007 つまらない茶番劇
冒険者ギルド――冒険者が仕事を請け負うその施設は、いつもは毎日のように賑やかさを醸し出している。
しかし今は、完全に静まり返っていた。
誰もいないどころか、人はむしろ多いほうだ。カウンターの受付嬢は勿論、居合わせていた冒険者もそれなりの人数。その全員が雑談やら仕事の会話やらを一斉に止めた状態で、注目していた。
ボロボロの状態でギルドに駆け込んできた、ヤドラたちのことを。
「――えぇっ、リコスさんが!?」
「あぁ。俺たちをダンジョンから逃がすために、自ら囮役を買ってくれたんだ」
ヤドラがカウンターに思いっきり手を叩きつけながら、大粒の涙を零す。
「まさか大型モンスターが最下層から上がってきてるなんてな……一匹だけならまだ良かったんだが、それが三匹や四匹も出てこられちまえば、とても俺たちじゃ力不足もいいところってもんだった」
「それで、リコスさんがその場に残ったということなんですね?」
「あぁ」
項垂れるヤドラに、相手をしている受付嬢も、そしてその話を聞いていた冒険者たちも、悲痛な表情を浮かべた。
どれほど苦渋の決断だったのだろうかと、想像してもしきれない。
カウンターのテーブルに顔を伏せているヤドラの表情は確認できないが、それはもう悔しいという言葉でいっぱいなのだろうと思われていた。
そんな周りの雰囲気を感じたのか、ヤドラはひっそりと唇を釣り上げる。
ニヤリ――そんな擬音が聞こえてくるかのように。
「しかしこれは一大事ですね。リコスさんの安否もそうですが、最下層から大型モンスターが上がってきているというのは、ギルドとしても見過ごせません」
「あぁ! やっぱりそう思うよな!」
ヤドラは両手を勢いよくテーブルに叩きつけながら、クワッと目を見開く。受付嬢は驚いて仰け反りそうになった次の瞬間、ヤドラは再び震え出し、力なくテーブルに顔を付けるくらいに伏せる。
「お、俺たちも……俺たちだってよぉ……」
そして体と一緒に声も震わせながら、一生懸命さを醸し出して語り出した。
「仲間を置き去りにするなんざ、本当はしたくなかった。でも必ず帰ってこのことを伝えなければならねぇ。アイツの想いをムダにしちゃいけねぇと!」
段々と大きく感情的な声となる。しかしそれを止める者はいない。完全に周りの者たちは、場の空気に呑み込まれてしまっている。
ヤドラもそれは大いに感じていた。
まるで舞台の主役を演じているかのように、スポットライトを浴びている気持ちを味わいながらも、表情は悲痛さを全面的に押し出している。
加えて、彼の後ろにいる仲間たちの演技もまた、周りを信用させる材料となっていることは確かであった。
――ボロを出さないように、少しでも余計なことを言うんじゃねぇぞ!
そんな脅しも同然の勢いで言い聞かせた成果が、今ここでしっかりと出ていた。何も言わずに顔を伏せ、涙を見せないようにしていたり、ちゃんと涙を流して嗚咽を漏らしているように見せていたり。
加えて一人は、膝から崩れ落ちて号泣している。
かなり派手な様子ではあるが、それが上手いこと場の空気を後押ししていることは間違いなく、心の中でヤドラは「ナイスだ!」とほくそ笑んでいるほど。
無論ヤドラ自身も、表面上は悔しそうにしている姿を忘れない。
「くそぉっ、俺にもっと力があれば! ホント情けねぇ話だぜ」
「ヤドラさん……」
受付嬢の目にも涙が浮かぶ。それだけヤドラの真剣な声に心が響いたのだ。
周りの冒険者たちも、神妙な表情をしている。徐々に話し始める声にも、ヤドラたちを疑うような内容は聞こえてこない。
当のヤドラも、そして彼の仲間たちも、小さく震えながら俯いている。
きっと涙を堪えているのだろう――受付嬢はそう思いつつ、それについて指摘することはしなかった。仲間を想う彼らに対しては、野暮でしかないだろうと。
しかし――
(……ヘヘッ、こりゃ完全に俺たちの話を信じてる感じだな♪)
俯きながら震えているヤドラの口元が、ニヤリと吊り上がる。堪えているのは涙ではなく笑い声のほうであった。
誰もヤドラの言葉を疑っていない。これで全ては完璧だと思っていた。
そもそもここまでする理由は、単にリコスを捨てたことを隠すだけではない。クエストを失敗したことで、周りから白い目で見られるのを防ぐ――それこそが彼らの真の狙いだった。
――自分たちは高ランクであり、ギルドからも期待されている。
それは必ずしも、いいことばかりではないのだ。
高ランクともなれば必然的に、クエストのレベルは大幅に上がる。それはすなわち失敗する可能性も、格段に高くなってくることを意味する。更にそれを周りは、当たり前のように許さなくなってくる。
何故なら大きな『期待』をかけられているからだ。
お前たちほどの高いランクならば、必ずこなせるだろう――と。
求められる成果は『成功』のみ。それ以外は全て『失格』と見なされる――それがどれだけ、大きなプレッシャーとしてのしかかってくるのかを、果たしてどれくらいの者が想像しているのか。
ヤドラも決して例外ではなかった。
最初は高ランクに選ばれ、ギルドマスターから笑顔で応援されることを、心から喜んでいたものだった。
しかし程なくして、彼らは壁にぶち当たってしまった。
町の近くにあるダンジョンの突破――最初は楽勝だと思っていた。軽くこなして自分たちの名を町中にとどろかせてやると、皆で意気込みながら挑んでいった。
その目論見はすぐさま外れた。
一筋縄ではいかないと、あっという間に思い知らされた。
最初の失敗は、高ランクでもあり得ない話じゃないと見なされ、仕方がないという空気が流れていた。しかしそれもあくまで最初だけ。二度目はない。
それが余計に、ヤドラをプレッシャーに追い込まれていく形となっていった。
(今の俺たちじゃ、あのダンジョンを突破するのはかなり厳しい。だがそれを大っぴらには言えねぇからな。俺たちの名に傷がついちまう。だから今回は、それを極力和らげる作戦に出てみたって寸法だ)
撤退したことは事実。それは拭えないが、ある程度の緩和ならできそうだ。
それが『囮作戦』に結びついたとき、誰もが疑わなかった。なんでこんな簡単な方法に気づかなかったのかと。
自分たちの名声を保つことしか考えていない――だから誰も気づかない。
それがどれだけ愚かであることかを。
既に賽は投げられており、もう撤回することも、そして迫り来る足音から逃れる術もないということを。
「ヤドラさん……仲間を失われた辛さは、お察しいたします」
受付嬢も、目に浮かぶ涙を指で払いながら、落ち着いた声で言った。
「この件はギルドマスターに報告し、対策を整えます。リコスさんの安否も気になるところではありますが……」
「いや、それは正直、絶望的としか言えねぇよ」
ゆっくりと顔を上げながら、ヤドラは首を左右に振る。
「アイツはただの薬師。それも登録したばかりの駆け出しだったからな。一人で生きて出られるとは思えねぇさ」
「――でしょうね。誰かの助けでもない限り、わたしも不可能だと思います」
「あぁ。だからアイツはもう、この世から姿を……えっ?」
突然聞こえてきた声に、ヤドラは遅れて気がついた。
それは、普通ならば『あり得ない』としか言えない声だった。こんなところにいるわけがないと、そう思いながらも震えが止まらなくなる。
頼むから間違いであってくれ――そんな願いとともにヤドラは振り向く。
「え……いや、そんな……どうして、お前が!?」
しかし残念ながら、ヤドラの想像したとおりであった。
ダンジョンの最下層に、手足を封じて置き去りにしてきた薬師の少女が、どうして平然とした様子でこの場にいるというのか。
それはヤドラだけでなく、他のメンバーたちも同じ気持ちであった。
「はーいはい! つまんない茶番は、そこまでだよ」
パンパンと手を叩きながら、少女の隣に立つ白い髪の毛の女性が声を上げる。いないはずの存在がいたことに驚いていたおかげで、ヤドラたちは彼女の存在にまで意識が回らず、普通に驚きの反応を見せた。
無論、白い髪の毛の女性――ヤミからすれば、そんなことはどうでもいい。
「ホント一生懸命に演技してたよねぇ。リコスを裏切ったパーティの皆さん?」
ヤミがニヤリと笑う中、周囲からはざわめきが発生していた。
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