037 魔王と王妃の新たなる門出



 ――リーン、ゴーン、リーン、ゴーン!


 晴天の中を鐘が勢いよく鳴り響く。空を飛び交う鳥たちは、結ばれる二人を祝福するかのようであった。

 人々は皆、笑顔を浮かべていた。

 どれほど今日という日を待ち望んだことか。度重なるトラブルが、まるで彼らの絆を引き裂こうとしているかのようにさえ思えるほどだった。

 しかし、二人が負ける気配は、終ぞ見えなかった。

 この程度の試練を乗り越えられないようでは、王として王妃として、魔界を引っ張っていくことなど到底できるはずがない。それを自覚し、常に人の前では堂々と立派な姿を見せていたことも、人々が安心する大きな材料となっていたのだ。

 それがここで、大きな一つの成果に繋がったと言えるだろう。


「新たなる魔王様と王妃様に、心からの祝福を! 魔界の輝ける未来を願って!」


 若き魔王とその王妃――ブランドンとオーレリア。

 今日、二人は正式に結ばれた。まだ二十歳という年齢ながら、二人の貫禄は決して年齢に負けていない。

 それだけの修羅場を潜り抜けてきたことは、多くの者たちが知っている。

 彼らが主導となって、この魔界を変えたのも確かなのだ。この魔界において、それを知らない者はいないとすら言える。決して過言などではない。


 ――ギイイイィィィーーーッ!


 重々しい扉が、ゆっくりと開かれた。同時に『ざわっ!』という擬音が、澄み渡る空気の中を流れていった。

 人々の視線は一転に集中している。

 その奥から現れるであろう二人の人物――その姿を一秒でも早く拝むために。

 やがてその姿は見えてくる。

 純白のタキシードに身を包む彼は、後ろで結わえた金髪をなびかせ、そしてその傍らに立つ彼女は、その純白のウェディングドレスを、最大限に輝かせていた。

 ゴクリ――誰かが息をのむ音がした。

 小刻みに体を震わせ、口元は小さく開いている。そして――


『おおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!』


 一斉に解き放たれた声は、凄まじい歓声となって響き渡っていった。

 もはや拍手や声援だけでは収まらない。はしゃぐだけならば、むしろ可愛いものだとすら言えるほど、人々は盛大な感動を表現していた。

 次から次へとかけられていく声は、もはや相手の立場など、考慮されていない。王だろうと王妃だろうと関係ないと言わんばかりだ。

 だが今日に限っては、それも良しとされていた。そもそも誰一人として、気に留める者はいなかった。

 本日の主役である二人も含めて。


 ――バッ!


 彼が右手を大きく前に掲げると同時に、その鋭い目が開かれた。

 睨んでいるのではない。どんなに遠くからでもよく分かる、とても強い意志の込められた眼力は、人々を背筋に緊張を走らせる。


「我は魔界の王、ブランドン! そして隣に立つのは我が王妃、オーレリアだ!」


 鋭く、そしてとても雄々しくて逞しい声が、風に乗って国中に届かんばかりに、勢いよく響き渡った。


「今日この日を迎えられたことを、我らはとても光栄に思う!」

『うおおおおおぉぉぉぉーーーーーっ!』


 再び解き放たれた盛大なる歓声は、どこまでも鳴り止む様子を見せない。声に混じる口笛のような音もまた、人々の感動と応援を助長させていた。

 若き魔王と王妃の新たなる門出――新たな魔界の歴史に、その名を刻み込む。

 誰もが祝福し、応援していたその日は、決して忘れることのない希望の光そのものであった。明るい声とともに見上げてくる笑顔の群衆――それをその目でしかと受け止めているからこそ、尚更そう感じさせてくれる。


「本当に……良かったです」


 オーレリアが、彼の腕に回している手の力を、ギュッと込める。


「あなたと、今日を迎えることができて」

「――そうだな」


 愛する温もりを感じながら、ブランドンも小さく頷いた。



 ◇ ◇ ◇



「いやー、最高の結婚式ってのは、まさにあーゆーことを言うんだろうな!」

「オーレリア様もマジでキレイだったもんなぁ」

「隣に立つブランドン様も、絵になるくらいカッコよくなかったか?」

「あ、俺も思った!」

「俺も!」

「だよなー。あれだけの美男美女になると、もう別次元の世界って思えてくるぜ」

「実際、別次元だけどな。あのお二人の立場的にも」

「ちげーねぇや」

『あははははははははっ♪』


 城の兵士たちが、楽しそうに雑談をしている。内容は勿論、ブランドンとオーレリアの結婚式についてだった。

 彼らだけではない。城のメイドたちも同じくであった。

 完全なるお祝いと感動の雰囲気は、結婚式から数日が経過した今でも、全く薄まる様子を見せない。少し前に、とある魔界貴族が騒ぎを起こしたニュースなど、もはや誰も話題のわの字も出すことはなかったのであった。


「――平和なもんだねぇ」


 裏庭の菜園――その片隅にある大木の下に座り、ヤミが空を見上げる。透き通るほどに青く広がっているその中を、白い雲が穏やかに流れていた。


「くきゅー?」


 すると胸元から、可愛らしい鳴き声が聞こえてくる。ヤミは自然と頬を綻ばせながら見下ろした。


「んー? どしたのー? 構ってほしいのかなー?」

「くきゅきゅー♪」


 指で顎を撫でられ、気持ち良さそうな声を出す。ヤミが抱きかかえているその生き物は、誰がどう見ても人懐っこくて可愛い存在でしかなかった。

 そんな姿に、ヤミは改めて思うところがあり、苦笑する。


(これが少し前に大暴れしてたデカブツだったなんて、誰も信じないよねぇ)


 ヤミが浄化した古竜――グラードマウンテンで披露していた凄まじい迫力は、今は欠片すらも感じられない。

 知らない人物に対する警戒心こそあれど、それは他の竜にも当たり前のように言えることであり、むしろ懐かれているヤミとヒカリが凄いというのが、普通の認識であった。


「ピキーッ♪」


 楽しそうな鳴き声が聞こえてきた。ヤミが視線を向けると、菜園に遊びに来たらしい野生のスライムたちが、ヤミを――正確に言えば、ヤミの胸元にいる小さな存在に呼び掛けている。

 ヤミは小さな笑みを浮かべ、視線を下ろす。


「シルバ。スライムたちと遊んでおいで」

「くきゅーっ♪」


 嬉しそうに返事をする古竜ことシルバ。保護するにも名前がないと不便――ヤミがそう言い出して付けたのだった。

 煌びやかに光る白い体は、銀色に見えなくもなかった。そこからシルバという名前を思いつき、すんなり受け入れられた形である。

 シルバ自身もその名前で覚えてしまい、ヤミとヒカリを親と認識し、今ではどちらかの傍を片時も離れようとしない。しかし、二人に抱きかかえられている状態であれば大人しいため、むしろ安心できるとも言えていた。


 ――それ自体が珍しいケースでもあるのだがな。


 深いため息をつきながら、ブランドンがそう言っていたのを思い出す。

 基本的に竜という生き物はとても気難しく、特に子供の竜がヒトに懐くことは殆どあり得ない。だからこそシルバがここまで懐くのが、ブランドンたちからしてみれば凄いの一言なのだった。

 しかしヤミからすれば、そんなことは些細な問題に過ぎなかった。

 自分たちを親と認め、無邪気に懐いてくれているのが、嬉しくて仕方がない。このまま平穏に暮らさせてやりたい――それが一番の願いであった。


「くきゅっ、くきゅきゅーっ!」


 シルバがヤミの胸元から飛び出し、スライムたちの元へ向かってゆく。そんな楽しそうな姿を見守る彼女の元に、作業着姿のヒカリが、首に巻いたタオルで汗を拭いながら歩いてくる。


「ハハッ、今日も随分と賑やかなもんだ」


 そしてヒカリも、ヤミの隣に腰を下ろした。そして改めて、スライムたちと遊んでいる小さな白い竜に視線を向ける。


「もうすっかり馴染んじゃってるよね。あの子の首輪も見慣れたよ」

「確かに」


 苦笑するヤミの視線の先で、シルバの首元がキラッと光るのが見えた。

 シルバの首には、魔法具による従属の首輪が付けられている。他人が外すことはできず、飼い主がいる絶対的な証明として扱われるのだ。


「首輪付けてあげるとき、なんかあの子すっごい喜んでたよねぇ」

「お母さんからのプレゼントだったからじゃない?」

「だと嬉しいけど」


 特に照れ隠しを見せることのないヤミ。そんな彼女もまた、ヒカリからすればいつものことであり、今更驚くようなことはなかった。


「そういえばさっき、兄さんから言われたよ」

「んー?」


 切り出された言葉にヤミが振り向くと、困ったような笑みを浮かべながら、ヒカリが指で軽く頬を掻いた。


「お前とヤミは、結婚しないのか――ってさ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る