046 ヤミ、キングボアを仕留める



「嬢ちゃん、気をつけろ! ソイツはさっきのヤツらとはワケが違うぞ!」


 大柄で筋肉質の冒険者が叫ぶも、ヤミは頷きすらしない。ただ前を向き、キングボアと睨み合っていた。

 他の猪たちも動きを止め、親分の行動を見守っている。

 そして他の冒険者たちもまた、緊張を走らせながら見守っていた。

 無意識ながらに気づいてしまったのだ。ここで下手な行動に出るほうが、かえって邪魔になってしまうことを。理屈抜きにそう断言できるほど体が動いてくれず、それでいながら恐怖による震えもさほどではない。

 しいて言うなら――緊張。

 どちらが先に動き出すのか、そうなった場合の展開はどうなるのか。数分――否、数秒後に立っているのはどちらなのか。

 恐らく起こり得るであろう数々の出来事が、各々の頭の中を駆け巡る。

 そんな中――


「っ!」


 先に勢いよく地を蹴り出したのはヤミだった。


「ブモッ!」


 キングボアも一秒ほど遅れて反応し、勢いよく駆け出す。

 しかし戦場において、そのたった一秒の遅れは生死に関わる。それは魔物だろうと変わらない。


 ――ニッ!


 ヤミの口元がわずかに釣り上がる。同時にしなやかな身のこなしで、走りながらその身をよじらせ――飛んだ。

 キングボアが反応を示すが、時すでに遅し。

 猪という生き物の特性上、全速力で走る中、急な方向転換はまず不可能だ。おまけに猪は四足歩行。ヒトのように手で障害物を遮るという手段は取り辛い。走りながらであれば、ほぼ不可能と言っても差し支えないだろう。

 無論、ヤミはそれを狙って仕掛けたのだ。

 飛びながらも体制は崩さず、がら空きとなった胴体の脇を目掛け――


「はっ!」


 解き放たれた蹴りの重々しい音と同時に、猪の巨体が真横に吹き飛ばされる。そして蹴り飛ばした張本人は、そのまま滑るように地面に着地し、そのまま宙に浮かぶ巨体に狙いを定め――再び地を蹴った。

 勢いよく迫りくる少女の姿を、キングボアは視線で捉える。

 しかしそれができたからと言って、もはや成す術がないのは明らか。魔法などの特別な能力もない。本当に巨大な猪の魔物に過ぎないキングボアは、迫りくる少女のギラッと光る鋭い眼光を、ただその目に焼き付けることしかできなかった。

 小さな体は、巨体の真上を通過する。

 そのタイミングで、鍛え上げられ引き締まった脚が、鮮やかに空の中を回転する。

 揺れる真っ白な髪の毛が、太陽の光に照らされて光るのが見えると同時に――巨体が真下に落ちた。


 ――ずうぅんっ!


 地面が揺れ動くほどの重々しい音とともに。


「よっと!」


 しゅたっ、と軽やかな着地を披露し、顔を上げたヤミの表情は、実に清々しそうな笑みを浮かべていた。

 キングボアは完全に沈黙。勝利を確信した彼女は、満足そうに唇を吊り上げる。


「す、すげぇ……」

「あっという間に仕留めちまいやがった」

「マジかよ」


 次々と発せられる、戸惑いと驚きに満ちた冒険者たちの声。しかしヤミの表情は、引き締められたままであった。

 なにより、全身に纏う魔力のオーラが、未だ解除されていない。

 それはまさに、いつでも動き出せる体制そのもの。戦いはまだ終わっていないことを示していた。


「――ブルゥッ!」

「ゴフッ」


 怒りに満ちた獣の声が、風に乗って流れてくる。

 ヤミが視線を動かしたその先には、今しがた仕留めた巨体と同等――もしくはそれ以上の大きさを誇る同じ魔物が、ゆっくりと姿を見せた。


「キ、キングボアだ!」

「ウソだろ? 立て続けに何匹も出るなんて……今までになかったことだぞ!」

「もしかしてこれは、こないだの魔物襲撃の影響なのか?」


 武器を構える冒険者たちであったが、その声はかすかに震えていた。

 無理もない話である。普通ならば一度に出るのは一匹――多くても二匹なのだ。それが立て続けに三匹や四匹、もしかしたら他にも控えているかもしれない。

 猪の魔物が巨大化しただけとはいえ、その力は桁違いである。

 突進をまともに受ければ重体――ともすればその瞬間、命そのものが吹き飛ぶことも珍しくない。

 仮に突進をやり過ごし、剣などでその大きな体を切りつけたとしても、多少の傷如きでは倒れることはまずあり得ない。むしろ余計に怒りを募らせ、狂暴化させてしまうのが関の山である。

 故に、単純ながらも厄介な存在なのが、キングボアという大型な魔物なのだ。

 そんな存在が立て続けに出現しようともなれば、手練れの冒険者でさえ、緊張で冷や汗が流れ落ちるのは自然なことだ。

 しかし――


「へぇ。こりゃまたでっかいのが、たくさん出てきてくれたもんだ♪」


 世の中には『例外』という言葉が存在している。それはこの場においても、しっかり当てはまるものであった。

 キングボアを蹴り二発で仕留めてしまう少女という名の、決定的な『例外』が。


「面白い。そっちがその気なら――」


 少女はにやりと笑いながら、その右手に魔力を宿す。


「受けて立とうじゃないの!」


 そしてその魔力は、真っ白な光の塊となって、キングボアの一匹に直撃し、いともたやすく吹き飛ばしてしまう。


「――みんなまとめてかかってきな! 巨大な肉の塊にしてやるよ!」


 それは決して、比喩とは言い切れないものであった。意気揚々と笑いながら立ち向かっていくヤミの姿を、冒険者たちはただ、茫然として見ていた。

 手伝おうにも手伝う隙がない。

 俺たちはこの場に来た意味があったのだろうか――割と本気でそんなことを考える者もいるくらいだ。

 何匹もの巨体が空を舞う。小さな獣たちは巻き添えを食らい、混乱して逃げるも、待ち構えていた冒険者たちの餌食となる。

 もはや、魔物たちに成す術は、どこにもなかった。

 仕留められた猪が積み重ねられていき、それが巨大な山と化すのに、そう時間はかからなかった。


「凄い……お姉ちゃんって、あんなに強かったんだ……」

「くきゅーっ♪」


 そんなレイの呟きに答えたのは、ヤミをママと慕っている、小さな一匹の白い竜だけなのだった。


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