035 聖なる浄化



「ガアアアァァーーーッ!」


 雄叫びとともに、古竜が飛びかかってくる。振りかざす手から伸びる鋭い爪が、鈍くギラリと光っていた。

 それが見掛け倒しでないことは明らかだ。

 まともに喰らえば『痛い』どころでは済まないことぐらい、想像するまでもないほどに分かる。竜の鱗に覆われた皮膚なら安心という保証ですらも、全くと言っていいほど期待できない。


「躱せっ!」


 ブランドンの掛け声に、飛竜たちが旋回する。鋭い爪が空気を切り裂いたのはその直後であった。

 狂暴化しているせいもあるのか、それとも古竜本来の力なのか。全く迷いのない動きを目の前に、ヤミたちは戦慄する。


「全く傷つけずにっていうのは無理か……ブランドン、少し攻撃を!」

「了解!」


 ヤミの声にブランドンが頷き、再び飛竜たちが動き出す。ヤミを乗せた飛竜とブランドンたちを乗せた飛竜が同時に旋回し、左右から挟み撃ちにする形で勢いよく迫ってゆく。


「――今だ!」


 ヤミの掛け声を合図に、飛竜二匹の口が同時に開いた。

 凄まじい炎のブレスが解き放たれる。背に乗るヤミたちでさえ、その灼熱が熱風となって肌で感じられた。

 まともに喰らえばただでは済まない――そう認識した直後、更なる驚きを体験する羽目となる。


「うっそ……マジで?」


 ヤミは引きつった声を出した。もう殆ど無意識も同然であった。

 両サイドからまともに炎をうけた古竜に、火傷の痕すら見られない。純白な鱗は綺麗なままだったのだ。

 龍の鱗は、炎も『それなりに』防ぐとは言われている。

 しかしここまで完全に効かないとは思わなかった。

 ブランドンも、わずかながら期待はしていたのだろう。まさかの結果に思わず顔をしかめる。


「ならば、これでどうかしら!?」


 オーレリアが負けじと魔法を放つ。大量の魔力を凝縮させた魔弾は、見た目こそ小さいが威力は高く、岩をも貫通させる自身があった。

 しかし――


「グルアァッ!」


 ばしぃん、とその強靭な腕で、呆気なく振り払われてしまった。勢いよく迫っていた魔弾がかき消され、オーレリアは呆然とする。


「そ、そんなバカなことが……あり得ませんわ!」

「ヤツの鱗の固さは、どうやら我々の想定を軽く超えているようだな」


 迫り来る古竜の攻撃を避けながら、ブランドンは顔をしかめる。


「これでは物理攻撃を仕掛けたところで、結果は火を見るよりも明らかだ」

「やはり、聖なる魔法でなければ……」

「あぁ」


 オーレリアの言葉にブランドンは頷く。実際それは、ヤミもヒカリも感じていることではあった。

 古竜はそこらへんの竜とは訳が違う。

 聖なる魔法でなければ、まともに傷をつけることすらできないだろうと。


「――とにかくやるしかないっ!」


 ヤミは飛竜を励まし、古竜へと向かわせる。

 古竜も迫り来るヤミを――正確に言えば聖なる魔力を持つ者に気づく。狂暴状態でありながらも不思議な感覚を抱いているのか、ジッと迫りくるヤミを見据え、力を溜めていた。


「グルルルル――」


 風に乗って唸り声が聞こえてくる。そんな緊迫した状況の中、ヤミは集中し、胎内に宿る魔力を動かしていく。


(聖なる魔力の感じは、そこそこ掴めてはいる、か……)


 グラードマウンテンへ来る途中、飛竜の上で軽く練習はしてきた。しかしどうしてもやっつけ感は否めない。

 それでも全く出せないよりはマシである。不安要素は決して小さくないが、それを今更あれこれ考える余裕もなかった。


(湧き上がる魔力を制御し、それを砲台の中に凝縮していく感じで――)


 魔力を掴むやり方で、一番大切なのはイメージと言われている。ヤミは特に、頭の中で想像を具現化させるのが上手かった。覚醒したばかりの魔力を、短期間で発動できるようにする――それだけでも実はかなり凄いのだ。

 使える魔法が極端に限られていたため、それが表に出ることもなかったが。


(よーし……発射っ!)


 ――ドウゥンッ!

 重々しい音とともに発動される、真っ白な光。凝縮された聖なる魔法が、古竜目掛けて一直線に向かってゆく。

 そして古竜も、その魔法に若干の驚きを示した様子を見せる。


「グルアァッ!」


 防御しきれずに、聖なる一撃を受けてしまった古竜。灼熱のブレスですら傷を与えられなかった真っ白な鱗に、明らかに大きなひび割れが生じていた。


「よし、効いてる! でも……」


 ヤミは呟きながらも、再び聖なる魔力を生成させていく。そして同じような白い魔弾を発射し、古竜に傷を与えていった。

 しかしヤミの表情は浮かない。むしろ苛立ちすら募らせている状態であった。


(あたしがやりたいのは、攻撃じゃないんだよなぁ。聖なる魔力は出せたけど、浄化のイメージが上手く掴めない)


 聖なる魔法で攻撃を続けたところで、目的の浄化には辿り着かない。届きそうなのにあと一歩が大き過ぎる――そんな気持ちに見舞われていた。


「――ヤミ! これ以上は危険だ! もうこのまま古竜を倒しちゃおう!」


 必死に呼びかけてくる声が聞こえてきた。振り向くとヒカリが、真剣な表情でヤミをまっすぐ見据えてきている。


「聖なる魔法は効いてるんだ。このチャンスを逃す手はないよ!」

「ヒカリ……」


 必死に呼びかけてくる弟分の言葉が、ヤミの脳内を揺さぶってくる。その歯痒そうな表情もまた、彼の気持ちを表していると感じていた。

 助けられるのなら助けたい――弟分の中からそんな想いが滲み出ているのを、ヤミは見逃していなかった。

 故に――


「悪いけど、その声は聞こえないよ」


 ヤミはヒカリの提案を、笑顔であっさりと突っぱねてしまうのだった。


「生憎あたしの辞書に、諦めるって言葉はないもんでね!」

「ヤミ!」


 ヒカリが叫んで呼び止めたが、既にヤミは飛竜とともに勢いよく飛び出していた。ブランドンやオーレリアたちも驚愕する中、再び聖なる魔弾が放たれ、それが古竜の足を掠める。

 皮膚が裂けて血が飛び、古竜は呻き声とともに怯む。その隙を突いて、ヤミを乗せた飛竜は、古竜のすぐ真上を飛んだ。

 そして――


「はあああぁぁっ!」


 飛竜の背中からヤミは勢いよく飛び出した。そしてそのまま落下し、巨大な純白の背中にしがみつく形で着地する。


「飛び乗った?」

「そんな……無茶過ぎますわ!」


 ブランドンとオーレリアが叫ぶ中、もがく古竜にヤミは必死にしがみつく。


「グルルルル――グルワアアアァァーーーッ!」


 背中の異物を感じて混乱しているのか、もはや周りすらも見えておらず、ひたすら叫び声を上げるばかり。

 そんな古竜の背中に乗るヤミは、放り出されてたまるかと手足に力を込める。

 どうすれば助けられるのかなんてわからない。だからと言って、何もしなければ何も変わらない。

 動かなければ何も始まらない――そう思っていた時だった。


 ――たすけて。


 また聞こえた。空耳などではない。むしろさっきよりも鮮明に、大きく頭の中に響いてきたくらいであった。

 ヤミは目を見開き、改めて耳を澄ませてみるが、聞こえてくるのは古龍の叫びだけであった。

 しかしヤミの頭の中は、驚くほど冷静となっていた。


(……そっか。やっぱりそうだったんだ)


 自然と納得できた。もはや考えるまでもなかった。ヤミの表情に笑みが宿り、しがみつく右手は力を緩め、純白の鱗で覆われた肌を優しく撫でる。


「もう少しの辛抱だからね。あたしがあんたの全部を、キレイにしてやるから!」


 それは誓いであり、願いでもあった。自分がそうしたいからそうする――ただそれだけの純粋なる願いが、ヤミの奥底から力を湧き上がらせる。

 考えなくていい。迷わなくていい。ただ信じていれば大丈夫なのだと。

 不思議と緊張もしなかった。する必要もなかった。暗闇の中に光る真っ白な道を突き進めば、自ずとそこへたどり着けるから。

 どんな暗闇をも照らす道は、決して消えることはないから。


 ――今、暖かくしてあげるから。


 そんな優しい声が響く中、光の道を一歩踏み出す。その瞬間、暗闇の世界は一気に明るくなった。

 あれほど暗くて狭い場所が消えた。もう下を向く必要もなかった。

 ただ上を見て、自らその手を伸ばしていけば――


「オオオオオォォォーーーーッ!」


 古竜が叫ぶ。真っ白な光に包まれ、黒い靄のような何かが消え去ってゆく。

 へばりつけるほどの体が、みるみる小さくなっていった。しかし、ヤミはそれを驚かない。むしろ『そうであるべき』だと、理屈抜きに己の細胞と魔力全てが、そう強く認識していた。

 徐々に白い光が弱くなってゆく。

 気がついたらそれは、腕の中に丸く収まっているのが分かった。

 ヤミがゆっくり目を開けると、そこには――


「あ……ふふっ♪」


 小さな白い竜が、身を丸めてスヤスヤと眠っており、ヤミは微笑ましそうに見つめるのだった。


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