婚約者メンヘラのせいでおかしくなる

第8話 え? え? え?

 お願い嘘だと言ってちょうだい。

 私が逃げ出したのはもう2年も前よ。

 ここで生活がそれなりに回るようになった今更なんであらわれんのよ!?


 正直なところもう完全に逃げ切れたと思ってた。

 たまに窓からバレイン家が納める領地のあたりを眺めて、幸せにしてるかしらなんてやっててちょっとその雰囲気に酔っていた自分がまるで馬鹿のようだわ。


 この扉を閉めたら、なんとかなかったことに……はならないですよね。

 思わずがっくりと肩を落としてしまう。



 小さな住まいに似つかわしくないアインの登場は私の平和な暮らしの終わりの象徴でもあった。

「リリー?」

 繰り出される声は優しい。

 そしてその優しい声がというか、逃げ切ったと思って平穏な暮らしをしていたところに突如現れたことが怖すぎる。

「っ…………どうしてここに?」

 長い沈黙の後ようやく絞り出したように私は探し出してきたアインにそう問いただした。



「すべてが終わったら迎えに来ると約束しただろ。遅くなってごめん」

 そういってアインは私の手をぎゅっと握り、別れた時よりはるかに伸びた身長の分膝を折り私の目線に合わせた。

 その瞳にはうっすらと涙が浮かぶ。



 ぎゅっと手を握られたけれどこっちの頭の中はそれどころではない。

 何? 私って物語が始まる前にぽっくりなくなるキャラだったけれど、逃げだしたら物語の進行上うまくいかない何かしらの出来事があったの?


 だから2年たった今更私を探し出して、それでそれで……

 ここまでして私を探し出したのは、それに見合う理由があるはずだってどうしても考えてしまう私は、どうしたらいいのかと頭を必死に働かせた。





「『あなたが迎えに来るのを私ずっとずっと待っている』リリーはそういってたよね……。お金は当分の間十分に暮らせるように多く渡したつもりだった。それが僻地で人目を避けるようにっ……こんな小さな邸宅で……一人で待っているだなんて思っても見なくて……」

 言葉に詰まりながらアインはそういって、私の手に額を当ててまるで懺悔するかのように目を閉じ時折鼻をすすった。




 えーっと、すでに平和ボケしていてうっすらとしか覚えてないけれど。

 そういえば別れ際になんか私も感極まっちゃって。

 こんなイケメンとそういうシーンは二度とないだろうと思った結果。



 ここぞとばかりにロマンチックなセリフを空気に流されていったような気がする。

 だって、もう二度と会えないと思ったし、このレベルの男とのラブロマンスなどないって思っていたもの。



 その場のムードに流されて軽い気持ちでいった言葉を真に受けたアインはずっとすべてが片付いたら私のことを迎えに来よう思ってくれていたなんて……



 ――なんてわけない。

 私の頭はそこまでお花畑じゃない。





 私との思い出はどう考えても最悪のはず。

 自分でいうのもあれだけど、そうとうヤバイメンヘラ女の行動しかしてない。 

 脱失経路を確認するために、愛の確認をするためにということを理由にして、しょっちゅう屋敷を抜け出し、アイン本人に探させた。

 一貫性がないとおかしいってことで、脱出経路を確認しているとばれないように、私は彼に愛されたくて仕方ないといわんばかりに常にふるまった。

 お揃いじゃないと嫌なのと言ってみて、彼の趣味に合わない服を着せてみたり。

 行きたいところがあれば、好きなら連れて行ってよ!

 欲しいものがあれば、買ってくれないのは愛がないからだなんてやってきた。


 うん、どう考えても私のことが恋しいから探したなんて成立するはずもない。

 


 転生する前読んだレディコミにはこう書いてあった。

 妻とは別れる気はないけどやらせてよ! なんてことをいって不倫に持ち込む馬鹿はいないと。



 あのメンヘラ女がどーーーーしても許せなかった。

 それこそ家のごたごたが落ち着いた後、手間暇かけて探し出してまで復讐したい。


 でも過去散々振り回されたのが未だに腹が立って仕方ない、次は時間をかけてじっくりいたぶるつもりだから家に戻っておいでなんて言う馬鹿はいない。



 ぶるぶると私の身体が恐怖で小刻みに揺れる。

「リリー?」

「あの、なんていうか……ごめんなさい。本当に、ね。あの、ごめんなさい」

 本能的に一歩後ずさるけれど、私の右手はアインが両手で握りしめているから、これ以上下がりたくとも下がれそうにない?

「リリー?」

 不安そうな顔でまっすぐと私の瞳を見つめられる。

 特に何かされたわけではない。

 絶対見つからないと思っていた僻地のこれまでここは安全と思って暮らしていた私の家にアインがいる恐怖がじわじわと私の心を蝕む。




「私ね。当時本当に必死で。それで、アインにはずいぶんと迷惑をかけたわよね。うん」

 なるべく彼を刺激しないように言葉を選ぶ。

 そして隙あらば逃げよう。

「わかってるよ」

「わっ」

 握られた手をぐっと手前に惹かれて私はアインの腕の中に納まった。 

「もう大丈夫。大丈夫だよ」

 そうしてようやく少し伸びてきた私の髪をアインは以前のように優しく優しく手で梳いた。



 やらかした自覚がなければ、ドキッとしただろうし。

 私を慰めるいつものお約束を覚えていてくれたことに涙すら流してたと思う。

 自分だったらぶんなぐってるって女を演じていた過去さえなければね。


 流石ヒロインと三角関係になるだけある。

 物覚えがいい。

 かっいいアインにハグされて慰めてもらうのサイコーなんて調子に乗って、こうするまですねるって毎度毎度してたら、こうやってとりあえず慰めてさっさと落ち着いてもらおうといつからか思ったのか。

 何の迷いもなくこうやって慰めるのが当たり前になったなぁとか懐かしいことを思いだす。


 


「バレリア大公閣下早いですよ!」

 開け放たれた扉の向こうから声が聞こえてくる。




 たたたたた、大公閣下!?

 私を毒殺して殺そうとする張本人。


 アインの身分的に単独ではなく何人かの兵士は率いてきているはずと思っていたけれど。

 まさか私にとっての真のラスボス大公閣下が一緒にいるだなんて思っていなかった。



「アイン、私今日予定があるんだったわ」

 抱きしめる彼の胸をぐっとおして慌ててもうなりふり構わず逃げようとするけれど。

 胸板をいくらおしても私は開放してもらえない。

「リリーには悪いけれど、その予定は今日は遂行できない。君はもうバレリア大公家へ帰るのだから。人と会う予定ならば、後日大公家に招待しよう。それが仕事であれば、こちらが話をつけてこよう。それで相手は誰?」


 逃げるためにとっさについた言葉だから、相手などいるはずもない。

 今軽い気持ちで村人の名や店の名を上げようものなら大変なことになる。

 大公家にご招待だったり、大公家の人間が店にやってきたらパニックになることは必須、どうしよう!?




 

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