012 ヤミ、軽く制圧する



「さーて、とりあえずこの屋敷? 砦? よく分かんないけど制圧しとくかぁ」


 左右の腕を交互に肩から回しながら、ヤミが言ってのける。魔族の男が呆然としていた表情から我に返ったのは、その時であった。


「――はんっ! いきなり何言っちゃってくれてるワケ? 俺っちの前でそんなことさせると本気で思ってんの?」

「思ってなかったらこんなこと言わないよ」


 視線も合わせることもなく、ヤミが棒読みで答える。そんな彼女の態度に対して、魔族の男は大きな苛立ちを募らせていく。


「へぇ? 随分と舐めてるようだけど、撤回するなら今のうちだよ?」

「する理由もないね」


 ヤミが苦笑しながら肩をすくめる。それに対して魔族の男は、眉間にしわを寄せながら歯をギリッと噛み締めた。

 今しがた見せていた余裕の笑顔は、完全に消え去っていた。


「……ねぇ、お嬢ちゃん? あんまり魔族をバカにしないほうがいいよ? たかがなよっちぃオンナの人間でしかないキミに、この実力の高い俺っちを本気で退けられるとでも?」

「むしろあんたが実力高いって聞いて、魔族のレベルの低さを心配してるよ」

「へぇ…………オマエ潰す」


 魔族の男から放たれたその声は、完全に別人のような低い声だった。目つきも鋭くなっており、よく見ると真っ赤に充血している。

 相手が本気で怒りを燃やしていることは、ヤミもすぐに気づいた。

 しかしそれでも、彼女が慌てている様子は全くない。

 むしろこの状況を楽しんでいるようであった――面白くなってきたと、そう言わんばかりに笑いながら。


「もう容赦はしねぇ。弱いオンナだろうが手加減はできねぇぞ――らぁっ!」


 ヤミの返事を聞く前に、魔族の男が勢いよく地を蹴り、前方に飛び出す。そして次の瞬間には、もうヤミの目の前に現れ、拳を振りかざしていた。

 その時間は一秒にも満たない――まさに目にもとまらぬ速さと言えるだろう。

 ヤミは軽く驚いたような反応を示している。魔族の男は勝利を確信し、拳を突き出しながらニヤリと笑いかけた。

 しかし――


「なっ!?」


 当たったと思った拳は、宙を横切った。まるでそこにいたはずの少女をすり抜けたかのようだ。

 拳が当たらなかったことにより、魔族の男はわずかにバランスを崩す。

 残像の如く目の前から消えかけたヤミの姿であったが――


「――はぁっ!」


 急に目の前に再び現れ、魔族の男のみぞおちに拳が叩き込まれた。

 何が起こったのか全く分からなかった。気がついたときには吹き飛ばされ、後方の壁に激突し、凄まじい衝撃が背中や後頭部に襲い掛かる。

 そして何も考える間もなく――意識が途切れた。


「よーし、一丁上がりっと」


 ニカッと笑いながらヤミが拳を掲げ、ポーズを決める。対するバロックは呆然とした表情で、後ずさりしていた。


(バ、バカな!? アイツをあんなにあっさりと……あんなおちゃらけたヤツでも、実力は確かだったんだぞ!)


 何せバロックが自ら認めていたくらいだから、間違いはない。挑発に乗った部分も大きかっただろうが、それを除いてもこんなに軽々とやられてしまう結果は、全くと言っていいほど想像していなかった。


(そもそも聖女は魔族を……って、そういえばコイツは違うんだった!)


 確保していた情報が何の役に立たない。それがいざというとき、どれほどの致命的な状態となるかを、バロックは今になって思い知る。

 このままでは自分の命も危ない――そう思った時だった。


「――失礼します! なにやら物凄い物音がして……あぁっ!」


 兵士の恰好をした魔族の男が乗り込んできて、壁に激突して気を失っている同胞の姿を見て、大いに驚く。

 そして後ろからなだれ込んできた兵士たちもまた、同じような反応を示した。


「あのおちゃらけ野郎がやられてるぞ!」

「なに? あのおふざけ男が!?」

「ヘラヘラしながらも、絶対に負けなかったクソ野郎が……信じられない!」


 兵士たちの態度からして、言っていることも本気であることは理解できる。しかしヤミは、どうにも疑問に思えてならない部分があった。


(あのヘラヘラ魔族……周りからの評判メッチャ悪い感じ?)


 驚いてはいるが割と貶してもいる。しかしそれならそれで、妙に納得できてしまうから不思議であった。

 しかし今は、そんなことをのんびり思っている場合でないことも確かだった。


「――まさかあの女が?」

「あぁ、そのまさかというヤツだ」


 兵士の一人がヤミに視線を向けた瞬間、バロックが口を挟む。


「全員でソイツを仕留めろ! 我らに災いをもたらす、立派な曲者だ!」

「「「はっ!」」」


 バロックの命令に、兵士たちが威勢よく返事をする。

 一方のヤミは――


(お、まだかかってくるんだ?)


 呑気にそんなことを思っていた。

 そうしている間にも、兵士の一人が剣を振りかざしてくる。しかしその前に、ヤミは音一つ鳴らすこともなく、スッと動き出していた。

 数秒後――三人の兵士たちが立て続けに、ドサドサと倒れていった。


「な……」


 これにはバロックも言葉を完全に失ってしまう。

 元より期待はしていない。少しでも時間稼ぎさえしてくれれば、まだ反撃のチャンスはあった。しかし現実はこの有様――反撃どころか余計に追い詰められていくばかりではないかと、そう認めざるを得ない。


 ――ブワッ!


 ヤミが地を蹴った際に、空気の音が鳴り響く。バロックがそれを確認した瞬間、体に力が入らず、ぐらりと視界が揺れた。

 攻撃を喰らったことにすら、全く気づかなかった。

 ドタドタと聞こえてくる足音が、何故か段々と遠ざかってゆく気がしており、遂に声すらも聞こえなくなった。


「なっ、これは一体どういうことだ!?」

「あの小娘がやったのか? とにかくひっ捕らえろ! バロック様を助け出せ!」


 後から駆け付けた兵士たちもまた、ヤミを敵だと認識し、真正面から堂々と立ち向かってくる。

 しかしヤミからすれば、それは『バカ正直』に他ならない。

 地を蹴り壁を蹴り、そして天井をも蹴り、広い部屋の中を移動する姿は、まさに縦横無尽そのもの。兵士たちの動きを滑らかにかいくぐり、俊敏なる拳と蹴りを確実に当てていく。

 もはや成す術もない――それが兵士たちの状況を表していた。

 数分と経たないうちに、その場は静かとなる。

 白い髪の毛をなびかせながら立っている一人を除いて、皆が気を失っていた。


「――よし、ここはもうオシマイかな? とりあえずここから脱出しよう」


 そう決めたヤミは、開かれたドアから廊下に出る。そしてそのまま建物の中を走っていった。

 隠れている魔族たちが襲い掛かってくる――こともなかった。

 どうやら本当にさっきので、この建物にいる全員の魔族を倒したようだと、ヤミは走りながら思う。

 そして遂に大きな扉へとたどり着き、それをゆっくりと開ける。


(誰かが待ち構えて……は、なさそうかな?)


 それらしい気配を感じなかったので、ヤミは思い切って外へ出る。そして扉をしっかり閉めたところで、改めてその場の周りを見渡した。

 広がる荒野。遠くに見える山と、森らしき場所。少なくとも町や村ではない。

 こんな何もない場所に屋敷がと思って、その建物を見上げると、それはむしろ城のような建物であった。


「砦だったんだ……まぁ、そんなことはどうでもいいか」


 ここがどんな場所であろうと、ヤミからすれば興味がないの一言でしかない。すぐに気持ちを切り替えつつ、小さなため息をつく。


「さてと、これからどうするか――ん?」


 どこか遠くから、ばっさばっさと翼を羽ばたく音が聞こえてくる。そしてそれは段々と近づいてきていた。


「――あれは!」


 とある方向から飛んでくる巨大な翼を持つ生き物。それは大きな飛竜だった。

 その背には誰かが乗っており、鎧や兜のようなものを装着しているが、詳しい判断はできなかった。

 それも一匹ではなく、何匹も同じ形で飛んできている。

 なんとも只ならぬ予感がしてならなかった。


「うーん。どうか敵じゃありませんように、って感じかなぁ……」


 飛竜がゆっくりと目の前に降りてくるのを見上げながら、ヤミはそんな淡い期待をするのだった。


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