006 ずっと必死に生きてきた
「チキュウ? 別の世界……えっ、それ、あの……」
リコスは思わず足を止めてしまう。ヤミも想定していたのか、立ち止まりながら苦笑して振り向いた。
「まぁ、いきなり言われたら、そーゆー反応になるよねぇ。とりあえず歩きながら、あたしの話を聞いてもらえると助かるよ」
「あ、はい」
明るい口調で言ってくるヤミに、リコスは戸惑いながらも頷いた。ここで全てを理解するのは無理だが、話を聞くだけならできると、そう判断したのだった。
「とは言っても、そんなに話せば長くなるってほどでもないんだけどさ――」
再び二人で歩きだしながら、ヤミは改めて語り出す。
「あたしが五歳の時に、父親が死んじゃってね。一人ぼっちになったあたしは、それからしばらく『裏舞台』で生きてたんだ」
「一人ぼっち……他に家族はいなかったんですか?」
「うん。母親はいたらしいけど、あたしが三歳の時に、家出しちゃったみたい」
「そうだったんですね……」
リコスは悲痛そうな表情を浮かべることしかできなかった。色々と聞きたいことはあるのだが、それを口に出すのは流石に不躾が過ぎる。だからこそ今は、彼女の中で想像することしかできない。
そんな彼女の様子に、ヤミはあっけらかんと笑う。
「あたし自身も、本当の家族がいた実感なんて全然ないんだけどね。もうその時のことなんて覚えちゃいないし、先生が一緒にいてくれたから」
「先生?」
「うん。ある意味、育ての親みたいなものかな」
それ自体に嘘はないし、今でもそれは強く感じている。お世辞にも家族とは言えないものだろうが、それでも深い関係性はあったと、ヤミは自負していた。
「とにかくあたしの記憶は、その『裏舞台』でのことしかない。社会から弾かれた人たちが集まる中で、あたしは先生と一緒に生きてきたんだ」
「……スラムみたいなところだったんですか?」
「似たようなものだね」
ヤミは苦笑する。特に訂正の必要性も感じなかったため、そのまま頷いたのだ。
「とにかくそれからも色々とあって、あたしはこの世界に飛ばされてきた」
「色々と?」
「そこは省かせてもらうよ。さして重要ってわけでもないからね」
「そうですか……」
気にならないと言えば嘘にはなる。しかしこの話の先に進まなくなるのも、よろしくない気はしていた。
ひとまずリコスは、今一番気になっていることを出してみる。
「でも、どうしてそんな違う世界に……」
「さぁ?」
「さぁ、って……疑問に思わなかったんですか?」
「思ってどうするよ」
声を上げるリコスに対し、ヤミは小さなため息をつく。
「誰かがやらかしてそうなったのかもしれないし、神様のイタズラかもしれない。どっちにしろ、もうこっちに来て十年も経っちゃってるからね。今更あーだこーだ言うこともないってもんさ」
「……はぁ」
その言葉に決して納得したわけではないが、リコスはとりあえず頷いた。このまま追及したところで、平行線をたどるのは目に見えている。他に聞きたいことはたくさんあるのだ。
「ヤミさんは、そのチキュウとかいう世界から、この世界に来たんですよね?」
「うん」
「それからもずっと、お一人で過ごされてきたんですか?」
「いや、師匠や弟分がいたよ」
石の階段をゆっくりと上りながら、ヤミは答えた。そして小さく笑い出す。
「弟分のほうは、あたしよりも二つ年下でね。作物を育てるのが好きな子なんだよ。もう三年くらい会ってないけど、元気にしてるかなー」
「そうなんですね。お師匠さんのほうは……」
「師匠ってゆーか……『じいちゃんと孫』の関係だった感じかな。現にじいちゃんがあたしのことを誰かに紹介するとき、『こいつはワシの孫じゃ!』って、笑いながら言ってたくらいだし」
懐かしそうな声を出しながら、ヤミは軽く視線を上げる。
「じいちゃんはメチャメチャ強くて、しかもかなりのスパルタでさ。サバイバルの訓練も容赦なくて、毎日ひーこら言ってたよ」
「は、はぁ……」
「けどそのおかげで、あたしは一人であちこち旅ができるようになったんだけどね。紛れもなくあたしの大恩人だよ。それこそ先生と同じくらいに」
「――なるほど」
しみじみと語るヤミの言葉が、染み渡ってくるような気がしていた。それほどまでに本音であることを、リコスは感じていた。
同時に思った。
ヤミはそのじいちゃんなる師匠から、本当の意味で愛されてきたのだろうと。
先導する関係上、リコスはヤミの後ろ姿しか見えない。しかし彼女の語りが、師匠のことを話している時は、どことなく生き生きとしている気がしていた。
彼女にとってはそれほどの存在なのだ。
家族に恵まれてこなかった彼女は、この世界に来てようやく人生が始まった。
そういうことが言えるのではないかと、リコスは思っていた。
「やっぱり、ヤミさんは本当に凄いですね」
地上へ通じる出入口に段々と近づいてきたせいか、リコスの声はどこか安心さを込めた明るさが滲み出ていた。
「それほどの壮大な人生を送ってきたのに、楽しそうに笑えるなんて……やっぱりお師匠さんや弟分さんの存在が、大きかったということですよね?」
「うーん、それもあるっちゃあるだろうけど……それだけじゃないとは思うかな」
「どういうことですか?」
「簡単な話さ。自分で言うのもなんだけど――」
ヤミがピタッと立ち止まり、そして後ろを振り向いてきた。
「それだけあたしが、ここまでずっと必死に生きてきたってことだよ」
静かに微笑むその表情を見て、またしてもリコスは衝撃を受けたかのように呆けてしまった。
目の前には地上へ通じる出入口がある。だから地上からの光が差し込んでいる。
それだけのはずなのに、その光が照らすヤミの姿が、特別な何かを表すかのような神々しさを解き放っている気がして――
「…………」
リコスは完全に、口を開けたまま言葉を失ってしまうのだった。
「――で、あんたはどうなの?」
急にヤミから尋ねられ、リコスは反応こそ示したが、声は出なかった。それ自体に構うこともなく、ヤミは笑顔のまま続ける。
「必死になって生きたことはある? 落ち込んでるヒマもないくらいの環境で、泥水すすって歯を食いしばりながら、何かに立ち向かったことはある?」
「え、あ、そ、それは、その……」
リコスは応えようとした。しかし答えは出なかった。
考えようとした瞬間、頭が空っぽになる。あると言いたいのに言えない。言おうとすればするほど、自分の中にいる何かが冷めていく感じがする。
堂々と答えられるほどのものなんてないだろう――そう言われた気がして。
「……まぁ、リコスがどうであろうと、あたしは別にどっちでもいいけどね」
そう言ってヤミは、再び前を向いて歩き出す。リコスも数秒ほど遅れて後を追って歩き出した。
再び顔は俯いてしまっていた。表情も陰りを見せていた。
しかしそれは、最下層にいた時の、今にも倒れそうな絶望感に満ち溢れていたそれとは違う。何かを見つけ、その真実を探ろうとしているのに見つからない――例えて言うならばそんなところだろうか。
(わたしは……ダメダメだ。でもそれは、思っていたことじゃない)
才能とか、経験値の浅さとか、それ以前の問題だった。そもそもスタート地点にすら立っていなかったのではないかとすら、思えてきてしまっている。
(一体わたしは、今まで何を……?)
自問してみるが、リコスの中で答えが浮かんでくることはなかった。
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