011 捕らわれのヤミ
(……あー、お腹空いた)
天井を見上げながら、ヤミは内側から締め付けられるような腹の感触に耐え、憂鬱な気分に浸る。
(なんてゆーか、どーしてこんなことになっちゃったんでしょーかねぇ?)
魔族の男に連れて来られて、早くも一晩が経過していた。
食事は一応与えられてはいたが、水と固いパンだけという最低限なもの。ヤミがいつも食べている量には程遠いとしか言えず、中途半端に食べたせいで胃が逆に活性化してきており、空腹度が更に増してしまっている。
現在は手足を縄で縛られ、椅子に座らされていた。
猿ぐつわはされていないため、喋ることは自由であったが、ヤミは特に暴言を吐いたりもせず、実に大人しいものであった。
かと言って怯えているとかでもない。単に平然としているだけであり、それが妙に怪しいと疑われるかと思いきや、意外とそうでもない。
もっとも状況的に、友好的な関係を築くつもりはないことも明らかであった。
(無理やり連れてきたんだから、味方ってことはないんだろうけど……)
おぞましい敵かと言われれば微妙なところである。今現在、繰り広げられている目の前の光景からして、そう思ってしまうのも無理はないと言いたかった。
「こ、の……ドアホウがあああぁぁーーーっ!」
「がふっ!?」
凄まじい罵声とともに、ヤミを連れ去った魔族の男は頭に拳骨を落とされる。その相手もまた、魔族の男であった。
首にスカーフを巻いた上質の服装は、あからさまな貴族を連想させる。歳は自分よりも少し上くらいかと、ヤミはなんとなく思った。
そして彼女の視線は二人から外れ、室内の様子に向けられる。
普通の家とは程遠い造りの建物であり、窓の外から見える景色もまた、今までその目で見てきた風景とはまるで違う。
(多分ここは『魔界』なんだろうなぁ……魔族の暮らしている国、か……)
そう考えるのが自然だろうとヤミは思った。魔族同士がこうも堂々とやり取りをしている場面など、そうでもなければ見れるものではないだろう。
もっとも目の前の光景は、どう考えても普通とは程遠いものではあったが。
「コレはどう見ても聖女の娘じゃないだろ! 何故それが分からなかった?」
「だ、だって……バロックさんが渡してきた絵と顔は同じだったし……」
「バカモノ! それだけで判別するな!」
バロックと呼ばれた魔族は、再び凄まじい声で怒鳴り散らす。少し離れているヤミでさえも、思わず委縮したくなるほどであった。
(やっぱり勘違いで連れてこられただけか……とりあえず少し様子を見ておこう)
事情はなんとなく分かったが、状況はまだ掴めていない。まだ危害が発生する様子もないため、成り行きを見守ることにした。
逃げ出すだけなら簡単かもしれないが、知らない場所に飛び出すほど、命を落とすレベルで危険なことはない。
「まぁ、確かに全てが的外れとは言い難い」
バロックは目を閉じ、重々しい口調で言った。
「そこの娘からは、『聖なる魔力』そのものは感じられる」
「――やっぱそうでしょう? 俺っちは間違ってなかったってなぁ!」
「しかしだ!」
「えっ?」
一瞬晴れやかな笑顔を見せた魔族の男だったが、バロックの制する声に、再び表情を強張らせてしまう。
それに構うことなくバロックは続けた。
「まだ完全に目覚めてはおらず、恐らく自覚すらしていない」
「……いや、それのどこがおかしい話なんスか?」
魔族の男は意味が分からず首を傾げる。
「聖なる魔力があるんなら、それはもう聖女の娘ってことでしょ? なら……」
「そうとは限らん」
「え?」
呆けた表情を浮かべる魔族の男から視線を逸らし、バロックは開かれている大きな窓に向かって歩いてゆく。
「確かに聖なる魔力は、聖女から生まれてきた子に宿ると言われている。しかし遺伝とは関係なく、持って生まれることもあるんだ。何万人かに一人の確率でな」
「えぇっ、そうなんスか? いえ、疑ってるワケじゃないッスけど……」
素っ頓狂な声を上げつつ、慌てて取り繕う魔族の男。しかしバロックは、それに対して反応することなく話を続ける。
「ちなみに聖女の娘は、既に聖なる魔力が覚醒していると聞く。そして聖女の子供は皆揃って黒髪だ。そこの娘のように、真っ白な髪を持つ者は一人もいない」
「え? それじゃあ、つまり……」
「この娘は、我らが求めている存在ではない、ということだ」
バロックが腕を組み、目を閉じながらそう言うと、魔族の男は呆然とした表情で立ち尽くす。しかし次の瞬間、魔族の男は凄まじい怒りの表情と化し、椅子に縛り付けられているヤミに視線を向けた。
「テメェおいコラァ! よくも俺っちを騙してくれたな、この白髪小娘が!」
「お前が勝手に勘違いしたんだろうが、このバカモノがあぁっ!」
「ごふぅっ!?」
容赦のないバロックの拳骨が、魔族の男を見事に黙らせた。
「全くお前というヤツは、少しはその早合点する性格をどうにかしろ!」
「で、でもぉ……こんなにも顔が同じだったら、フツーは血縁を疑うッスよぉ!」
「世の中には同じ顔が三人はいると言われているからな。不思議ではない」
「そんなぁ~」
情けない声を上げる魔族の男だったが、バロックは厳しい表情のまま、腕を組んで見下ろすばかり。なぁなぁで許してはくれない――流石の彼も、いい加減にそう認識せざるを得なかった。
「じゃ、じゃあ俺っち、もう一度行ってきますよ。今度こそ成功してみせるッス」
「もう転移装置の魔力は空っぽだから、しばらくは無理だ」
「えぇっ? たった一往復しただけでっスか? なんともしょぼい装置ッスね」
魔族の男がため息をついたその時、バロックが怒りの形相を向ける。
「魔界と人間界の距離を考えろ! むしろ一往復できるのは凄いほうだと、私は何回も説明しただろうが!」
「あだぁっ!?」
しかし再び拳骨は下されてしまう。もはや喋れば喋るほど、泥沼に嵌っていくような気配しかない。
そんな光景を眺めながら、ヤミはぼんやりと思う。
(なるほど。つまりあたしが人間界へ戻るのも、そう簡単じゃないってことか)
それでも他人事に変わりはなく、今はとにかく自分の状況をどうにかしなければと意識を切り替える。
とはいえ、もうこれと言って考えることもなくなっていた。
ならばもう後は動くだけ。これ以上、囚われのヒロインを演じるつもりなど、彼女にはなかった。
「――じゃあ、もうあたしが捕まっている理由もないよね?」
その瞬間、ヤミの体を魔力のオーラが纏わりつく。同時に縛り上げていた手足の縄が砕け散るように千切れた。
手足が自由となったヤミは、勢いをつけるようにして椅子から立ち上がる。
「よっと。あー、ジッとしてるの辛かったー!」
呑気に目の前で柔軟体操を始めるヤミを、バロックと魔族の男は、ただただ呆然と見つめるのだった。
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