045 イノシシの大群を討伐せよ
「――キングボア?」
「あぁ。どうやらそれが、大量発生の主な原因らしい」
魔界都市のギルドマスターから、ヤミは大まかな事情を聴いていた。
縄張りを追われたキングボアとその群れたちが、彷徨う間に空腹で狂暴化し、都市と村を繋ぐ道で人々が育てた作物を荒らしているというのだ。それに人々が下手に対抗した結果、魔物たちの狂暴化は更に増幅。遂には城を構える都市に向かって進行してきているとのことであった。
都市の街門を出て、平原を少し歩いたところにある高台。
そこに冒険者や騎士たちのキャンプ地を構え、大量発生したボアの討伐対策本部となったその場所に、ヤミたちは来ていた。
「このまま放っておけば、この魔界都市にも大きな被害が及ぶ」
「まぁ、確かに魔物が入り込んじゃったら、町中が大騒ぎになるもんね」
「それもあるが、なにより他の村や町との物資の流通が、完全にストップしてしまうのが怖い。この都市で扱われている食材などは、殆どが他の村で生産され、運ばれてきたものだからな」
ギルドマスターは苦々しい表情で、平原を見渡す。
「中心部にあたる都市が生き残れば良し……というわけにもいかん。魔界は全ての村や町も合わさって、一つの世界として成り立ってるからな。このような騒ぎは、早急になんとかしなければならんのだよ」
「なるほどね。それが魔王であるブランドンのお達しってこと?」
「まぁな。そして俺も同じ気持ちではある。どうか一つ、力を貸してほしい」
「うん、お任せあれ」
二つ返事で頷くヤミに、ギルドマスターも満足そうに笑う。
「報酬はお前さんの望みどおりにしてやる。もっともそのためには、お前さんが先陣切って頑張ってもらわにゃならんが……」
「そのためにこうして来たんだよ。最近ちょっとばかし暴れてないもんでね。むしろいい機会って感じさ」
「はは、そいつは頼もしい限りだな」
軽い口ぶりではあるが、ギルドマスターはヤミに信頼を置いていた。これまでの功績も確かにあるが、なにより今現在見せている『目』だ。
ちょっとだけ暴れてくる――そんな軽い気持ちなどではない。この時を待っていたと言わんばかりのやる気を見せていた。むしろこのような絶好のチャンスを、逃す手などないだろうと言わんばかりに。
実際、彼女の視線も、それを物語っていた。
もはやギルドマスターどころか、周りの人々すら興味を示していない。あるのは前方のほう――その先にいるであろう魔物の大群だけだ。
集っている冒険者たちには、単なる討伐すべきものなのだろうが、果たしてヤミの目にはどのように映っているのか。
それは彼女にしか、分からないことであった。
「――前方! 動き出しました!」
伝令役の冒険者が、双眼鏡を覗き込みながら叫ぶ。
「キングボアとその群れたちが、この都市に迫ってきています!」
「そうか。よーし、こちらもそろそろ行くぞ。みんな、準備はいいか!?」
『おおおおぉぉぉーーーっ!』
ギルドマスターの掛け声に、冒険者たちが武器を掲げ、腹の底から気合いとともに声を張り上げる。
まさに戦場の始まり。男も女も関係ない、戦う者たちの楽園と化していく。
そして――
「討伐クエスト開始だ! 迫りくる魔物を一匹残らず――」
「んじゃ、ちょっくら行ってきまーす!」
宣言と同時に、ヤミが颯爽と飛び出していくのだった。
「え、あっ、おい、ちょ――」
思わず声を上げながら手を伸ばしかけるギルドマスターだったが、その後ろ姿は止まるどころか、走る速度をみるみる早めていく。
武器を掲げていた他の冒険者たちも、一斉に呆けた表情と化していた。
「……ったく、しょーがねぇなぁ」
後ろ頭を掻きながら、ギルドマスターは苦笑する。まるでこうなることが分かっていたような素振りを見せており、慌てている様子も全くない。
ギルドマスターは改めて仕切り直すべく、コホンと咳ばらいをする。
「先陣切ったヤツに後れを取るな! 迫りくる魔物を、一匹残らず仕留めろ!」
その掛け声に、冒険者たちは若干の戸惑いこそ浮かべてはいたが、皆揃って威勢のいい声を上げるのだった。
◇ ◇ ◇
「やれやれ。ヤミってば一体、どこまでやる気マンマンなんだか……」
裏方として救護所の設置を手伝っているヒカリが、先陣切って飛び出していくヤミの姿をしっかりと見届けていた。
そしてヒカリの傍には、とある一匹の姿も――
「くきゅ?」
「うん。シルバも僕たちと一緒に、ヤミを応援しようね」
「くきゅーっ!」
シルバであった。
流石に引っ付いたまま動きまくるのは難しいということで、今回ばかりはヒカリとともに下がることになった。
渋るかと思いきや、思いのほかすんなりと頷き、ヒカリの元へ向かったのだった。
これもシルバがヒカリを『パパ』と思っているが故だろう。
そうでもなければ、間違いなくヤミと離れることを嫌がり、ちょっとした騒ぎになっていたことは明白だ。
ヒカリが今回、率先してビッグボア討伐のサポートに参加した理由も、シルバを預かるという名目を得るためであった。
その目論見は見事に当たったと言える。
「お姉ちゃん、大丈夫かな?」
「あぁ、それならフツーに大丈夫でしょ」
心配するレイに、ヒカリがあっけらかんと答える。
「ヤミの強さは別格だからね。イノシシの大群ぐらいなら、なんてことないさ」
「そんなになんですか? 凄いなぁ……」
ラスターが驚きの声を上げる。ヒカリから話に聞いてはいたのだが、いまいち信じ切れていなかった。話を盛り上げるために、多少なり作っていたのではないかと。
しかしここにきて、それが一気に現実味を帯びてきた。
冒険者たちも驚いてこそいるが、誰一人として、ヤミのことを下に見ているようには感じられない。むしろすぐに順応しており、負けてたまるかという意地とプライドのぶつかり合いに興じる声が、裏方の耳にもたくさん聞こえてくる。
子供ながらにラスターやレイも理解できていた。
要するに、それだけヤミという存在が、周りから評価されているのだと。
好き勝手暴れているようにしか見えないその行動も込みで、周りが彼女のことを認めているのだと。
実際その考えは間違っていない。
迫りくる猪の軍勢を、ヤミは自慢の素早さと鍛え上げた格闘術を駆使して、片っ端からなぎ倒しているのが見えた。
まるで、巨大なぬいぐるみを吹き飛ばすかのような感じで――
「大きなイノシシが、あんな簡単に……あれがキングボアですか?」
「いや、あれは普通のヤツだね。キングはもっと何倍も大きいはずだよ」
唖然としながら訪ねてくるラスターに、ヒカリは手を動かしながら、視線だけを向けてサラリと答えた。
「それでもイノシシ本来の力は、かなり強いからね。ヤミが魔力で体を強化しているからこそ、あんな感じで軽く吹き飛ばせるってところかな」
「身体強化……」
包帯を運びながら黙って話を聞いていたレイは、弟の服の裾を引っ張った。
「ねぇねぇラスター。魔力の身体強化って、結構難しいハズだよね?」
「うん。ボクも何回か見たことはあるけど、あんな自然に大暴れしている人なんて、一人も見たことがないよ」
「つまりそれだけ、お姉ちゃんの実力が凄いってこと?」
「……そーゆーことになると思う」
双子たちは顔を見合わせる。遠巻きでしかないが、それでもヤミの実力を見て、驚かずにはいられなかった。
そして、そんな彼女に興味を抱く自分たちが、確かにいたのだった。
「見ろ! なんか凄いでっかいのが出たぞーっ!」
するとその時、同じサポーターを務める青年が、指をさしながら叫ぶ。流石にただ事ではなさそうな雰囲気であり、ヒカリも双子たちも手を止める。
そして目を凝らして、その方角を見てみると――
「確かに……デカイのが出てきたっぽいね」
ヒカリは思わず顔をしかめ、呟いた。なぎ倒していく猪の大群の奥から、ゆっくりとその姿を見せた。
普通のより一回りも二回りも体が大きい猪の魔物――通称、キングボア。
狂暴化して、いまにも突進してきそうな勢いを見せているそれに対し、冒険者たちの中でも一歩前に出た状態で、堂々と対峙している人物がいた。
真っ白な髪をなびかせる少女の後ろ姿は、下手な男よりも勇ましく見えていた。
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