024 ヒカリの経緯
奴隷紋章魔法――そのワードを聞いたヤミは、ハッとした表情を浮かべ、ヒカリのほうを見る。
「……そーいえばあんた、体に奴隷紋章を付けてたっけ」
問いかけでもない、単なる確認のような言葉に対し、ヒカリは顔をしかめる。そんな彼の反応に、男はしたり顔で口を開く。
「彼女も知っていたようですね。まぁ、逃れられる話でもありませんし」
「そうだね」
嫌悪感を隠そうともせず、ヒカリが頷いた。
「今までずっと封印してた記憶が無理やり掘り起こされて、正直かなり胸糞悪い気分になってるよ」
「おやおや……それはつまり忘れていたと? そんな虚勢は無意味ですがね」
肩をすくめながら苦笑する男。ヒカリの言葉を軽々しく受け止めている、なによりの証拠であった。
「一度付与されれば、一生それを背負って生きることとなる――それが奴隷紋章魔法の最大の特徴なのですから」
「正確には『事実上』って言葉がつくと思うけどね」
「一緒ですよ。そもそも奴隷紋章魔法を解除する手段など、ないも同然ですし」
男が勝ち誇る表情を浮かべるのも無理はない。
彼は今でも、ヒカリがその魔法に囚われている身だと思い込んでいるのだ。たとえ確たる証拠がなくとも、そう言える自信が彼にはある。
要はそれだけ、奴隷紋章魔法の力が絶対的ということなのだ。
そんな力を身に刻み込まれたことがあるヒカリも、返す言葉はない。彼の言っていることは正しいからだ。少なくとも言われたことに対して、否定できる要素はどこにも見つからない。
そんなヒカリの悔しそうな表情を察した男は、再びニンマリと笑い出す。
「大方、兄上である魔王ブランドン様に飼われているのでしょうね。あれほどの経緯があったというのに、なんともお優しい方です」
両手を広げ、まるで演技をするかのように、男は語り出すのだった。
◇ ◇ ◇
十六年前――前魔王と妃との間に、一人の男児が生まれた。
当然、次期魔王後継者が生まれたと大喜びしていたが、それもつかの間。その男児には魔力がないことが発覚したのだった。
「魔力のない魔王など認められない――でしたか」
「よく知ってるね?」
「当然です。あなたのお父上と直に契約を交わしたのですから、それ相応の情報は聞かせてもらっていますよ♪」
すぐさま出来損ないと見なされ、名前すらも与えられることなく、申し訳程度の世話係以外の者は、その男児に関わることはなかった。
一応、生まれたこと自体は公表された。しかし病弱のため、離れで療養しながら暮らすことが、当時の魔王から直々に明かされた。
要は都合のいい設定が作られたのである。
しかしそれも、貴族や王族としては、決して珍しいことではない。
病死したことにして、秘密裏に処理する――そのための表向きな設定を作り上げることは、よくある話なのだ。
「それから六年後、前魔王様とお妃様との間にご子息が生まれました。そのご子息は生まれながらにして凄まじい量の魔力を所持しており、跡取りとしてはこの上なく相応しいと、あなたのお父上は嬉しそうにしておられましたね」
「ふーん……」
「まぁその御子も、心優しい平和主義な性格が仇となり、お父上からの厳しい教育に耐え切れずに魔力を暴走させ散った――ブランドン様にとっては、クーデターを起こす絶好のチャンスにもなったわけですが」
「よくご存じなことで」
あからさまに挑発を狙ったかのような口調に対し、ヒカリは興味なさげに投げやり気味な返事をする。
そんなヒカリの反応を見た男は、呆れたようなため息をつく。
「強がりも程々にされてはいかがですか? お父上の末路はどうあれ、弟君が生まれたことにより、あなたが本当の意味で必要とされなくなった――それは紛れもない事実なのですからね」
跡取りとして相応しい子供が生まれれば、当然ながら出来損ないと言われた存在は必要なくなる。それでも念のためにと様子を見ていたが、必要性は全く感じられないと正式に判断された。
既に病死扱いされているため、始末する分には何の問題もない。しかし、出来損ないの血で魔王城の敷地を汚すようなことも、出来ればしたくなかった。
そこで提案されたのが、国外追放であった。
特殊な魔法を施して奴隷落ちさせ、工作船に乗せて魔界から出させる。そうすれば後は、どこかで勝手に野垂れ死ぬはずだと考えられたのだ。
なんやかんやでその男児は八歳となっていたが、小さな子供が奴隷の環境の中を生き延びれる可能性は限りなく低い――それが世の中の常識であり、誰もが安心してそうなってくれるだろうと思い込んでいた。
「――そしてあんたは、僕に奴隷紋章魔法を施した、というわけだね」
「えぇ、まさにそのとおりですよ」
ヒカリの言葉に男は嬉しそうに頷く。
「まぁそれも、すぐさま運に見放されることにはなりましたが」
奴隷と化した男児を工作船に乗せ、他の奴隷とともに魔界を出たまでは、順調な筋書きを辿っていた。
遠いどこかの大陸へ運び、物好きな金持ち貴族に売りさばくために。
しかしそれは、突如発生した大きな嵐にひっくり返される。更にそこを巨大な海の怪物が襲い掛かってきたのだった。
工作船はあっという間に転覆してしまう。
辛うじて男は逃げ出し、なんとか生き延びることに成功はしたが、全てを失ったも同然の状態だった。
「貴重な商売道具が全て流されてしまいましたからね。奴隷商人という職業柄、大手を振って周りに頼ることも難しいが故に、立て直すのも大変でしたよ」
「そのまま足を洗うって選択肢はなかったの?」
「ないですね」
呆れたように問いかけるヤミの声に、男は真顔で即答した。
「奴隷紋章魔法は私の全て。多額の金を得られる魔法を手放すなど、そんなバカげた話はありませんよ」
「ふーん。それで何年もかけて立て直して、改めて奴隷商人をやってるわけだ」
「えぇ、そのとおりです。まさかあの時の商売道具が生きているとは、思ってもみませんでしたがね」
男はねっとりと嘗め回すような視線を、ヒカリに向ける。
「嵐に飲まれたあなたは、運良く遠く離れた地の岸に打ち上げられ、どこぞの人間の少女に助けられた。それからはまるで、姉弟のように仲良く育ったそうで……」
「あらら、そこまで調べたんだ?」
特に驚く様子を見せないヤミに対し、男はニンマリと笑いながら肩をすくめた。
「商人たるもの、情報収集は基本ですから。それにしても……実に腹立たしい」
そして男の表情は、まるで魔物の如く、歪んだ笑みと化す。
「私が苦労している間に、あなたは奴隷のくせして幸せに暮らすなど、おこがましいにもほどがある! 身の程を弁えさせなければと、常々思っていたのですよ」
「なるほどねぇ……」
ずっと黙って聞いていたヤミが、ここで口を開いた。
「それで改めて、ヒカリを狙ったってこと?」
「えぇ。話が早くて助かります」
「そりゃどーも」
淡々と受け答えをするヤミは、まさに心底どうでもいいと言わんばかりの口調を貫いていた。
もっとも男は男で、彼女の反応など興味はなく、追及をする様子もなかった。
「新たなる魔王様に拾われたとなれば、私としても好都合です。あのお方はとてもお優しい。あなたに酷い仕打ちをするとも思えません」
「……何が言いたいのさ?」
「では結論を――私のほうで、その契約を強制的に変えさせてもらおうかと」
その瞬間、忌々しそうな表情を浮かべていたヒカリが目を見開く。ほんの些細な変化ではあったが、男は見逃さなかった。
「そんなに驚くことはないでしょう。付与するだけが魔法ではありません。私ほどの腕があれば、契約の変更など容易いことなんですよ♪」
どこまでも誇らしげに語る男の口調には、絶対的な自信が漲っていた。そして意気揚々とヒカリに向けて右手をかざす。
「さぁ――今こそ戻れ。紋章を施した我が奴隷よ!」
男の右手が魔力によって光り出す。それはそのままヒカリへと流れ――粒子となってかき消された。
「な、なにっ!?」
男は困惑する。これまでの芝居じみた口調とは違う、本気で慌てている様子を見せていた。
そんな男に対して、ヒカリは告げる。
「残念だけど、あなたのいう奴隷紋章とやらは――もう僕にはないよ」
ヒカリはシャツをたくし上げ、腹の部分を見せる。それなりに鍛えられ、引き締まった肉体であった。
しかし、それだけであった。
かつて刻み込まれ、今でもしっかり残っているはずの紋章は、綺麗に消えてなくなっていた。
「バ、バカな……まぁいいでしょう。それならもう一度、そこの女共々、私の手で奴隷にしてやるまでです!」
すかさず男は右手をかざし、ヤミとヒカリの二人を対象に、奴隷紋章魔法を施そうとする。
それに対して、二人は逃げも隠れもしようとしない。
二人の狙いは分からなかったが、紋章魔法が発動されればこっちのもの――男はニヤリと笑みを深める。
次の瞬間、魔法が発動され、その魔力の光が二人の体を覆ってゆく。
(よし、これで私の勝ちだ!)
心の底から嬉しそうな笑みを男が見せた、まさにその時であった。
――ばきぃんっ!
二人を覆っていた魔力の光が、粉々に砕け散った。
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