039 聖女アカリの涙



 一方その頃――人間界のとある町の冒険者ギルドに、客人が訪れていた。


「ベルンハルト殿。大聖堂からの長旅、本当にお疲れさまです」

「いえ。そちらも大変な目にあわれたようで」


 深々と頭を下げてくるギルドマスターに、ベルンハルトと呼ばれる男性が気さくに笑いかける。


「突然ギルドに魔族が現れ、我が妻によく似た少女が連れ去られた――と」

「はい……てっきり聖女様のご息女のルーチェ様かと思いきや、全くの別人だったという始末でした」

「私もその手紙をいただいたときは驚きましたよ。それ以上に――」


 ベルンハルトが重々しく目を閉じる。


「妻が今回の件について、いたく気にしているようでした」

「聖女アカリ様が、ですか?」

「えぇ」


 戸惑いながら尋ねるギルドマスターに、ベルンハルトは頷く。そして小さなため息をとともに扉の向こう――正確には別室に視線を向けた。


「本当はここへも私一人で来る予定だったのですが、どうしても自分で確かめたいと妻が言って聞かなかったもので……」

「それでアカリ様も来られたと。今はリコスという新人冒険者から、話を伺っているようですが」

「そのリコスなる少女が、連れ去られた少女に助けられたと聞きました」

「はい。薬師のオババから聞いたのですが、彼女の名前は『ヤミ』だそうです」

「ヤミ……聞いたことないですね」


 顎に手を当てて考えてみるが、そのような名前の人物と出会った覚えはない。シンプルな名前もそうだが、なにより娘と顔が似ているとなれば、まず忘れることはないだろう。

 自他ともに認めるほど家族を愛する者であれば、尚更であった。


「まずはそちらの疑惑について、私の口からハッキリとさせておきましょう」


 ベルンハルトは背筋を伸ばして切り出した。


「そのヤミという娘がルーチェであるということは、まずないでしょう。あの子は生まれて間もなく、とある不幸によって、この世を去りましたから」

「そ、そうだったのですか!」

「ご存じないのも無理はありません。それにつきましては事情も相まって、あまり話を広めていませんので」


 驚きを示すギルドマスターに対し、ベルンハルトはどこまでも淡々としていた。


「ちなみに、そのヤミという娘の年齢は?」

「たしか十八歳だと……」

「だとすれば、尚更あり得ない話です」


 スッと目を閉じながら、ベルンハルトは言う。


「もし仮にルーチェが生きていたとしても、現時点では十二歳……もうすぐ十三歳の誕生日を迎えますが、それでも明らかに年齢が合いません」

「そんな……」


 改めてギルドマスターは、自分がとんでもない勘違いをしていたと自覚する。流石に十八歳と十三歳では、成長期も相まって違いは大きいはずだ。多少の発育の良さを加味しても、一致させるには少しばかり無理がある。


「なんてことだ……僕のせいで彼女には、大きな迷惑をかけてしまった」

「今は無事を祈るしかありません。聞いたお話によれば、彼女はアイテムボックスを持つほどの実力者とのこと。その腕前を信じる他はないでしょう」

「えぇ」


 ギルドマスターは重々しく頷いた。彼も分かっているのだ。ここでいくら悔やんだところで、どうにもならないと。

 空気を変える意味も超えて、ベルンハルトは手のひらで膝を軽く叩いた。


「この件は、私どものほうでも調べてみます。聖なる魔力が狙われているとなれば、おいそれと見過ごすわけにはいきません」

「すみません。大した情報を得られなかったのは、痛恨の極みです」

「お気になさらないでください。今回頂けたお話だけでも、私どもからすれば貴重な情報に値しますから」

「そう言っていただければ幸いです。僕もギルドマスターとして、もっと気を引き締めていかなければなりませんね」


 拳を握り締め、気合いを込めるギルドマスターの様子に、ベルンハルトも少し安心したような表情を見せた。

 しかしその内心では、大いに気になっていることがあった。


(俺たちの娘と間違えるほど、アカリと顔立ちが似ている少女、か……)


 普通に考えれば『他人の空似』という可能性が一番高い。しかし本当にそれで片づけていいものだろうかと、ベルンハルトは踏ん切りが付けられないでいた。

 ここで物事を決めつけるのは、いささか早計過ぎる気がする――と。


(その『ヤミ』という少女……何かありそうだな)


 ベルンハルトはそう思いながら、妻のいる部屋のほうに視線を向けるのだった。



 ◇ ◇ ◇



「――そう。あなたも大変な思いをしたのね」


 ギルド内にある別の応接室にて、聖女アカリは話をしていた。相手はヤミが助けた薬師見習いのリコス。彼女と是非とも話がしたいと、アカリが自ら指名し、今に至るのだった。

 サラサラな長い黒髪を軽く掻き分けながら、アカリは優しく微笑む。


「無事にダンジョンから戻ってこれて、本当に良かったと思うわ」

「い、いえっ! 聖女様にそ、そそそんなこと……きょ、恐縮でしゅっ!」


 リコスは完全に緊張しており、言葉も定期的に噛んでいる。

 無理もない。彼女からすればアカリは、大聖堂の聖女と呼ばれる高貴な存在。住む世界が違うと断言できるくらいだ。

 既に年齢は三十五を超えているにもかかわらず、二十代前半と言われれば普通に信じてしまいそうなほど、若々しくて美貌に満ち溢れた外見をしている。

 まさに『聖女』という言葉が相応しい――リコスは改めてそう思っていた。


「リコスさん。慌てなくて大丈夫よ。ほら、紅茶を飲んで、少し落ち着いて」

「しゅ、しゅみませんっ」


 顔を真っ赤にしながら、リコスは言われたとおりに紅茶を飲む。その素直さが可愛いと思いつつ、アカリは優しい口調で語り掛ける。


「私があなたを話し相手に指名した理由は、あなたを助けたヤミさんという方のことが知りたいからなのよ」

「……ヤミさんを?」

「えぇ。あなたの言葉で率直に話してくれるだけでいいの。お願いできるかしら?」

「あ、はい。分かりましたっ!」


 聖女様からそう言われれば、ここでもたもたするわけにはいかない――そう思ったリコスは、慌てて背筋をピンと伸ばす。

 そしてコホンと咳ばらいを一つし、当時のことを思い出しながら語り出す。


「あれは、ダンジョンの最下層のことでした――」


 大型モンスターから命を助けられ、一緒に脱出してくれたこと。そして裏切った冒険者たちに制裁を加え、師匠に謝罪して反省する機会を設けてくれたこと。

 それからすぐに別れる形となってしまったが、ヤミに対しては感謝してもしきれない気持ちを抱いていることを話す。


「わたしにとってヤミさんは、本当に命の恩人なんです。いつか再会して、ちゃんとお礼を言いたい。そのためにもわたしは、もっと頑張って勉強して、今度こそ立派にお仕事できるようになるって心に誓ったんです」


 話しているうちにリコスの緊張が解かれ、流暢に語るようになっていた。彼女の中でどれだけヤミという少女に対し、その存在が大きいのか――アカリはそう感じずにはいられなかった。

 するとここでリコスが、思い出したように軽く目を見開く。


「そういえば、ヤミさんが言ってましたね。なんか別の世界から来たとか……」

「――っ!?」


 時が止まったような気がした。それだけ今のリコスの言葉が、アカリにとって驚かずにはいられないほどの内容だったのだ。

 それに気づくことなく、リコスはマイペースに語ってゆく。

 完全に覚えているかどうか怪しいかと思いきや、思い出してみると意外と記憶に残っていることに気づいて、少し話すのが楽しくなってきたのだった。


「とまぁ、大体こんな感じですかね」


 程なくしてヤミの経緯を粗方話し終えたリコスは、冷めかけた紅茶を飲む。


「今にして考えてみると、ヤミさんと聖女様って顔が似てますね。髪の毛の色が全然違う以外は、ホント瓜二つって感じで――あ、あの、どうかされましたか?」


 ここでようやくリコスは、アカリの異変に気付いた。戸惑いながら恐る恐る呼び掛けてみるも、当の本人は俯いていた。

 そして――


「ウソ、でしょ……?」


 なんと、静かに涙を流していたのだった。

 あまりにも突然過ぎるその反応に、リコスはどうすればいいか分からず、身振り手振りをしながら戸惑う。

 しかしアカリは、そんなリコスなど見えていない様子で呟き続ける。


「こんな……こんな奇跡があって、本当にいいの?」


 リコスは知る由もない。実はアカリもヤミと同じく、地球という名の異世界の出身であることを。

 十五年前に突如として召喚されてきた彼女に、当時三歳の娘がいたことを。

 そしてその娘の名は――


「まさかこっちの世界にいるなんて。ずっと会いたかったわ――光里ひかり


 件の彼女とは、まるっきり正反対とも言えるような名前であった。

 遂に顔を伏せて泣きじゃくり始めるアカリに対して、リコスはしばらくの間、狼狽えることしかできなかった。




【第一章 ~完~】




お読みいただきありがとうございました。

次回から第二章【ヤミと兄妹たちの軌跡】を更新していきます。

引き続き、本作品をよろしくお願いします<(_ _)>


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