058 そしてヤミは、見知らぬ母と出会う



「母上!」

「お母さま!」


 ラスターとレイが飛び出していく。アカリは二人を包み込むように受け止め、優しく抱きしめるのだった。


「良かったわ……二人とも、本当に無事で……」


 三人の嗚咽が聞こえる。ベルンハルトも無言のまま、嬉しそうに頷いていた。

 一方ヤミは、トラヴァロムに視線を向け、目をぱちくりとさせる。純粋に驚いている表情で、一歩前に出ながら唇を震わせていた。


「も、もしかして……トムじい?」

「ハハハッ。そう呼ばれるのも、随分と久しいな」

「やっぱりトムじいだ!」


 トラヴァロムが軽快に笑い出すと同時に、ヤミも笑みを輝かせる。そして急いで彼の元へ駆け寄り、皴が目立つその両手を手に取った。


「ホント久しぶりだねー! こんなところで会えるなんて思わなかったよ」

「その様子だと、ワシがここの大神官だということは、知らんかったようだな」

「うん。今初めて知った」

「だろうな。あのジジイがわざわざ教えるとも思えんし……む?」


 ここでトラヴァロムは、ヤミの肩からにゅっと長い首を出してきている、小さな魔物の存在に気づく。


「ほほぅ? ドラゴンの子供を連れておるのか」

「うん。シルバっていうの。ほらシルバ、トムじいに挨拶」

「くきゅきゅ、くきゅっ」

「おぉ、よろしくな。礼儀正しくてよく懐いておる」

「ふふっ、ありがとね」

「くきゅー♪」


 シルバも嬉しそうに鳴き声を出し、トラヴァロムも改めて優しく微笑む。穏やかな空気となったところで、ヤミは一つ思い出す。


「あ、ちなみにじいちゃんも、相変わらず元気だよ」

「知っておるわ。ワシもこないだ、ちょいと野暮用で会ってきたのでな」

「そっか。それからトムじいも、変わりないみたいだね」

「おかげさまでな。お主も随分とまぁ、あちこちで大暴れしておるようではないか」

「たはは……あたしは別に、そんなつもりはないんだけどねぇ」

「全く、変なところばかりあのジジイに似よって、お主も少しは……ん?」

「えっ?」


 夢中になって話していた二人は、ようやく周りの視線に気づいた。

 四人の親子たちは、ポカンと呆けた様子であった。何がどうなっているのかと、そう問いかけたい気持ちを込めながら。


「――どうやら驚かせてしまったようだな」


 トラヴァロムはそれを察し、ニヤリと含み笑いをする。


「ワシとこの娘は、何年も前からの知り合いでな。この娘の面倒を見ておった、ワシの昔馴染みとの関わりで、割と多く顔を合わせてきたものだわい」

「あ、ちなみにその昔馴染みってのが、あたしの師匠でもあるじいちゃんのことね」


 意味が分かっていなさそうな双子たちのために、ヤミが補足を入れる。


「トムじいの名前、結構長いでしょ? じいちゃんもいちいち呼ぶの面倒になったからと言って、『トム』ってあだ名で呼んでるんだよね」

「お主はそれがワシの本名だと思っておったな」

「あ、うん……それはごめん、ホントに」

「はは、些細なことだ。気にすることはない。それにしても――」


 トラヴァロムは、軽く怪訝そうな視線をヤミに向ける。


「お主は本当に今の今まで、ワシの正体を知らんかったのか? 自分で言うのもなんだが、ワシは結構な立場に就いておる。どこかでなんとなく知っておるだろうと、正直思っておったのだがな」

「大神官っていう存在がいることは知ってたよ? ただそれがトムじいだってことは知らなくて……」

「要は結び付いていなかったということか。全くお前さんらしいことだわい」

「あはは、申し訳ない」

「別に構わんがな。あのジジイよりは何倍もマシだ」


 またしても自然と会話が弾んでいる二人。四人の親子は完全に置いてけぼり状態と化しており、ベルンハルトやアカリですら戸惑っている様子であった。

 それに気づいてすらいないヤミは、はたと気づいたような素振りを見せる。


「ねぇ、トムじい?」


 そしてどこか探るような視線を向けるのだった。


「……流石にその、あたしも『大神官様』って呼んだほうがいい……ですか?」

「む? くっ、はっはっはっ! 何を言い出すかと思えば、らしくないことをするでないわ!」


 恐る恐る訪ねてきたヤミに対し、トラヴァロムは愉快そうに笑う。


「今更そんなかしこまった呼ばれ方をされても、むず痒くなるだけというものだ。今までどおり、遠慮なく『トムじい』と呼んでくれて構わんよ」

「え、ホントに? じゃあ、そうさせてもらうね!」

「うむ。そのほうがお前さんらしいわい」

「はははははっ♪」

「ほっほっほっほっほ♪」


 楽しそうに笑い合うヤミとトラヴァロム。昔からの知り合いと言えば、確かにそれらしいだろう。

 だが周りからすれば、それを素直に受け止められないのも事実であった。

 トラヴァロムは大神官――この大聖堂のトップなる存在であり、普通ならば顔を上げて話すことすら烏滸がましい。ましてやため口で対等に語り合うなど、まさに天と地がひっくり返っても無理とすら思えてしまうほどだ。

 そんな二人の会話に割って入るなど、到底できることではなかった。


「……レイ。なんかすっごい盛り上がってるよね?」

「うん。わたしたちが会話に入る隙もないよ」


 ラスターとレイがひそひそと話す声は、ベルンハルトにも聞こえていた。表情こそ冷静さを保っていたが、心の中は戸惑いに満ちていた。

 まさか、大神官様と知り合いだとは――こればかりは流石に予想外過ぎる。

 隣に立つ妻の様子を盗み見ると、彼女もまた、どうすればいいか分からないと言わんばかりに、視線を右往左往としていた。


「――おぉ、すまんすまん。久々の再会ゆえに、つい話し込んでしまったわい」


 そんな親子たちの様子に気づいたのだろう。トラヴァロムは申し訳なさそうに苦笑を浮かべてきた。

 失敗、失敗――てへぺろ♪

 そんなことを本当に言ってきそうなほどの軽いノリが、まさか大神官ともあろう御方から出てくるとは――親子たちがそんな驚きを味わっていることを、果たして当の本人は気づいているのだろうか。

 それはあくまで、トラヴァロムのみぞ知ることであった。


「ここは改めて、ワシから紹介しよう。彼女が当代の聖女、アカリだ」

「はぁ……どうも」


 ヤミは軽く頭を下げる。特に何か感想めいたものは浮かんでこなかった。しいて言うなら、二十代前半くらいにとても若く見えるという点だが、わざわざ口に出すこともないかと思い、軽い気持ちでスルーしていた。

 するとここでトラヴァロムが、一歩動きながらヤミとアカリに視線を向ける。


「どれ、一つ確かめてみよう。すまんがアカリよ。ちょいと二人で、並んで立ってもらえるかな?」

「あ、は、はいっ!」


 促されるがまま、二人はトラヴァロムの前に立つ。そこに彼は魔法をかけた。

 無詠唱で放たれたそれは、薄い光のオーラとなって二人にかけられる。そのオーラは瞬く間に『赤』へと変色していき、程なくして消えていった。


「……やはりか」


 トラヴァロムは確信めいたと言わんばかりに頷く。


「十年近く前にヤミと初めて会った時、薄々そんな予感はしていた。しかし違う世界の出身ともなれば、流石にあり得んと思っていた。昨年あのジジイから、ヤミの経緯をこの耳で聞くまではな」

「それでは、やはりこの子が……」

「うむ。今の魔法が証明してくれた。二人は紛れもなく実の親子だとな」


 もしも二人が他人であれば、オーラの色は『青』に変色するはずであった。しかし出てきたのは紛れもなく『赤』であり、それは血縁があることを示す、なによりの証拠を示していた。

 遠縁ならば色は薄く、近縁であれば色は濃くなる。

 実の親子であれば原色に等しい色となる。まさに今、ヤミとアカリの間に出てきた色のように。


「本当に……本当に会いたかったわ! あの家を出たのは、あなたが三歳の時……もう十五年になるのね!」


 アカリは涙を浮かべながら、待ち焦がれていた相手に向き直った。


「さぁ、もっと顔をよく見せてちょうだい――光里」


 そう呼びながら相手の頬に両手を添え、顔を近づけるアカリ。長きに渡る感動の親子の再会――そうなるはずだった。


「ひかり? もしかしてそれが、あたしの本当の名前とか?」

「――えっ?」


 あっけらかんと言い放つヤミに対して、アカリも思わず呆気に取られる。ベルンハルトも、どういうことだと言わんばかりに顔をしかめていた。

 先に事情を聴いていた双子たちは、どこか気まずそうにしており、トラヴァロムも無言のまま、重々しい雰囲気とともに目を閉じていた。

 数秒ほど沈黙が続き、流石のヤミも様子のおかしさに気づく。


「えっと……ひとまず言っておきたいんだけどね?」


 微妙に居たたまれなくなったヤミは、苦笑とともにアカリに告げた。


「あたし、五歳までの記憶が全くないんだわ。本当の名前や親のことも……何もね」


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