062 ヤミは光里よりも『ヤミ』を選ぶ
「えっと……」
あっけらかんと放たれたヤミの言葉に、アカリは思わず呆けてしまう。しかし尋ねないわけにはいかない――そんな気持ちとともに、なんとか片手を軽く挙げ、恐る恐る口を開いた。
「その『魔族の男の子』というのは?」
「あ、うん。あたしの弟分だよ。ちょうどいいから、その子のことも軽く話すね」
ヤミは明るく笑いつつ、脳内に彼の顔を思い浮かべる。
「あれはもう八年前――大きな嵐が通り過ぎた朝のことだった」
前日までの大荒れが嘘のような晴れ間が広がる中、ヤミが様子見がてら、浜辺を散歩をしていた。
するとその浜辺に、誰かが倒れていた。
自分よりも少し年下らしい魔族の少年が、打ち上げられたまま気を失っており、ヤミは即座に介抱したのだった。
少年は無事に目が覚めたものの、複雑な事情を抱えていることを知った。
特に――
「その子には名前がなかった。付けられないまま捨てられたらしくてね。殆ど誰からも話しかけられることがなかったばかりか、自分が話しかけても相手にされないことが殆どだったみたい」
「兄さんにそんな過去が……ねぇ、それって、ここで話しても大丈夫なの?」
「うん。あの子からは、ちゃんと許可はもらってるよ」
どうせヤミのことだから、自分の過去なんてベラベラ喋っちゃうだろうし、なんなら僕の過去も、ついでに話しちゃっていいよ――と、いつもの菜園にて、苦笑しながら言われたのを思い出す。
流石にヤミも、疑問を浮かべはした。
嫌なら伏せておくくらいの弁えは持っているからだ。
しかしヒカリは許可を出した。兄と懐いてくれている双子たちの前では、出来る限りの隠し事をしたくないと、ハッキリそう言ってきたのだ。
それが真剣であることはすぐに分かった。
故にヤミも、それを突っぱねることができるはずもなく、分かったと頷いた。
(あの子もわりかし、開き直りがいい部分もあるからねぇ……)
そしてそれは、とある姉貴分から受けた影響が非常に大きいことを、当の本人は知る由もない。
「とにかく流石に名前がないってのもアレだからね。あの子に『ヒカリ』って名前を与えてやったのさ」
「お兄ちゃんの名前は、お姉ちゃんがつけたんだ?」
「そ。単に『ヤミ』の反対でって感じで、深い意味はなかったんだけどね」
ついでに言うと、汚れていた体を洗ってやったら、綺麗な金髪が太陽に照らされてキラキラと輝いていたからというのも大きい。
白い髪の毛の自分よりも数段に綺麗だと思い、ヤミは自信満々に言ったのだった。
――やっぱりあんたは『ヒカリ』以外にあり得ないよ! うん、間違いない!
無意識に思い出しつつ、ヤミは過去の自分に賞賛を送りたくなる。あの時の自分は本当に、途轍もないベストなことをしたものだと。
それが自分自身の本当の名前だと発覚した今でさえも、気持ちは全く変わらない。
「その……ひ、
「あー、ごめん。それについてなんだけど――」
だからこそ彼女は、実母からの呼び名にも、待ったをかけたくなるのだった。
「できればあたしのことは、『ヤミ』って呼んでくれないかな?」
「え、なんで……」
「ヒカリだと、あたしの弟分と被っちゃうからさ」
大いに戸惑うアカリに対し、ヤミはどこまでもあっけらかんとしている。別にそれぐらい、どうってことはないでしょ――と、言わんばかりであった。
「そもそも今更、ホントの名前とか言われてもねぇ……」
「しっくりこない感じ?」
「まぁね」
レイの問いかけに、ヤミは肩をすくめる。
「だってもう十年以上も『ヤミ』って名前で過ごしてきたんだよ? ここで急に違う名前を受け入れろだなんて、無茶ぶりにも程があるっての」
「確かに……お姉ちゃんの言うとおりかもしれないね」
「それに『ヒカリ』という名前だって、もうあの子のものだもん。今更変えることなんかできないさ」
「まぁ、ボクとしても、姉さんの名前が『ヤミ』じゃなくなっちゃうのは……」
「でしょ?」
機嫌のいい笑顔を見せるヤミだったが、双子たちの表情は複雑だった。その視線はチラチラと、母であるアカリのほうに向けられている。考えるまでもなく同意したいところではあったが、母の気持ちもないがしろにはできないのだ。
しかし双子たちには、これ以上の策は取れない。
この状況をどう打開すれば――そんな悩ましい考えが脳内をうろつく中、母の隣に座る父が、重々しく口を開くのが見えた。
「……分かった」
その瞬間、他四人の視線が一斉に、ベルンハルトに集中する。それを感じ取る彼の視線は、どこまでも冷静さを保たれていた。
「キミのことは、今後も『ヤミ』として接しよう」
「なっ、ベルンハルト――」
「今はそれで納得するしかない。彼女もずっと……何も知らなかったんだから」
「――っ」
その言葉に何も言えず、アカリは押し黙ってしまう。
確かにそのとおりではあるのだ。アカリからすれば覚えていないことだが、ヤミからすれば、今日この場で『初めて知った』ことに他ならない。
故にヤミの言い分は、至極もっともだと言える。
それ自体は、アカリも理解できるつもり、ではあるのだが――
(光里……私が考えて付けた名前を、あなたは……)
気持ちまでは追い付かず、その表情はどこまでも複雑さを醸し出していた。
◇ ◇ ◇
それからもヤミの話は続いていく。
ヒカリという弟分を加えた生活はとても楽しく、毎日が充実していた。三年前に旅立ってからも、たくさんの知り合いや友達と出会いつつ、色々な経験を得た。
そして――今に至る。
「アクシデントで魔界へ飛ばされて、ヒカリと再会したときは驚いたなぁ」
ヒカリが新たな若き魔王、ブランドンの弟であったことは、素直に驚いた。もっとも事情を聞けば、すんなりと納得もしてしまったのだが。
「シルバと出会ったのも、そのすぐ後だったね」
「くきゅ?」
お茶うけに出されたクッキーをもしゃもしゃと頬張るシルバは、どうやら話を聞いていなかったらしく、どうしたのと首をかしげていた。
その可愛らしさにヤミは表情を綻ばせ、小さな頭をこしょこしょと撫でる。
気持ちよさそうに身をよじらせるシルバに、双子たちも興味津々な様子を醸し出しながら手を伸ばす。
「ふふー、いいこいいこー♪」
「よしよし」
「くきゅきゅー♪」
レイとラスターに撫でられるシルバ。その表情と鳴き声は喜びのものであり、嫌がっていたりする様子は見られない。
それだけ、双子たちのことも受け入れていることを示していた。
「……随分と懐いているな」
驚きの表情を浮かべるベルンハルトは、遂にポロッと口から言葉が漏れ出る。
それに対して双子たちは、得意げな笑みを浮かべた。
「でしょー? わたしもラスターも、シルバのお友達になったんだから」
「うん。向こうでも一緒に遊んでたし」
「そうか……お前たちも、中々にいい経験ができたようだな」
戸惑いは拭えないが、子供たちが成長できたのは素直に喜ばしい――それは確かであるため、ベルンハルトもそこは受け止めねばと思った。
アカリもようやくここで頬を綻ばせたその時、ある異変に気付く。
「――ラスター? どうしたの?」
息子が神妙な顔つきをしていた。それまで笑っていた様子が、完全になりを潜めていることに、ベルンハルトも気づいて視線を向ける。
そして――
「あの。父上と母上に、ボクから少し話したいことがあるんだ」
ラスターが姿勢を正して両親に向き直り、意を決して自らの口で話す。魔界で過ごした数日を経て、新たな決意を固めたということを。
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