第二章 ヤミと兄妹たちの軌跡
040 ヤミと不思議な夢
――や。また会ったね。
当たり前のように『それ』は話しかけてきた。
姿形は見えない。だから『それ』が誰なのかも分からないはずなのに、ヤミはごく自然にその存在を受け入れていた。
――久しぶり、でいいのかな?
――ん。いいと思うよ。久しぶりだね。
ヤミの問いかけに『それ』は答えた。
表情は見えない。けれど確かに笑っていることが分かる。だからヤミも自然と小さな笑みを浮かべていた。
細かい理屈なんていらない。考える必要なんてどこにもない。
そこに『それ』がいること自体が、なによりの答えなのだから、と。
――どうやらまだ、目覚めただけみたいだね。
穏やかな空気が流れる中、『それ』は切り出してきた。
――自分の手足とするには全然足りない。
――急に言ってくれるね。
――しょうがないよ。だってホントのことだもん。
――なにそれ。
ヤミは苦笑する。意味不明ではあったが、不快さは感じられない。むしろそれに対して親しみすら沸き上がってくる。
同時に、聞き逃すわけにはいかないとも思えていた。
それぐらい大事な話をしているのだと、無意識に感じていた。決してふざけたことを言っているのではない。理屈抜きに自分の全身全てがそれを認めている。
――それで?
だからヤミもまた、表情を整えながら問いかけるのだった。
――あたしはどうすればいいの? 今のままじゃダメなんでしょ?
――いずれ分かるよ。
――答えになってなくない?
――だって、ここじゃ答えようがないし。
でもね――と、『それ』は続けた。
――きっとあなたなら大丈夫だよ。
――なんでそう思うの?
――信じてるから。
――また軽く言ってくれるね。
――このまま何もしないつもりはないでしょ?
――もちろん。
それ以外の答えなんてありえない、と言わんばかりにヤミは即答する。それを聞いた相手もまた、心から満足そうに笑っていた。
少なくともヤミにはそう感じていた。
――もうすぐちゃんと会えると思う。わたしは信じてるから。
そして『それ』は、ゆっくりと浮かび上がるようにして遠ざかる。
――あ! ねぇ、ちょっと!
慌ててヤミが去り行く『それ』に手を伸ばしたその瞬間――
「……っ!」
目が覚めた。夜明けの光が薄っすらと挿し込んでおり、まだ起きる時間には早い。
それが分かるくらいに、ヤミは完全に頭が冴えてしまっていた。もはや寝直すことはできないだろう。
「くきゅぅ……」
もぞりと動きながら、シルバが気持ちよさそうに寝息を立てている。その可愛らしい姿に自然と笑みを零しつつ、ヤミはゆっくりとベッドから起き上がった。
◇ ◇ ◇
「――ふわあ~ぁ~」
眩しい日差しが降り注ぐ裏庭の菜園にて、ヤミは大きな欠伸をする。そこに作業着に麦わら帽子を被り、首にタオルを巻いた相変わらずの姿で、ヒカリが鍬を担ぎながら歩いてきた。
「眠たそうだね?」
「なんか妙な夢を見ちゃってねぇ」
「ふーん、どんなの?」
「よく覚えてない」
「あらら……」
後ろ頭を掻きながら浮かない顔をするヤミに、ヒカリは苦笑する。よくある話と言えばそれまでではあるが、それにしてはいつもの彼女らしくない気もしていた。
「今朝からずっとここにいるのも、それが理由?」
「まーね。今日もシルバを連れてどっか出かけるつもりだったんだけど……なーんかそんな気分でもなくなっちゃったんだわ」
いつもならヤミは、朝から夕方までギルドが出しているクエストをこなしている。シルバも連れて色々なものを見せてあげたいという気持ちもあり、最近では他の冒険者たちからも、ヤミとシルバはすっかり人気者と化していた。
魔界では竜を連れて歩くのも、それほど珍しいわけではない。
実力者であれば尚更であった。
加えて彼女はれっきとした人間だが、今や種族の違いを気にする者はいない。
折り紙付きの実力故に、結果を出す期待値も高い。尚更あーだこーだと文句を言う理由もないのだ。いたとしても、彼女の実力に嫉妬をしている小物程度。沈静化も非常に早く、被害と呼べるような出来事はない。
ヤミたちにとって魔界の王都は、立派な居場所と化しているのだった。
「キュイキュイー♪」
「くきゅー♪」
楽しそうな鳴き声が聞こえてきた。視線を向けると、野生のスライムたちと元気よく遊ぶシルバの姿が目に飛び込んでくる。
自然と表情を綻ばせつつも、ヤミは再び浮かない表情に戻る。
「……何だったんだろ、あれって」
所詮は夢。単なる出鱈目なのかもしれない。しかしどうしてもヤミは、あれが単なる夢とは思えなかった。
そもそも本当に夢だったのだろうか。
夢であって夢ではない――そう表現するのが正しい気がしており、意味不明ながらも妙に納得できてしまうのが現状であった。
もっとも意味が分からない以上、考えの整理がつかないのも確かではあるが。
「――分からないことを無理して考えたところで、何にもならないよ」
そう言いながら、ヒカリが採れたての野菜や保存用の加工肉などを持ってくる。
「腹ごしらえすれば頭もスッキリするよ――はい、どーぞ」
「あ、どうもー♪」
ヒカリが差し出してきた採れたてのトマトをヤミが受け取る。真っ赤で瑞々しく、形も大きいそれに、ヤミは笑顔で大きな口を開け――
「はぐっ!」
思いっきりかぶりつくのだった。そして果肉に塩を振り、更に齧る。
そしてヒカリが裏庭の小屋から出してきた非常食――クラッカーやコンビーフ、魚肉ソーセージも一緒に食べる。
それはもう一心不乱にモシャモシャと。
更にそれを牛乳で流し込み、再び新しいトマトに手を伸ばした。もはや手が止まる様子はない。
そんな彼女の姿に、ヒカリは頬杖を突きながら苦笑する。
「はは、よく食べるねー」
「なんかおなか空いてたみたいで……ふふ、んまぁい♪」
美味しい食べ物にヤミの笑顔が絶えることはない。楽しそうに走り回るシルバやスライムたちの声も聞こえてくる。
そんな魔物たちの姿を、ヤミとヒカリは木陰に座って見守る。
これもまた、彼女たちにおける一種のルーティーンと化しつつあるのだった。
「少しは気晴らしになったみたいだね?」
「ん? 何がー?」
「なんでも」
やっぱりヤミはヤミだった――そんなことを思いながら、ヒカリは脱力するように座りながら足を延ばし、木漏れ日を見上げる。
「……もう、八年くらいか」
独り言のようにヒカリが呟く。
「思えば僕たちも、随分と長い付き合いになったもんだよね」
「あー、そういえばそうだねぇ」
新しいトマトに被りつきながら、ヤミは空を仰いだ。
「懐かしいなぁ。あれは確か……」
ちょっとした思い出話を語り出そうとした、まさにその時であった。
――パアアアァァッ!
裏庭の中心部が眩く光り出す。よく見るとその地面には、巨大な魔法陣が出現していた。
「くきゅ!?」
「ピキキキキィーーーッ!」
魔物たちも大慌て。スライムたちはあちこちに飛び跳ねており、シルバは率先してヤミの元へ飛んで戻ってきて、彼女の胸元にしがみつく。
それを受け止めながら、ヤミも魔法陣に注目し、険しい表情とともに身構える。
「あれって……まさか転移魔法!?」
見覚えのある魔法陣もさることながら、その光の中から人影らしきものが浮かび上がり、そしてドサッという音とともに具現化する。
何かが転移されてきたのは間違いない――それは断言できた。
しかしその直後、ヤミとヒカリは別の意味で驚かされることになる。
「えっ……こ、子供?」
「くきゅー?」
ヒカリの驚く声にシルバが首をかしげる。現れたのは確かに子供――それも顔立ちがよく似ている、男の子と女の子の二人であった。
魔法陣の光は消え、それから新しく何かが現れることもない。そのまま数秒が経過しても、静かな時間が流れるばかりであった。
「――なんかよく分からないけど」
ヤミがシルバを抱えたまま、子供たちの元へ駆け出した。そして近づいてみると、二人揃って目を閉じ、意識を失っていることが分かる。シルバを下ろしてそっと首筋に手を当てると、二人揃ってちゃんと脈があることも確認できた。
「ヒカリ。すぐにこのことをブランドンに伝えて! あたしはこの子たちを!」
「分かった!」
城内に向かって駆け出していくヒカリの足音を聞きながら、ヤミは丁寧に子供たちを抱きかかえる。ひとまず日陰のある芝生に運び、寝かせることにした。
二人とも苦しそうな様子はない。ただ眠っているだけだ。
ヤミとシルバは、目を閉じている二人の子供たちの顔を覗き込む。
「くきゅー」
「よく似てるよねぇ。双子なのかな?」
そうじゃないほうが驚くくらいに、二人の顔立ちは瓜二つであった。しかしヤミはそれ以上に、二人に対して気になることがあった。
具体的に言えば、二人が着ている服に刻み込まれているものに。
「これって……もしかして、大聖堂の紋章じゃない?」
軽い驚きを見せるヤミに対して、シルバがどうしたんだろうと言わんばかりに、コテンと首をかしげるのだった。
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