043 ヤミとレイの語らい



「――おいしい!」


 木陰の下でボトルの中身を一口飲んだレイが、目を見開きながら声を上げた。


「こんなに甘い野菜ジュース、初めて飲んだよ!」

「ハハッ。気に入ってもらえたかな? 他にもいっぱいあるよー」


 バスケットの中には、色とりどりの野菜とベーコンのサンドイッチ。フルーツの盛り合わせもあった。

 いつ、レイの目が覚めてもいいように、あらかじめ用意してもらっていたのだ。

 目覚めない間の数日間は、バスケットの中身はヤミが責任をもって、ひとかけらも余すことなく平らげていたのだが、今日はようやく、当初の目的である人物の腹に収まる形となった。

 別にそれがなくとも、ヤミのおやつ代わりの軽食は毎日用意されているため、周囲からすれば結果的に大して変わらないのは、ここだけの話である。


「はむっ……んんっ! このサンドイッチもおいしい! こんなに甘くてシャキッとしている野菜、食べたの初めてかも!」

「そう。後でヒカリにも言ってあげな。全部あの子が作った野菜だからね」


 サンドイッチを頬張るヤミもまた、自分のことのように喜んでいた。

 基本的にヒカリのやることなすことは、表に出ることはない。色々な面で『裏方』という言葉がピッタリであり、当の本人もそれを否定しないどころか、むしろそれを狙っている節すらある。

 それ自体をヤミはどうこう言うつもりはない。

 ヒカリが自分で決めたことなのだから、いくら姉貴分とはいえ、周りがとやかく言うことではないと。

 しかしながら、やはり注目されない寂しさも、微妙に感じてはいるのだ。

 故にヒカリが賞賛される内容になると、自然と嬉しくなってしまう。それこそヒカリに呆れられたこともあるくらいだ。

 なんでヤミが喜ぶのさ――と。

 それも全ては、ヤミがヒカリを大切に思っているからこそだ。

 傍から見れば明らかに『特別』を通り越したそれを、当の本人たちは自覚しながらも見過ごしている。

 まるでそれが当たり前だと言わんばかりに。


「あ、そうそう。あんたたち双子のことなんだけどさ――」


 一つ目のサンドイッチをペロリと平らげたところで、ヤミが切り出してきた。


「しばらくこの城で保護することになったよ」

「ここで、ですか?」

「うん」


 サンドイッチを両手で掴みながら見上げてくるレイに、ヤミが頷く。


「ラスターから粗方の事情も聴いて、それをブランドンにも話して、あたしとヒカリが面倒見ることを条件に、それが決まったって感じかな」

「そうなんですね。ありがとうございます」

「はは、かしこまることはないよ。あたしたちとここでのんびり過ごせばいいさ」


 ヤミがレイの頭を撫でる。ふわふわとした黒髪が、柔らかくて心地良い。


「ちなみに大聖堂には、ブランドンから手紙を出してもらったよ」

「ブランドン……魔王さまですか?」

「うん。だから二人が無事だってことは、あんたたちのお父さんやお母さんにも伝わってる頃だと思う」

「そうですか。それは良かったです」

「結果的に何日も留守にさせちゃってるからね。きっと心配してるんじゃない?」

「だといいですけど」


 苦笑しながらレイは言うが、その言葉が冗談ではなく、どこか本気らしさを交えていたことに、ヤミは気づいていなかった。


「ちなみにお医者さんが言うには、あんたたち二人の体は異常ナシだってさ。むしろ健康体だから、しっかりご飯食べさせるようにって言われたよ」

「どーりで……お腹空いたなぁって思ってたんです」

「はは、そーかい」


 ヤミが笑い飛ばす隣で、レイはしっかり二つ目のサンドイッチを手に取り、はむっと勢いよく食べる。夢中で頬張っていたところをヤミに見られ、レイは慌てて咀嚼していたサンドイッチを飲み込んだうえで、恥ずかしそうに視線を逸らす。


「す、すみません。はしたないマネを……」

「はしたない? 何が?」


 ヤミのきょとんとしている表情は、視線を逸らすレイには見えていなかった。


「その……夢中でバクバク食べちゃってたので」

「別にいいんじゃない? あたしは気にしないけど?」


 気を使っている様子もなく、本当にそう思っているが故の、どこまでもあっけらかんとした口調。そんなヤミの様子に、レイはようやく気付いて振り向いた。

 何の感情も込められていない表情がそこにあった。

 言葉どおりの意味。それ以上でもそれ以下でもないと、理屈抜きに感じられる。この人は本気でそう言っているのだと。


「あ、そんなことよりもさ――」


 そしてヤミは、何事もなかったかのように話題を切り替えてくる。恥ずかしそうにしていたレイのことなど、もはや覚えているかどうかすら怪しいほどであった。


「あんたたちを狙ってきたっていう曲者……レイは何か心当たりってある?」

「…………」


 そしてレイもまた、ヤミの質問で表情を切り替える。確かにそれはそれで、考えなければならないことだということは分かる。

 しかし――


「ごめんなさい。本当に何も分からないんです」

「そっか。ラスターにも聞いたけど、心当たりは全くないって言ってたもんなぁ」


 ヤミはボトルの中に残っていた野菜ジュースを飲み、大きなため息をつく。


「魔族の仕業って可能性も、ギリでありそうな気はしているし……」

「いえ、それはないと思います!」


 するとそこでレイが、強く否定してきた。


「もしも魔族の人が誘拐を企んでいたとしても、それを実際にするのは無理です」

「なんで?」

「……大聖堂に、魔族の人が入ることはできませんから」

「そうだっけ?」

「はい。昔、お母さまが魔界に連れ去られた事件が原因だとかで……」

「あ、そゆこと」


 ヤミもすぐさま納得した。聖女という大きな立場の人物に深いトラウマを刻み込んだらしい、というのは聞いたことがある。大聖堂側が神経質になるのも、無理はないような気はしていた。

 しかしその一方で、ヤミは一つの可能性が頭に浮かぶ。


「でも、大聖堂側に協力者的なのがいれば、話は別になってくるんじゃない?」

「協力者……大聖堂の誰かが、わたしたちを?」

「それこそ『ない』とは、まんざら言い切れない気もするけどね」


 ヤミの言葉に、レイの表情が曇る。自分たちの周りにいる誰かが犯人だとは、流石に思いたくはなかった。


「まぁ、いずれにせよ分かっていることは、あんたたち双子の運が、この上なく良かったってことぐらいかな?」


 気持ちを切り替える意味も込めてなのか、ヤミはやや意識したかのように、明るい声を出してきた。


「ある意味、魔界で一番安全な場所に飛んで来れたんだからね。何もない荒野のど真ん中に飛ばされた――なーんて可能性もあったわけだし」

「ですね……」


 小さな苦笑を浮かべながらも、レイは背筋を震わせる。もしそうなっていたら、どうなっていたのか。最悪の未来しか想像できない。


(ヤミさんたちに助けてもらえて、本当に良かった……)


 安全な場所もそうだが、安全な人たちに巡り合えたのは、単なる幸運という言葉では片づけきれない。

 なにより助けたのが彼女たちでなければ、周りを信用できていなかった。ここは魔界という名の『敵地』――ずっとそう習ってきた、見えない暗黒だと思い込んでいた場所なのだから。


「そういえばヤミさんって、魔族じゃなくて人間……」

「うん、そうだよー」

「――えっ?」


 心の中で呟いたはずだったのだが、思わず声に出してしまったことに気づき、レイは顔を赤くする。

 それに構うことなく、ヤミはきょとんとした笑みを向けてきていた。


「何? あたしが人間だってことに、なんか疑問でもあるの?」

「え、いや、あの……」


 視線を右往左往させるレイ。このまま誤魔化したいところではあったが、生憎いい言葉が浮かばず、素直に話すことにする。


「ヤミさんは人間なのに、魔界にいて大丈夫なのかなって……その……」

「あぁ、聖女の事件があったからってヤツ?」

「……はい」


 レイは顔を赤くしながら俯いた。自分は一体何を聞いているのかと、そんな謎の自己嫌悪に陥っている。

 しかしそんなレイに対し、ヤミはニッと笑みを浮かべた。


「そんなに言うなら……レイ」


 ヤミはレイの頭に優しく手を乗せ、そして顔を覗き込むように言った。


「これからちょいと一緒に、魔界の町でも見に行ってみるかい?」


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