025 路地裏の小さなバトル



「な……なん、だと!?」


 男は目を見開き、殆ど言葉を失っているも同然の状態と化した。


「ウソだ……こ、こんなの、あり得るわけが……そうだ! きっと何かの間違いに決まってる!」


 もはや敬語も忘れ、男は再度ヤミたちに奴隷紋章魔法を仕掛ける。


(さっきは魔法そのものを失敗したに違いない。私としたことが油断してヘマをしてしまったようだ。今度はそうはいかんぞ。私の本気をしかと見るが良い!)


 必死に自分で自分に対して言い聞かせながら、男はいつも以上に気合いを込め、ありったけの力を叩き込む勢いで両手を思いっ切り突き出す。

 そこから輝きを増した光が勢いよく飛び出し、二人を包み込む。

 男は笑った。

 これで今度こそ勝ちだ。数秒と経たぬうちに二人の体に紋章が刻み込まれ、意のままに操ることができるようになる、と。


 ――ばきぃんっ!


 しかしそれは、小さな破壊音によって、儚くも散ってしまった。


「そんな……そんなバカなことが……」


 間違いなくかき消された。魔法が成功した手応えはなく、むしろ空振りの感触を直に味わったほどだ。

 男は膝から崩れ落ち、震える両手を見つめる。


「私の奴隷紋章魔法が……強力な封印魔法の一種が、あっさりと粉々に……」

「あー、ごめん。それ、あたしのせいだわ」


 ここでヤミが遠慮がちに言う。男がゆっくり顔を上げると、どこか申し訳なさそうに苦笑する彼女の表情が、視界に飛び込んできた。


「実はその……あたしって封印魔法に触れると、それを問答無用で破壊しちゃうんだよね。なんでか知らないけど……」

「――っ!?」


 男は息を飲んだ。そして急速に苛立ちを募らせ、表情を歪ませる。


「ふ、ふざけるなっ! そんなデタラメなことが……」

「いや、でも現にそーゆー体質なんだよ。実際、ヒカリの奴隷紋章も、それで粉々に消しちゃったくらいだし」

「なぁ……っ!」


 その事実に、男は唖然としてしまう。

 認めざるを得ないのに、認めたくない気持ちがぶつかってくる。それぐらい男にとっては、絶対的にあり得ないことであった。

 これまでの常識がひっくり返る。

 当たり前だったことが当たり前ではなくなる恐怖を、彼はここにきて最大級のカウンターとして、その身に受けてしまったのだ。


「何故だ……あ、あり得んぞ、こんな……こんなことがあって……」


 男は更に震えを大きくさせる。

 心の理解が追いつかない。これはもしかしたら悪い夢なのではないかと、そう思いたくて仕方がない。

 しかしこれは現実だ。目論見が外れているのも夢などではない。

 ニヤリと笑いながら拳を振り上げ、ヤミが迫る姿も、断じて幻などではない。


 ――どごおぉっ!


 重々しい音とともに、男の視界が歪む。そしてそのまま意識が遠ざかった。渾身の力で殴られたことに気づかぬまま。


「ヒカリ、伏せて!」


 鋭い声が路地裏に響き渡る。ヒカリは意味も把握しないまま、反射的にその言葉に従った。

 殆ど土下座するような体制となったその頭上で、鈍い音が次々と聞こえてくる。

 何が起きているのか分からない。しかし下手に頭を上げないほうがいいと、心の中の何かが囁いてくる――そんな気がしていた。

 それもわずか数秒の出来事。

 あっという間に場は静かとなり、ヒカリも恐る恐る顔を上げてみた。


「ふう……こんなもんかな?」


 男以外に数人ほど、黒づくめのローブ姿の人物が倒れていた。いずれもピクピクと体が小刻みに動いていることから、気絶しているだけなのは見て取れる。


「あの男の仲間だろうね。気配はしてたけど、結構隠れてた感じだわ」


 ヤミが辺りを見渡しながら言う。恐らく男が倒された直後に、この黒づくめたちも襲い掛かってきたのだと、ヒカリは察した。

 それをヤミが、あっという間に返り討ちにしてしまったことも。


「もう他にはいないっぽいし、これでもう大丈夫だよ」


 振り向いてウィンクをしてくるヤミ。その強気な笑みに、自然と安らぎを覚えてしまうのが不思議であった。


「……流石だね。やっぱりヤミは凄いや」

「ふふん、でっしょー♪」


 若干の戸惑いを見せるヒカリであったが、ヤミは気にも留めず、得意げに胸を張っていた。

 するとそこに、重々しい足音が聞こえてくる。


「――ヤミ様、ヒカリ様!」


 その声に振り向くと、城の兵士たちが駆けつけてくるのが見えた。


「路地裏で騒ぎが起きていると聞いたのですが……これは?」


 兵士の一人が代表して尋ねつつ、戸惑いながら周囲を見渡す。二人を除いて複数人の怪しげな者たちが、完全に倒れて伸びているからだ。


「奴隷商人です。僕たちを捕まえようと、ここに誘い込んだみたいで……」

「襲い掛かってきたから、返り討ちにしてやったってワケ」

「なるほど……」


 ヒカリとヤミの回答に、兵士も辺りを見渡しながら頷く。するともう一人の兵士が近づき、一枚の紙と倒れている男を見比べる。


「先輩。コイツ、数年前から指名手配されている男ですよ!」

「そうか。とりあえず倒れているコイツらを、全員ひっ捕らえろ。黒づくめの連中も一人残らずだ。恐らく叩けば、いくらでも埃が出てくるだろうからな」

「はっ!」


 駆け付けた兵士たちが動き出し、奴隷商人の男と黒づくめたちが、次々と縛り上げられていく。

 男たちが運ばれてゆく中、最初に声をかけた兵士がヤミたちに視線を向ける。


「お二人にも、詳しい事情をお聞かせ願いたいのですが……」

「分かりました。同行します」


 ありがとうございます、と頭を下げ、兵士が先導する形で歩き出す。ヤミとヒカリはそれに続いて、ようやく城へ向かうこととなった。


 呆れた様子のブランドンが待ち受けていることを、二人は知る由もない――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る