038 近過ぎず遠過ぎない距離



「結婚……ねぇ」


 ほんの数秒ほど目を丸くしたヤミだったが、すぐに気だるそうな表情と化し、空を見上げながらため息をつく。


「しょーじき、考えたこともなかった」

「うん。実は僕も」


 頷くヒカリの笑みは、どことなく力がなかった。


「そもそも結婚しなきゃできないこと自体、殆どないも同然なんだよね」

「あー、それはなんか分かるわ」


 間髪入れずヤミが同意する。その声はどこか自虐が込められており、表情も笑みこそ浮かべてはいるが、遠い何かを見るような眼をしていた。

 そして、そのまま――


「子供を作ることができない体だもんね、あたしたち揃ってさ」


 ヤミは呟くように言った。

 悲しそうで悲しさが感じられない――そんな言葉では表せない感情を込めた声に、ヒカリも小さく頷く。


「僕は昔、体に奴隷紋章を刻み込まれた影響で……確かヤミのほうは……」

「十年前の大怪我が原因で……だね」


 ヤミは肩をすくめながら思い出す。師匠であり祖父でもある人から、重々しい表情で明かされたことを。

 むしろその程度で済んだのが幸運だったと。五体満足で元気に動き回れるまで回復したのは、奇跡そのものであったと。

 最初はヤミも、よく理解できないまま頷いていた。

 しかし成長するとともに、どうしても人との違いが身に染みてきてしまう。嫌でも理解できてしまい、年頃らしく思い悩んだこともそれなりにあった。

 それでも――


「まぁ、過ぎた話ではあるんだけどさ」

「そうだね。僕もそう思う」


 考えたところでどうにもならないことに変わりはない。

 だから開き直った。確かに最初は無理やりだったかもしれないが、今となっては自然と受け入れられるような気もしていた。

 無理なら無理で仕方がない。それだけが人生じゃないのだから、と。


「ちなみにさ。ヒカリは結婚って、したいと思ってんの?」

「……わかんない」

「ふーん。じゃあ、あたしと同じだね」


 ヤミは投げ出している足を、軽くパタパタと上下に動かす。


「まぁ、子供が作れない者同士って意味では、結婚してもあーだこーだ面倒なことになりにくいってのは、あるのかもしれないけどね」


 その瞬間、ヒカリの目が軽く見開かれた。


「なるほど……言われてみれば、そーゆー考え方もあるんだ……」

「なに? もしかして興味持った?」

「え、うん、まぁ……ホントにこう、ちょっぴりだけ」

「そっか。実をいうと、あたしもだったりして」

「なんだよ、それ」


 軽く噴き出すようにヒカリは苦笑する。それにつられてヤミも笑い出した。

 照れているわけでもなく、かといって意識している様子もない。まるで毎日のように流れている空気のような穏やかさ――例えて言うならそんな雰囲気を、二人は意識することなく醸し出していた。


「ねぇ、ヒカリ」

「んー?」

「あたしたちってさ……どんな関係なんだろうね?」


 空を仰ぎながら放たれた言葉に、ヒカリは軽く目を見開きながら振り向く。

 今度は本気で驚いている様子であった。


「どしたの、急に?」

「なんとなくね。実はこないだ、オーレリアからも言われたんだよ」


 ヤミは苦笑しながらも思い出す。

 ヒカリさんとの関係は、単なる姉弟分には見えませんわ――真剣な表情で、そう申してきたのだった。

 どうにも返答しにくいなぁと、ヤミは思っていた。

 実際そこまで深く考えたことはない。しかしいざ考えてみたら、どこまでも曖昧な関係なのだと気づかされる。

 家族かと言われればそんな『感じ』ではある。友達という言葉はどうにもしっくりこないし、かといって他人という言葉も絶対的に当てはまらない。

 どんな言葉も曖昧に聞こえる――そんな感じがしていた。


「確かにさ……あたしもヒカリのことは大切に思っているし、単なる『弟』かって言われると、絶対的に違う自信もある。けど……」


 体育座りで膝に顎を乗せながらもヤミは真剣に話す。しかし次の瞬間、彼女は困ったように笑い出した。


「じゃあ何なのって聞かれると、これがまた正直分からない感じなんだよね」


 そこから数秒ほど、二人の間に無言が続く。特に気まずさはないが、なんとも言えない微妙さも否めなかった。

 やがて空を仰いだまま、自然にヒカリが口を開く。


「――別にさ。どんな関係でもいいんじゃないかな?」


 その言葉にヤミが視線を向けてみると、彼もまた、穏やかな笑みを向けていた。


「しいて言うなら『腐れ縁』的な? 本当になんとなくだけど……僕たちならそんな感じがするよ」

「腐れ縁ねぇ……」


 ヤミは頬杖を突き、やがてフッと小さく笑う。


「そうだね。なんかそれが一番しっくりくるかもだわ」

「でしょ?」


 そして二人は笑い合う。いつもの緩やかな空気が戻ってきたのを感じ、これ以上の言及は必要ないと、互いに無意識に思った。

 すると――


「あっ」


 ぐううううぅぅぅ――と、なんとも言えない間抜けな低音が、ヤミの腹から訴えるように鳴り響いた。

 同時に、情けない表情とともに、ヤミが手で腹を抑える。


「……おなか減っちゃった」

「みたいだね」


 しょーがないなぁ、と言わんばかりに苦笑しつつ、ヒカリは立ち上がる。


「そこの小屋に非常食が置いてあるから、ちょっと持ってくるよ」

「ホント?」

「うん。ついでに収穫した野菜も、味見がてらいくつか食べていいから」

「わーい、やったーっ♪」


 両手を上げ、小さな子供のように明るい笑顔で喜ぶヤミに、相変わらずだなと思いながらも、確かな安らぎをヒカリは感じていた。

 そこに――


「くきゅーっ!」


 小さな白い竜とスライムたちが近づいてきた。何か食べるんだな、自分たちだけおやつ食べるなんてずるいぞ――そんな地獄耳と圧を感じ取り、ヒカリは一瞬唖然とするも、すぐにそれは苦笑いに切り替わる。


「わかったわかった。キミたちにもおすそ分けしてあげるよ。ヤミ、手伝って」

「はーい」


 そしてヤミも立ち上がり、二人は一緒に並んで歩き出す。近過ぎず遠過ぎないその距離は、互いに意識するまでもなく保たれていた。


 これからも大きく変わることはないと――そう言わんばかりに。


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