄れてしまったとしても、致し方ない話だろう。

 ヤミからすれば、今のアカリは『他人』同然の存在なのだ。

 それは強がりでも何でもない。

 今しがた話した時に見せた彼女の態度が、大いに物語っている。そしてなお今も、気持ちが崩れる様子もない。


「お姉ちゃんは……」


 ここでレイが、探りを入れるように恐る恐る問いかける。


「お母さまに会わなければよかった……って、思ったりした?」

「いや、そうでもないよ」


 再びヤミは即答する。これもちゃんとした迷いのない口調であり、再びレイに驚きの表情を作り出すほどであった。

 見上げてみると、ヤミは下りてきたシルバの体を撫でながら笑っていた。


「この人があたしの母親なんだーって、純粋に新しい発見ができたとは思ってるし」

「そうなんだ」

「まぁ、それ以上でもそれ以下でもないってのが、正直なところだけどね。お母さんが大好きなレイにとっては、薄情にしか聞こえないだろうけど……」

「――ううん! そんなことない!」


 ここにきて強く否定してきたレイに、今度はヤミが驚く番となった。視線を向けてみると、ヤミと同じくらいに強い意志を込めた顔つきで、まっすぐ見上げている。


「お姉ちゃんは本音で言ってくれたんでしょ? だったらわたしも受け入れるよ」

「レイ……」


 心の奥底では申し訳ないかなという気持ちも芽生えていた。しかしそれは、表に出す必要はなさそうだった。

 目を見開いていたヤミはフッと小さく笑い、そしてニッコリ微笑む。


「ありがとうね。最後まで話を聞いてくれて嬉しかったよ」

「えへへ、どういたしまして♪」


 頭を撫でられて嬉しそうにするレイ。その姿はもはや、本当の姉妹と言っても差し支えないほどだった。

 ちなみにこの後、「ぼくもナデナデしろ!」とシルバがせがみ、更に両親と話を終えて戻ってきたラスターも加わり、ひと悶着起こるのだが――

 それはまた別の話である。


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