004 裏切りはダンジョンの最下層で



「ど、どういうつもりですか、これはっ!?」


 少女の叫び声が、ダンジョンの壁や天井に反射して響き渡る。普通ならばこのような場所で、大きな声や音を出すのはご法度に等しい。大型モンスターが潜むダンジョンの最深部ともなれば尚更である。

 それくらいのことは、少女も理解している。そんなことを気にしている場合ではないからこその叫び声だった。

 そしてそれがよく分かるからこそ、言われた張本人たちの表情は、実に楽しそうにな笑みを浮かべている。

 誰が見ても分かるくらいに、それはもうニヤニヤと。


「どうもこうもねぇよ。お前がここで、俺たちのための生け贄になるってだけさ」

「なんで……どうしてですかっ!?」


 少女は必死に叫ぶ。できればすぐにでも起き上がって、目の前の男たちに詰め寄りたかった。

 しかしそれはできなかった。

 手足を縛られて自由に動けない状態だからだ。

 望んでこんなことにはなっていない。目が覚めたらこうなっていた。何かの間違いであってほしい、今からでも冗談だと言ってほしい――そう思えば思うほど、絶望の二文字が暗闇とともに押し寄せてくる。

 それが少女を震えさせ、目に涙を浮かばせていた。


「答えてください、ヤドラさん! わたしが一体、何をしたって言うんですか!?」

「別に何も」


 必死に叫ぶ少女に対し、パーティのリーダーことヤドラがフッと笑い、何の悪びれもない様子で、大げさに肩をすくめた。

 そして、改めてダンジョンの周囲を見渡すように視線を動かす。


「このダンジョンは、町の近くにある割にレベルが高いことで有名でな。ここをクリアすれば俺たちの株は大上がりってもんさ。しかしその分……失敗した際に喰らうギルドからのペナルティも、それ相応に大きくなっちまうんだよ」


 少女が属しているこの冒険者パーティが、まさにそれであった。

 ダンジョンの最深部に辿り着けたまでは良かった。しかし大型モンスターに太刀打ちするには、まだまだレベルが足りなかった。

 やむなく撤退することに決めたが、大型モンスターはずっと追いかけてくる。

 全員が問題なく帰還するのは厳しいのではと思われていた。少女もその不安は感じていたが、リーダーは一人、得意げに笑っていたのだ。

 ちゃんと策はあるから安心しろ――と。

 だから安心していた。

 しかしそれが大きな間違いであることに、少女はようやく気付いた。


「策って……あなたの言っていた策っていうのは……」

「そんなの決まってんだろ。お前を囮にして、俺たちは地上へ帰るって寸法だ」


 男たちの笑い声がケタケタと響き渡る。壁や天井を伝って、どこまでも遠くまで広がるかのように。

 そんな楽しそうな声は、少女からすれば悪魔のようにすら感じられた。


「新人冒険者であるお前なら、消えたところで誰も困りはしない。だから俺たちはお前を誘ったのさ。使い捨てにはちょうどいいからな」

「そ、そんな……」


 もはや少女は嫌でも分かってしまう。自分はただ利用されるだけ利用され、捨てられようとしているのだと。

 ここでどんなに声を上げても、目の前の彼らに届くことはないのだと。


「てゆーかさ、お前も少しは不思議に思わなかったのか?」


 ヤドラは両方の手のひらを上にして、やれやれのポーズを見せる。


「冒険者ギルドに登録したての駆け出し――それも戦闘能力のないガキを、わざわざ高ランクである俺たちのほうから話しかけて、メンバーに誘う。普通に考えたらまずあり得ねぇ話だろうが」

「リーダーもダメ元でやってみただけでしたもんね」

「あぁ。まさかここまで上手くいくとはな」


 仲間の声に頷きつつ、ヤドラは改めてニヤリと笑う。


「コイツはどこまでも俺たちのことを素直に信じてやがる。カモになるために生まれてきたのかと思ったくらいだぜ」


 心から楽しそうに笑うヤドラの表情は、どこまでも少女を見下していた。涙を流しながら言葉を失う少女に、心を痛めることもない。

 彼の仲間たちもまた、ニヤついた笑みを浮かべ、次々と口を開く。


「最初から利用するために誘ったのに、最後の最後まで気づかないなんてな」

「冒険者たるもの、ズル賢いヤツが最後に生き残るってもんだぜ」

「俺たちを恨むんじゃねぇぞ? 騙されたお前が悪いんだ」


 誰一人として、申し訳なさの欠片も見られない笑みを浮かべている。そしてすぐに視線を逸らしてしまった。もう相手にする価値もないと言わんばかりに。


「――まぁ、そんなわけだからよ。お前はここで大人しく、後ろから追ってくるデカブツのエサになってくれや」


 そしてヤドラは、ニッコリと満面の笑みを見せてきた。


「冒険者ギルドに戻ったら、お前のことは俺たちがしっかりと報告しておくぜ。俺たちのために自ら進んで囮を引き受けてくれた、実に勇敢なヤツだったとな」

「そんな……わ、わたしはそんなこと言った覚えはありませんっ!」

「知ったこっちゃねぇさ。証拠もねぇ以上、いくらでも辻褄は合わせられるからよ」


 必死に声を上げる少女だったが、やはり彼らの心には届かない。


「まぁ、冒険者なんて掃いて捨てるほどいるから、新人のお前のことなんてすぐに忘れ去られるだろう。しかし俺も決して鬼じゃあねぇから、しばらくは覚えておいてやるつもりさ」


 軽く肩をすくめながら、ヤドラは淡々と言う。しかし次の瞬間――


「ギルドへの報告を終えたら、何秒覚えてるかどうか自信はねぇけどなぁ!」


 歪んだ笑みとともにそう言い切った。同時に響き渡る彼らの醜い笑い声。それは少女の耳から、脳内全てを支配する勢いで広がっていった。

 もはや何も考えられない。流れる涙も気にならず、鼻や口からも液体が出ていることにすら、彼女は気づいていない。


「――じゃあな。あと数分の命を楽しんどいてくれや。フハハハハッ♪」


 そう言いながらヤドラは踵を返す。仲間たちも同時に背を向け、振り返ることなく歩き出してゆく。

 そんな彼らの背中を、少女は呆然と見つめていた。

 待って、助けて、置いていかないで――そんな叫びを出すこともできない。


 ――ずしぃん!


 そんな重々しい音が聞こえてきた。そしてその音は段々と大きくなり、刻一刻と気配も迫ってきている。

 少女が恐る恐る視線を向けてみると――


「ひっ!」


 毛むくじゃらで荒い息をしながら、大量の涎を垂らす大型の獣型モンスターがそこに立っていた。

 視線は少女にまっすぐと向けられている。

 ターゲットにされていることは、嫌でも理解せざるを得ない。


(わたし、もう終わりだ……このままここで、惨めに死んじゃうんだ……)


 どうあがいても助かる可能性が見えてこない。あと数分も経たぬうちに、目の前にいる獣に喰われ、この世を去るのだろう。


「グルルルルル――」


 低い唸り声が聞こえてくる。現れたモンスターの視線は、縛られて動けない少女をジッと見つめていた。

 狙っている。間違いなく餌だと見なしている。

 もう足掻く気にすらなれない。動くのを止めた少女の目から光も消える。


(ごめんなさい、オババ様。せめて……どうかせめて一思いに……)


 そうすれば痛いのも苦しいのも、わずか一瞬で済むだろう――少女は呑気にそんなことを考えていた。

 人間、諦めが肝心とはよく言ったものだと思いながら。


「グルオオオォォーーーッ!」


 咆哮を上げながら、モンスターが少女を狙い、飛びかかろうとする。来世では幸せになれますようにと願い、少女はスッと目を閉じようとした。


「――せいやぁっ!」


 勇ましい声とともに、重々しい音が響き渡ったのは、まさにその時だった。

 いつまでたっても喰われる気配がない。少女が恐る恐る目を開くと、モンスターと自分との間に、一人の人物が立っていることに気がつく。


「生憎、この子をあんたのエサにさせるつもりはないよ!」


 後ろ姿でよく分からないが、どうやら女性のようだ。少女は別の意味で絶句しながら見上げる中、割り込んできた人物は堂々とモンスターを見据えている。

 ゆっくりと立ち上がり、怒り狂うその姿にも、臆する様子をまるで見せない。

 暗い中でも何故だかよく分かるほどの、真っ白になびく髪の毛が、まるで神を表しているかのように光って見えた。


「通りすがりのヤミさんが来たからには――どこまでも容赦しないからねっ!」


 その勇ましい声は、少女の心を急速に安定させていくのだった。


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