053 一方、大聖堂では・・・
「えっ! ラスターとレイが無事!?」
「それは本当なのですか!?」
聖女アカリと大聖堂騎士団長ベルンハルト――その夫婦が、受けた知らせの内容に対して驚愕する。
「うむ――今しがた一通の手紙が届いたのだ」
大聖堂の長である大神官――トラヴァロムの言葉が、重々しく響き渡る。
「新たなる魔界の王……ブランドンからな」
「っ!」
息をのむ音が聞こえた。夫婦のどちらかなのは間違いないが、二人揃って表情をしかめており、どちらが発していても――あるいは夫婦共々だったとしても、何ら不思議ではないように見える。
もっとも今は、そこに注目する意味はない。
そう言わんばかりに、トラヴァロムは手紙を開いた。
「色々と思うところはあるだろうが、まずは手紙の内容を聞いてほしい――」
聖女アカリの御子である兄妹、ラスターとレイが魔界の城に転移されてきた。二人とも無事であり、丁重に保護している。できれば使いとともに、大聖堂へ送り届けてやりたいところだが、そちらの事件の様子が未だ把握しきれておらず、無暗に動かすこともできない。
まずは大聖堂で起きた事件の経過と詳細を教えてほしい――という旨の内容が、丁寧な言葉で書かれていた。
トラヴァロムが読み上げたその内容に、双子たちの両親は驚愕する。
「うーむ……特にあの子たちが、苦しい思いをしているわけではなさそうだが……」
ベルンハルトが腕を組みながら、悩ましそうに唸る。その隣でアカリは、胸元で両手を組む仕草を取り、トラヴァロムに向けて一歩前に出た。
「あの、他に何か書かれていませんか? 金銭を要求するとか……」
「書かれとらんよ。むしろ『連絡が遅くなって申し訳ない』という謝罪の言葉が、これまた丁寧に添えられておるわい」
「そうですか……」
アカリは返事とともに引き下がる。しかしその雰囲気からして、どうにも納得できていないことは明らかだった。
それを察したトラヴァロムは、手紙を手にしたまま空を仰ぐ。
「魔王ブランドン――彼は国のために精力を尽くす好青年だ。前魔王とは違う。いやそもそも……前魔王が酷過ぎたとも言えるな」
その瞬間、アカリはわずかに肩をピクッと動かしつつ、表情が止まる。それを尻目にトラヴァロムは続けた。
「クーデターを起こされて散る末路を聞いた時も、そんなに驚きは……」
「大神官様。もうそのあたりで」
ベルンハルトが言葉を途切れさせる。そんな彼の片手は、愛する妻の肩に優しく添えられていた。そしてアカリも、苦悶の表情とともに俯いており、まるで何かを我慢するかのように両手を胸元で組み合わせていた。
「――まぁ、とにかくだ」
トラヴァロムは目を閉じながら、コホンと咳払いをする。
「双子たちは恐らく、安全だと判断して良いだろう。存外、元気に過ごしておるようだからな」
「本当ですか?」
「うむ。なんでも――」
アカリの問いかけに頷きつつ、トラヴァロムは再び手紙に視線を落とす。
「聖女アカリによく似た人間の少女が、率先して面倒を見ておるとのことだ」
その瞬間、アカリは口元を両手で押さえながら目を見開いた。トラヴァロムはそれを一瞥しながらも、何食わぬ顔で続ける。
「その少女に二人も随分と懐いたらしくてな。そのおかげもあってか、二人とも向こうの生活にすっかり馴染んでおるそうだ」
「あの二人が……そうですか」
答えたのはベルンハルトだった。その声には若干の驚きはあったが、とりあえず無事らしいという点に、安堵している様子でもあった。
「すぐにでも飛竜を出して、魔界まで迎えに行きたい――と言いたいところですが」
「うむ。それはちと難しい話になる」
ベルンハルトとトラヴァロム――二人の視線をまっすぐに受けたアカリは、しょんぼりとした様子で頭を下げる。
「申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに……」
「無理もないさ」
改めてアカリの肩にそっと手を置きながら、ベルンハルトは優しく語り掛ける。
「アカリにとって魔界は、それだけ根深いモノがある。そうなったのは決してお前のせいじゃない」
「けど! 私がもっとしっかりしていれば……」
「もしものことを、ここであれこれ言っても仕方がないだろう? それに――」
ベルンハルトはスッと目を細め、トラヴァロムに向ける。
「曲者の一件も、まだ解決はできていない」
「うむ。報告を受けたが、ちょいと厄介なことになってしまっておるな」
ラスターとレイを連れ去ろうとした曲者については、トラヴァロムも容赦なく取り調べろと命令はしていた。
しかしながら、目ぼしい情報を得ることはできなかった。
尋問をかけようとした瞬間、なんと仕掛けられていた魔法が発動し、ここ数年の記憶が曲者たちの中から、すっぽり抜け落ちてしまったのである。
最初はとぼけているのかと思われていた。
ところが当人たちが最後に所持している記憶が、少し調べただけで簡単に裏付けが取れてしまい、本当に都合の悪い部分だけが抜け落ちていることが判明したため、これ以上取り調べても得られるものはないと判断されたのだった。
故に捜査は、完全に行き詰まっている状態である。
そのことが余計に、ベルンハルトを苛立たせている要因にもなっていた。
「全く持って情けない話です。ヤツらを陰で操っていた黒幕には、まんまと逃げられたも同然ですからね」
「うむ……ここ数日は様子を見ておったが、特に大きな問題も確認できんかったな」
トラヴァロムは空を仰ぎながら、大聖堂の様子を思い出していた。
立場の大きい者を中心に、魔族の仕業に違いないと騒ぐ声が相次いでいた。しかしそれに対して待ったをかけていたのは、他ならぬトラヴァロムだった。
決めつけは良くない。冷静さを欠いては、本当の真実を見ることはできない、と。
その声に納得のいかない者は、実に多数を極めていた。しかし魔界の動きがまるで確認できず、悪巧みをしている魔族もそれなりに確認はできたものの、せいぜい盗賊の小競り合い程度のものでしかない。
大聖堂を襲い、人攫いをするような者は見つからなかったのであった。
「新たな魔界の王は、ワシも認める良き人物。ここは彼を信じて、向こうから二人を送り届けてもらう形を取ろうと思うが……」
「はい。私たちは、大神官様のお考えに従います」
ベルンハルトは姿勢を正した。不安要素は見受けられるが、このまま手を拱いているわけにはいかないのも、また事実である。
しかしながら、今回ばかりはベルンハルトも、ただで従うことはできなかった。
「その際に、向こうが何か不穏なことをしてきた場合は――」
「あぁ、構わんよ。お前は父として、二人の子を迎えることを考えれば良い」
「責任は全て、このベルンハルトが請け負います」
「それならこの私も!」
「アカリ……」
自ら申し出た妻の肩を、ベルンハルトは優しく掴む。
「お前はこの大聖堂における、たった一人の聖女なんだぞ? それにもしもアカリに何かあろうものなら、誰があの子たちを守るんだ?」
「けど! ベルンハルト一人に重荷を背負わせるだなんて、私はそんな……」
言いたいことは分かるが、それでも引きたくはない――そんな思いが涙となって目から溢れ出てくる。そんな愛しい妻の姿が痛ましく思えてしまい、ベルンハルトは困り果てた表情を見せてしまう。
「全くお前たちは……そのくらいにしておかんか」
流石に見かねたらしいトラヴァロムの声は、完全に呆れ果てたそれであった。
「ちと先走り過ぎだ。ここであれこれ言っても何もならんぞ」
「しかし!」
「まだこの手紙が罠だと決まったわけでもあるまい。証拠もないのに物事を決めつけるなど、騎士団長としてあるまじきこと――違うか?」
「――申し訳ございません」
ベルンハルトは重々しく頭を下げる。トップに逆らえないというのもあるが、なによりトラヴァロムの言ったことは紛れもない正論――これ以上の反論は、単なる子供の駄々だと思ったのだ。
そしてアカリも、ベルンハルトに続いて、深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。聖女として、見苦しい姿をお見せしてしまいました」
「良い。分かってくれたようでなによりだ」
アカリの謝罪に、トラヴァロムは厳しい表情を崩す。そして改めて、夫婦二人を見渡した。
「話は以上だ。ワシはこれから、書状を一筆したためねばならん。お前たちもまだ、一仕事残っておるだろう? 早く戻りなさい」
「はっ! 失礼いたします」
ベルンハルトに続いてアカリも再び軽くお辞儀をする。そして夫に背中を軽く支えてもらいつつ、アカリは踵を返して歩き出し、その場を後にしたのだった。
やがて扉が閉まり、室内はトラヴァロム一人となる。
(聖女アカリによく似た娘……その旨も、ちゃんと記さねばならんな)
のんびりしてはいられないと、そう言わんばかりにトラヴァロムは動き出し、机の引き出しから大聖堂の紋章が入った便箋を一枚取り出す。
しばらくの間、羽ペンの軽快な音が、室内を響き渡らせるのだった――
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