010 魔族の誘い



 魔族が現れた――そう発覚した瞬間、ギルドのロビーがざわつく。

 いつの間に、どうしてここに、何を企んでやがる。

 そんな言葉があちこちから飛び交ってくる中、ヤミだけは明らかに違う態度で、魔族の男を見据えていた。


「えっと……何? あたしに用事でもあるっていうの?」

「へぇ。キミは俺っちのことを見ても、驚いてるカンジじゃなさそうじゃん」

「いや、質問に答えてないし」


 やや脱力した声でヤミはツッコミを入れるが、魔族の男はニヤついた笑みを浮かべるばかりであった。


(ダメだこりゃ。話を聞くようなタイプじゃないな)


 ヤミはそう決めつけた。恐らく間違っていないという自信も何故かある。そしてそれはすぐに裏付けられるのだった。


「周りは俺っちが魔族だと知って驚きまくってるってのに……お嬢ちゃんはもう平然さを取り戻してるっぽいじゃないのよ、うん?」

「別に平然ってわけでもないよ。一周して逆に落ち着いてるだけ」

「まぁ、そんなことはどうでもいいんだケドね」

「…………」


 ヤミはあからさまに顔をしかめる。


(じゃあ言うなよ――って言ったところで、意味なんてないんだろうなぁ)


 やはりこの魔族は、人の話をまるで聞かないタイプなのだと、ヤミは判断する。同時に、果てしなく面倒でならないとも思えた。

 関われば関わるほど疲れるだけ。現に一仕事終えたばかりなのだ。目の前の存在は余計な邪魔でしかない。

 しかしながら、適当にあしらうのも不可能だと思ってはいた。

 ただ単に茶化しに来たわけではない。彼なりに明確な目的をもってここに現れたことは確かだ。飄々としていながらも、何をしでかすか想像がつかない。だから迂闊な行動も危険だと言える。


(そもそもコイツ、あたしのことをなんて言ってたっけ?)


 聖女の娘――そんなワードが頭の中に浮かぶ。その言葉自体は分かるのだが、問題はそれが何故、自分に放たれたのか。

 悩ましく顔をしかめながらも、ヤミは少し考えてみる。


(可能性があるとすれば、あたしのことを誰かと間違えて……そういえば!)


 ギルドマスターが自分に見せてくる態度も、恐らくその類だとヤミは気づく。

 そもそもおかしいとは思っていたのだ。


 ――改めて頼んだよ。どうかあの『バカ』を助けてやっておくれ。

 ――りょーかい。あたしが必ず連れて帰ってくるから!

 ――あぁ。キミならできる。七光りとかじゃなく、キミの実力を信じてるよ!


 オババから依頼を受けた際、同席していたギルドマスターが笑顔を浮かべ、励ますようにそう言ってきた。

 なんとなく会話が噛み合っていない――そんな違和感を抱いていた。


(あたしはそもそも、ここのギルマスとは知り合いでもなんでもない。もしかしてオババさんがあたしを紹介した? いや、そんなふうには思えなかったしなぁ)


 むしろギルドマスターも依頼してきた際に、オババは軽く驚いた素振りを見せていたことを思い出す。つまり今回の依頼に関しては、オババとギルマスは全くの無関係だと見ていいだろう。

 だとすれば――やはり見えてくる答えは一つくらいしかない。


「――ふっ、この状況をどう打開するか、一生懸命考えているようだな?」


 ふと、そんな魔族の男の声が放たれたことで、ヤミは我に返る。


「えっ? あぁ、いや、それは……」

「いやいや、皆までも言わなくても分かるよ。俺っちみたいな雄々しくて恐ろしくも美しくて勇ましい魔族が現れれば、誰だって混乱するだろうからね」

「……あんた何言ってんの?」

「さしずめ――やはり俺っちの美しさが罪なのは間違っている、ということか」

「やっぱ聞いてないし」


 腕を組みながらヤミはため息をつく。状況的によろしくないことは分かっているつもりではいるのだが、やはりこの場にいる他の人々に比べると、緊張感を漂わせていないのは否めないだろう。

 現に彼女の様子を見たギルドマスターは、まさにそう思っていたのだった。


(っ、そうか! あの子は魔族の恐ろしさをまるで知らないのか。まぁ、育った環境もあるのだろうから無理もない話かもしれんが……)


 恐らくそれで間違いないと決めつけ、ギルドマスターは動き出そうとする。彼にはなんとしてでも『彼女』を傷つけてはいけないという使命感があり、相手が魔族であろうと関係なかった。

 しかし――


「なーにしようとしてるのかなー?」


 ――どごぉっ!

 軽い口振りとは裏腹に、凄まじい速さの動きと重たい一撃が、ギルドマスターの腹にめり込まれる。あくまで拳で殴られただけ。しかしそれは下手に剣で切られるよりもダメージは大きかったかもしれない。


「ぐ……」


 もはや声すらもまともに出せず、ギルドマスターはその場に倒れ、小刻みに痙攣したまま起き上がれなくなる。

 人を見た目で判断してはいけない――それを悪い意味で思い知らされた瞬間だと言えるだろう。

 もっとも誰もが、それを実感する余裕もなかったが。


「か弱い子羊さんたち。吹き飛ばされたくなければ、ジッとしておいてチョ♪」


 完全におちょくるような態度であったが、誰も何も言い返せない。さっきまで呆れていた表情を浮かべていたヤミも、冷や汗を流している。

 そして魔族の男も、ニヤついた笑みから真剣な表情と化して、ヤミのことをジッと見据えてきた。


「ふむ。やはりキミは、俺っちが探していたオンナに間違いなさそうだな」

「な、何を言って……」

「とにかく一緒に来てもらうよ。ここじゃ落ち着かないし」


 そう言い切ると同時に、魔族の男は一瞬にして魔法陣を展開する。それは彼の足元とヤミの足元に広がっていた。

 そして魔族の男は、再びニヤついた笑みを周りに向ける。


「じゃーねー! 聖女の娘は頂いてくよーん♪」

「だ、だからあたしは――」


 ヤミが何かを言い返そうとした瞬間、彼女と魔族の男は忽然と姿を消した。

 あまりにも突然過ぎる展開に、その場にいた者の殆どが付いていけず、静けさを取り戻した今でも呆然とするばかりであった。


「ぐっ、うぅ……」

「あ、ギルドマスターッ!」


 呻き声を上げながら起き上がろうとするギルドマスターに気づき、受付嬢が慌てて駆け寄り、優しく支える。


「大丈夫ですか?」

「あぁ。ぼ、僕のことよりもあの子は……」


 ギルドマスターは周囲を見渡すも、ヤミと魔族の男の姿がないことに気づく。


「な、なんてことだっ!」


 ギルドマスターは拳を床に叩きつける。まんまと魔族の男にしてやられた。その事実を改めて突きつけられ、無念さと悔しさがこみ上げてくる。


「僕としたことが、よりにもよって『ルーチェ』様を……聖女の娘を、目の前で連れ去られてしまうだなんて……」

「し、しっかりしてくださいギルドマスター! まずはすぐ大聖堂に連絡を」

「そうだな。済まない。こういう時こそ落ち着かねば!」


 受付嬢に支えられながらギルドマスターは立ち上がり、未だ混乱が解けていない冒険者たちに向けて声を上げる。


「――みんな! 突然のことで混乱しているとは思うが、すぐに対策を立てる。このことはしばらく他言無用! これはギルドマスターとしての命令だ!」


 その声に多くが呆然としていたが、やがて一人の冒険者が表情を引き締める。


「分かった。ギルマスの声に従わせてもらうぜ」

「俺もだ」

「こっちも了解だ」


 徐々に冒険者たちが、ギルドマスターの声に従う姿勢を見せる。慌てて外に飛び出そうとする者は見られず、落ち着きが少しは取り戻せたようであった。

 そんな中――


「のう、ギルマスよ。さっきから思っとったが――何か勘違いしとらんかね?」


 ずっと黙って見守っていたオババが、ここで怪訝な表情を向けてきた。


「あの子はヤミといって、ワシの知り合いが面倒見ておった娘じゃよ。ルーチェなどという洒落た名前じゃないわい」

「えっ?」


 そして明かされた事実に、ギルドマスターは目を見開く。

 何を言っているのか分からなかった。この場を和ませるために、オババが冗談を言っているのか――そう思ってはみたものの、オババの様子からして、本気で言っていることがすぐに分かってしまう。

 だからこそ、ギルドマスターは改めて表情を強張らせていった。


「彼女はルーチェ様じゃない? 僕はてっきり……じゃあ、あの子は一体?」

「だからヤミだと言っておるじゃろうが。親はいないと聞いておるぞ」

「そ、そんな――」


 ギルドマスターはようやく、自分が勘違いしていたことに気づかされた。期待をかけていた聖女の娘が、実は全くの別人であったことを。


 後に更なる事実が明かされるのだが、彼らはまだ、それを知る由もない。


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