049 迷える小さな妹



「お父さまは大聖堂の騎士団長で、お母さまは聖女――わたしはそんな両親を、心から尊敬している。けど……」


 レイは足を投げ出し、広い空を流れる白い雲を見上げた。


「周りの人たちから両親の名前が出てきて、ちょっとうんざりしてるんだよね」


 これには、レイが生まれ持った『才能』の大きさも関わってくる。

 魔力を持つ者は、その魔力を蓄えるための『器』が体内に存在しており、レイはその『器』が人よりもかなり大きい状態で生まれてきたのだ。

 人が持つ魔力の量は、基本的に生まれながらに持つ『器』に比例する。

 聖なる魔力も同じであり、魔力による検査で『器』の大きさが判明して以来、周りからの期待はかなり大きなものとなった。


「お姉ちゃんの言うとおり、将来はお母さまの跡を継いで聖女になる――そう周りからも言われ続けた。確かに最初は嬉しかったよ? でも――」


 小さなため息をつき、どこか忌々しそうな口調でレイは言う。


「なんか最近、ちょっと『うっとおしい』って、思うようになってきたんだ……」


 致し方ない部分は大きいだろう。事例としても、決して珍しいことではない。才能溢れる子に期待しない者など、いないも同然なのだから。

 黙って聞いているヤミの表情も、自然とどこか重々しいそれと化す。


「それでも……わたしはガマンするしかない」

「我慢?」

「うん。ただでさえ『聖女』や『騎士団長』という偉い人たちの娘として生まれてきちゃったんだから、これぐらいガマンできなければ、話にならないんだよ」


 聖女の娘として期待されている以上、そうしなければいけない。周りからの期待がうっとおしい――そんな子供じみた我儘を言うことなんて、あってはいけない。

 駄々を捏ねようものなら、聖女の娘は失格。

 所詮自分は、聖女の娘として以外に、何の価値もないのだから――と。


「要するにレイは、それを『仕方がない』とでも言いたいんだ?」


 そう言いながら視線を向けると、レイは無言のまま小さく頷いた。その反応を見たヤミは、これ見よがしに大きめのため息をつく。


「だとしたら、それは――勿体ないにも程があると、あたしは思うけどね」


 そしてその声は、妙に鋭く聞こえた。レイは呆けた様子で目を見開き、ヤミのほうを見上げる。

 姉のように慕い始めていた女性の表情は、確かな冷たさを醸し出していた。


「もったい、ない?」

「そ。折角ちゃんと両親という存在がいるのに、諦めて抑え込むなんざ勿体ないって言ってんの」


 声は決して荒げられておらず、断じて大きくもない。しかしレイは、下手に怒鳴られるよりも強い衝撃を受けたような気がした。

 頭が真っ白になってゆく。怖いとか恐ろしいとか、そんな考えすら浮かばない。

 しかし目を逸らすことができない。

 ヤミの声が、そして表情が、別の意味で自分を引き寄せるような――レイはそんな気がしてならなかった。


「そもそもさ――周りの反応なんざ、なんで気にする必要があるんだろうね?」


 再び大きなため息を吐きつつ、ヤミは空を仰ぐ。


「そんなのいちいち気にしてるヒマがあったら、自分のやりたいようにやれるよう頑張るほうが、よっぽど有意義だし楽しいと思うんだけどね、あたしは」

「やりたいように……」

「そ。誰の意思でもない、自分だけの気持ちでね」


 ヤミの視線は、ずっと青空に向けられたままであった。しかしその表情は、どこか遠くを見るような笑みを浮かべていた。


「どんな立場だろうと、周りが何と言おうと、唯一遠慮なくあれこれ言えるのが、親っていう存在なんじゃないの? 少なくともあたしはそう思ってるけど」

「け、けど……言い過ぎたりしてケンカになったら……」

「別にいいじゃん。ケンカぐらいしたって」

「えっ?」


 レイが軽く驚いて見上げると、ヤミは目を閉じながら苦笑していた。


「そりゃー、ふざけてケンカしたり、誰かに迷惑かけたりするのは、確かにやっちゃいけないとは思うよ? でもね――」


 そしてヤミは目を開き、優しく諭すような視線を向ける。


「それが一生懸命頑張った上のことなら、やる価値は十分にあると思う。自分の意志で決めたことなら、尚更だよ」

「一生懸命……がんばる」

「そ。あんたにもあるんじゃないの? 譲りたくないことの一つや二つくらいはさ」


 ヤミに言われたレイは、俯きながらも考える。なんとなく思い浮かびそうで、思い浮かんでこない。何か答えようにも言葉は出てこなかった。


「――まぁ、実際あるかないかは、この際どうでもいいんだけどね」


 困ったような表情を浮かべているレイに、ヤミはフッと笑みを深める。


「仮にレイがお父さんやお母さんとケンカしたとしても、周りの反応が大きく変わるとは思えない。せいぜい出だしで驚かれる程度だよ」

「……そうかな?」

「まぁ、やってみなけりゃ、なんとも言えないけどね。ただ、これだけは言える」


 ヤミは笑みを浮かべながらも表情を引き締め、どこか不安そうに見上げてくるレイをまっすぐ見据える。


「自分から立ち上がって動き出さなけりゃ、何も変わんないってことさ」


 そして、ハッキリとそう言い切った。呆けたまま言葉が出ないレイに、ヤミはそのまま話を続ける。


「自分から動けば、悩んでることもどうにかなるの?」

「さぁね。成功するのか失敗するのかは、それこそやってみなきゃ分かんないよ。何もせずに失敗するよりかは、何百倍もマシだとは思うけどね」

「……結局は、自分でどうにかするしかない?」

「そゆこと」


 迷いなくヤミは認める。答えが得られたようで得られなかったような、ちゃんとした回答があったようでなかったような――そんな複雑な気分を味わっていた。

 しかしながら、妙に頭の中がスッキリしているのも確かだった。

 表情から重々しさも抜け落ちているのがその証拠だ。もっともレイ本人は、それに気づいていなかったが。


「――お姉ちゃんは凄いよね」


 レイは無意識に、思っていたことを口に出す。


「わたしみたいに変に迷ったりせず、スパッと決めて動き出せるんだから」

「ハハッ、そんな大層なもんじゃないさ」


 ヤミは明るい声で笑い出す。しかしその直後、スッと表情を落ち着かせ、地面を見下ろしながら言う。


「しっかりと顔を上げて、前を向いて突っ走る――ただ、そうしてきただけだよ」


 それはなんだか恥ずかしそうにも見えて、そしてどことなく憂いでいるようにも見えたような気がした。

 ヤミがどのような心情なのか、それをレイが理解することはできない。

 だが少なくとも、変に誤魔化そうとはしておらず、彼女なりの本心であることは、なんとなく感じ取れていた。

 それだけでもレイは凄いと思っていた。

 ちゃんと自分の言いたいことを伝えている――今まで自分ができなかったことを、目の前のお姉さんはしているのだと、レイは感服していた。


(やっぱりお姉ちゃんは、ホントに凄い……それに比べて、わたしは……)


 幾度となく考えてきた。しかしその都度諦めてきた。周りの声を気にして――否、反対されることを恐れるがあまりに。


(お母さまたちへの迷惑とか……こーゆーの、ただの『言い訳』っていうのかな?)


 そう思いながら、レイは小さな笑みを浮かべ出す。そして改めて、隣に座るヤミのほうを見上げた。


「あの、お姉ちゃん」

「ん?」

「もう一つ、聞いてほしいことがあるんだけど……いい?」

「もちろんさ。遠慮せずに言ってみなよ」

「――うん!」


 レイは心から嬉しそうに頷く。その満面の笑みに、ヤミも思わず優しく表情を綻ばせてしまった。

 そしてレイの口から語られる。

 本来ならば自分たちには、もう一人『姉』がいたはずなのだと――


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