005 ヤミとリコス



 まるでそれは、天から降りてきた神のようであった。

 真っ白なショートヘアが光って見えているのは、気のせいではなかった。よく見ると本当に、ぼんやりと青白く輝いている。それも全体が。

 少女はただ茫然としており、その光の正体が魔力であることに気づかない。

 ヤミと名乗る存在がどこまでも格好よく見えてしまい、彼女は本当に自分と同姓なのだろうかとすら思えてくる。


「グルルゥ……」

「おっ、まだ立ち上がってくるんだ? さすがはデカブツ――根性あるねぇ」


 大きな獣の唸り声は、まるで地獄へ誘っているかのようだ。しかしヤミの声は全く臆しておらず、むしろこの状況を楽しんですらいる。

 背中しか見えない少女も、それだけはなんとなく感じられた。


「あ、あぁ、あっ……え……」


 何か言葉を発したいのに、上手く声が出せない。身振り手振りをしようにも、体がまるで言うことを聞いてくれない。

 恐怖と混乱に、自分の細胞全てが対応しきれていないのだ。


「――ふっ!」


 どごぉん――そんな重々しい音が、ヤミの発した声と同時に聞こえた。

 獣が背中から倒れ、地震と思いたくなるほどの振動が発生する。しかしヤミの動きは止まらず、更に拳を構えながら飛びかかった。

 ここでようやく少女は気づいた。獣が倒れたのは、ヤミの拳が獣の頬を勢いよく殴り飛ばしたからなのだと。

 そんなことを呑気に考えているうちに、獣はもう動かなくなっており、スタッと降り立つヤミの足音が響き渡る。


「よし、おしまいっと!」


 ぱんっ、と手を叩きながら、ヤミがスッキリしたような声を出す。彼女の体に纏っていた淡い光も、自然と消え失せた。

 そしてキョロキョロと周囲を見渡し、少女の存在を確認して近づいてくる。


「大丈夫? すぐに助けてあげるからね!」


 ポーチから取り出した小型のナイフで、縛られている手足の縄を切り、手際よく少女を解放したのだった。

 もう動きに不自由はしていないはずなのだが、少女は未だ呆然としていた。

 改めて見あげてみると、ヤミが割と長身であることに気づく。スレンダーながら割といいスタイルをしていることも。

 長袖とショートパンツに黒いタイツを着ており、手と顔以外の肌は見えない。

 だからこそだろうか――美人というより格好いいように見える。

 同じ女として、普通に惚れてしまいそうだ。目の前で見せてきている笑顔が、実は幻なのではと思えてしまうほどに。


「……おーい、どうしたのー? 大丈夫かーい?」


 むにー。

 ヤミが少女の頬を両手で引っ張ってくる。突然の衝撃に、少女はようやく自分が何をされているのかを把握した。


「ひゃ、ひゃめてくだひゃいっ!」

「おっとっと」


 両手で必死に振り払うように動かす少女に、ヤミは小さく驚きながらも、安心したような笑みを見せる。


「とりあえず大丈夫っぽいね。いやー、良かった良かった」

「むぅ」


 両手で頬を撫でながら、少女は恨みがましい目つきで見上げる。突然やられたことに対して物申したい気持ちでいっぱいだったが、目の前の人のおかげで助かったことも確かだと、少女は思っていた。


「……ありがとうございます。助かりました」

「気にしなさんな。あたしは当然のことをしただけさ」


 少女の態度を気にも留めることなく、ヤミはニカッと笑う。まるで太陽のような眩しい笑顔に、少女の心も穏やかになってゆく。

 そのおかげだろうか――不意に胸の奥から何かがこみ上げてきた。

 そしてそれは、涙となって両方の目から零れ落ちる。


「あ、あれ……なんで……うぅっ!」


 恐怖から解放された証だった。こうして無事でいられることが、どれほどの奇跡であることか。

 新しい一歩を踏み出した矢先での裏切り。そして命の危機にさらされた。

 なのに重傷一つ負わず、こうして助けてもらい、なおかつ暖かな笑顔で自分に手を差し伸べる。そんなヤミの存在に、心からの反応が湧き出たのだった。


「わたし……わだし、う、うわああああぁぁぁーーーーんっ!」


 真正面から思いっきり抱き着き、ぐぐもった叫び声を解き放つ。今も頭の中で考えられることは何もなかった。

 ただ、ひたすら声を上げて思いを外に出す。できるのはそれだけであった。



 ◇ ◇ ◇



「……すみませんでした、みっともない姿をさらして」

「いいよ。それだけ怖かったんでしょ? 泣いて少しはスッキリした?」

「おかげさまで」


 弱弱しく頷き、改めて少女は顔を上げる。


「申し遅れました。わたしはリコスと言います。こないだ冒険者ギルドに登録したばかりの薬師です」

「そっか。あたしはヤミ。冒険者として世界を気ままに旅してるよ」


 なんてことなさげに笑うヤミの表情が、リコスにはとても凄いように思えた。

 弱い自分とは違う強者の笑み――そう見えてならなかった。

 目の前にいながらも、決して手が届かない。それこそが自分と彼女の絶対的な距離なのだと、そんなふうに感じられる。


「ところで、あんたはどうしてここに? 見るからにワケアリっぽいけど?」

「あ、えっとその、実は……」


 ヤミの問いかけに対し、リコスはやや戸惑いながらも正直に答える。その事情を粗方聞いたところで、ヤミは腕を組みながらふぅんと頷いた。


「――要するに、まんまとそのヤドラって男に、嵌められたってわけだ?」

「はい。返す言葉もございません」


 リコスは力なく頷いた。ちなみに彼女の現在の姿勢は、見事な正座である。

 別にヤミが強要したわけでもないのだが、いつの間にかこうなっていた。本人なりに反省しているという意志表示なのかもしれないが、ヤミからすればどちらでもいいことであった。


「とにかく、あたしたちもすぐに地上へ戻ろう。このままだと、あんたはマジで死んだことにされちゃうから」

「そ、そうですね。それは流石にわたしも嫌です! あ、でも……」


 リコスは思い出したかのように、不安な表情を浮かべる。


「わたしたち二人で大丈夫でしょうか? ここ、ダンジョンの最深部ですし」

「大丈夫でしょ」


 対するヤミは、どこまでもあっけらかんとしていた。


「道中の魔物くらいなら、あたし一人でもなんとかなるからね。もうこのダンジョンに大型モンスターは一匹も残ってないし」

「さ、流石ヤミさん。さっきもそうですけど、ホントお強いんですね」

「いやぁ、それほどでもないよ♪」


 あからさまに照れながら後ろ頭を掻くその仕草も、リコスからすれば余裕の表れにしか見えない。

 故に自分のマイナスな部分が、どんどん中で膨れ上がってきてしまっていた。


「わたしはホントにダメダメです。なんかもう嫌になっちゃいますよ」

「リコス……」


 落ち込む少女の様子に神妙な表情を浮かべるヤミだったが、それはすぐに優しい笑みに切り替わる。


「とりあえず歩きながら話そうか。ずっとこんなところにいても仕方ないし」


 そしてリコスの手を引いて立ち上がらせ、二人は歩き出す。

 既に大型モンスターが一匹も残っていないせいか、ダンジョンの中が静かになっているような感じであった。所々で小さな魔物こそ発生しているが、発見する度にヤミが蹴散らしており、順調に地上へ向けて進んでいる。

 ルートを把握しているのか、ヤミの先導に迷いはまるで見られなかった。


「実はわたし、冒険者になったのも、殆ど無理やりな感じだったんです」


 不意にリコスが、俯きながら切り出した。


「両親が早くに亡くなって、調合の師匠であるオババ様に拾ってもらって、もう十年近くなるんですけど……未だガミガミ言われっぱなしで。もう子供じゃないんだからっていう、つまんない反抗心を抱きました」


 悔やんでも悔やみきれない――そんな気持ちが口調に出ていたが、ヤミは歩きながらも黙って聞き続ける。


「冒険者になってオババ様を見返してやる……そう思ってたのがこのザマです。もしこの件が知られたら、またなんて言われることか。はぁ……」


 大きなため息をつきながら項垂れるリコス。どうにか誤魔化せないかと考えれば考えるほど、ガミガミと叱られる未来しか想像ができなかった。

 すると――


「ふぅん。なんかリコスって、あたしと似てるところあるんだね」


 ヤミが思わせぶりにそんなことを言い出してきた。当然、リコスは意味が分からずきょとんとする。


「え、似てるって……」

「境遇がさ。あたしも割と、ややこしい感じなんだよ」


 前を向いたままヤミは苦笑する。簡単に言えることではないが、特に隠す理由もないため、リコスにありのままを話すのだった。


「実はあたし、この世界の出身じゃないんだ。地球という別の世界から来たの」


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