023 楽しい時間は一難の前菜



「おぉっ、すげぇ!」

「あんな見事な包丁捌きができるとはなぁ……」


 ヤミが運んできた巨大猪の存在は、客を引き寄せ釘付けにするには十分過ぎると言えていた。

 そこにヒカリが、更に追い打ちをかけたのだ。

 解体された大きな肉で料理を作る。たったそれだけのことなのだが、人々の目はまさに興味津々そのもの。その中心に立っているのは、お世辞にも逞しいとは言えない体つきで、どちらかというと女性寄りの顔立ちをした一人の少年。

 そんな彼が見せる料理ショーが、あっという間に視線を集めてしまった。

 並行して漂わせる濃厚で香ばしい匂いが、膨れたはずの腹を刺激し、食わせろという合図を音として鳴らす。

 腹の虫という名の、間抜けな音を。


「さぁ、そろそろ串焼きができる頃だね。追加の串ってあるー?」

「あります!」

「タレもたくさん用意してます!」


 他の炊き出しメンバーも、全力でヒカリたちのサポートに回っている。単なるヘルプで入っただけに過ぎないはずの二人が、もはやメンバーの中心となってしまっていることに、誰一人として指摘する者はいなかった。


「ヤミー。スープのほうはー?」

「もーちょっとー!」


 串に刺した肉を回しながら尋ねるヒカリの声に、ヤミが大鍋をゆっくりとかき混ぜながら答える。

 猪の肉がたくさん入った濃厚スープが、じっくりと煮込まれていた。

 風に乗って流れる香りに、待ち侘びる人々が、涎を垂らす勢いで無意識に口を開けながら注目する。

 そんな姿をチラリと見て、ヤミがニヤリと笑みを浮かべながら味見をする。


「――よし、スープ完成!」

「じゃあ配ろうか。みなさーん。大変お待たせしましたー!」

「「「「おおおおおぉぉぉぉーーーーーっ!」」」」


 ヒカリの掛け声に、野太い声が解き放たれる。

 数十分前まで閑散としていた広場は、あっという間に行列を作り出し、とてもじゃないが炊き出しメンバーだけでは捌き切れないということで、冒険者たちもヘルプに駆り出されることとなった。

 しかしそのおかげで、暴動が起こることもなく、料理は無事に渡ってゆく。

 ヒカリの料理ショーの効果も相まって、笑顔と笑い声が絶えない。もはや炊き出しを通り越して、ちょっとした宴の場と化していた。


「いやぁ、美味かったぜ、ねーちゃん!」

「ありがとうよ。これで復興作業も頑張れるってもんだぜ!」

「兄ちゃん、ご馳走様! いい腕見せてもらった!」


 広場を中心に活気が漲る。笑顔と明るい声が、人々に元気を取り戻した証拠を示しており、それは街の復興に力を注ぐ気合いに繋がってゆく。

 あんたたちのことを見直したぜ――二人が改めて認められた瞬間でもあった。

 今まで周りからどう思われていたのか、それを二人は知らない。しかし深掘りするつもりもなかった。

 どう思われようが興味もなく、馬鹿にしたいなら勝手にすればいいと。

 そんな我が道を行く姿勢も気に入られたようだ。

 人間であるヤミは、もうすっかり魔族と打ち解けていた。種族の違いなど、ほんの些細なことに過ぎないと――そう言わんばかりに。

 ただしこれは、あくまで炊き出しの時間。

 決して宴などではない。

 それらしい空気となってはいたが、人は必ず我に返る。

 満たされるだけ満たされたら、今度こそ自分の持ち場へ戻らねば――人々は気持ちを切り替え、少しずつ動き出していく。

 それは至って当たり前のこと。

 むしろ騒ぎ過ぎたとすら言えるが、誰もそれを責めることはなかった。

 盛大なる炊き出しも、本当の意味で終わりを迎える。ヤミとヒカリの役割も、ようやく一段落を迎えたのだった。


「――今日は、ありがとうございました」


 炊き出しメンバーの一人が、二人に頭を下げる。それに続いて他のメンバーも、揃って頭を下げてきた。


「おかげさまで大盛況になりました。ヤミさんとヒカリさんが助けてくれて、本当に感謝しています」

「いえいえ、僕たちがお役に立てたのなら、なによりですよ」


 にこやかに答えるヒカリの隣で、ヤミも満足そうな笑みを浮かべていた。そして二人は城へ戻るべく、手を振りながら広場を後にする。

 時は既に夕暮れ。

 空がオレンジ色に染まる中を二人は歩く。


「なんてゆーか……随分と大がかりなことになっちゃったよねぇ」


 ヒカリが歩きながら苦笑する。


「まさかちょっと抜けだして、巨大猪を仕留めてくるとは思わなかったよ」

「あー、あれはもう、それしか思いつかなくってさ……」

「だろうね。ヤミらしいよ」

「む、それはどーゆー意味なのかな?」

「ははっ」


 頬を膨らませる素振りを見せるヤミに、ヒカリは笑い声をあげる。彼女が本気で怒ってはおらず、むしろ笑いかけていることが分かるからこその反応であった。

 実際、ヤミもすぐさま噴き出すように笑ってしまう。

 険悪な空気が流れることもなく、むしろ暖かな雰囲気が保たれていた。まるでそれが自然だと示すかのように。


「まぁでも、アレだよ」


 ヤミが人差し指を立て、得意げに胸を張る。


「終わり良ければ全て良しってね♪」

「お気楽なことで」

「あれこれ余計なことを考えるよりかはマシってもんじゃない?」

「うん、否定はしきれないかな」

「でしょ?」


 ふふん、と得意気に笑うヤミは、どこまでもご機嫌な様子であった。しかしその表情はすぐに、きょとんとしたそれに切り替わる。


「……ありゃ? なんか、道が塞がってるっぽいね」


 ヤミの言葉にヒカリも前方に注目すると、確かにそのような状態になっていることが確認できた。

 たくさんの馬車が並んでおり、大量の荷物が山のように積み重なっている。大勢の人が作業している関係で、避けて通るのも難しそうであった。


「普通に止まって荷物を降ろしているだけ、か……」

「見たところ事故じゃなさそうだね。あれじゃあ通れそうもないし、ちょいと回り道でもして帰ろっか」

「うん……」


 裏路地への入り口を指さしながら言うヤミに、ヒカリは頷く。しかしその視線は前方の様子に釘付けであった。


(なんでまたこんな大通のど真ん中で? 少し手前に広場もあるのに……)


 歩き出しながらも、ヒカリは妙な違和感に首を傾げていた。冒険者ギルドや店が連なっているのならば分かるのだが、その類の店は、軒並みあの場からは少しばかり離れた位置に構えている。

 果たしてあの場で、大量の物資を降ろす必要性があるのだろうか。

 そんな疑問が頭から離れず、薄暗い裏路地を歩きながら、ヒカリはずっと浮かない表情をしていた。


「もう夕方だからかな? 静かだし結構暗いねー」


 裏路地を歩く機会が滅多にないせいか、ヤミは物珍しそうに視線を動かす。恐怖の類はなく、むしろ探検している小さな子供の如く、どこかワクワクしているような様子を醸し出していた。


「――やぁ、どうも」


 纏わりつくようなねちっこい男性の声がかけられたのは、そんな時であった。


「まんまと思いどおりに動いてくれて、本当に助かりましたよ♪」


 やせ細った体と顔つきでニヤリと笑みを浮かべてくるその男に、ヤミは即座に顔をしかめ身構える。

 その隣でヒカリは、目を見開いていた。


(ア、アイツは……間違いない!)


 その醜い笑みが、幼い記憶を呼び起こす。もう二度と蘇ることがないと思っていた記憶に、歯をギリッと噛み締める。それだけヒカリにとって、忌々しいことこの上ないものであった。


「ほぉ? どうやらあなたは、覚えているようですねぇ――」


 そんなヒカリの様子に気づいた男は、ニタリと嬉しそうに笑みを深めてきた。


「かつてこの私が、その身に奴隷紋章魔法を施して差し上げたことを♪」


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