第7話 オワッタ
アインは小さなため息をつくと、もたれかかる私を立たせると落としたお面を拾うよりも先に、なれた手つきでほんの少し乱れた私の服装を軽く整えた。
私を一通り整え終えると、アインはようやく落としたお面を拾い上げると困った顔をして私を見つめて声をかけてきた。
「リリー、どうしてここにやってきたの?」
私の名前を呼ぶ声は優しいいつものものだった。
でもそれは、間違いなく目の前にいるのはアインだと私に知らしめるかのようだっった。
オワッタ……
というか、そういうことか。そういうことだったのね。
なんでこの街に、そんなすごいギルドがあるのだろうと思えば、ギルドの主は実は悪役のアインでしたという落ちだったのね。
どうして駆け付けられたの? っていう場面が小説でもあったけれど、アインがギルド長となればすべての辻妻があう。
あ~よくできているわ小説。
本当にもう終わったと思うと、自然と足の力が抜けた。
アインは突然また体制を崩した私を慌てて支えて、今度はソファーへと座らせた。
『死ぬ』
『死にたくない』
血の気が引くのが解った。
どうあがいても目の前の人物から逃れることはできないのだと。
アインは膝を折り、椅子に座り膝に手を置く私の手に自身の手を重ねそれはそれは心配そうに見つめてくる。
彼には何も今のところ問題ない。
いや、多少の問題においても目をつぶってもいいくらい。
だけど死ぬことだけは目をつぶれない。
私が言葉を発するのを、アインは言葉を発さずに待ってくれた。
深呼吸をして私はようやくアインに本心を打ち明けた。
「ここには私を屋敷から逃がしてもらうための手立てを整えてもらおうと思ってやってきたわ」
「それは、リリーが食事をとらなくなったことに関係がある?」
私はうなずいたけれど、毒殺はあくまで私が物語の先を知っているから強い断定としているだけだ。
まだ毒を盛られたかどうかわからないのに、毒殺の話をアインにするには弱すぎる。
「……わかった」
どう言葉にしようかあれこれ悩む私をさえぎるように、困った顔でアインはそういった。
「わかったって、何が?」
「政治的なごたつきに巻き込まれて、リリーは僕の母のようには死にたくない。違う?」
「ちがわ、ない」
「毒殺は確証がないけれど、今の自分の立場だと危なくてここには留まれない。だからギルドを頼ってでも逃げたい。それが君の答え。あっている?」
アインの菫色の瞳がまっすぐ私をとらえ、私はゆっくりとアインの問いにうなずいた。
「服から取った装飾品はまだある?」
「えっ、いえあれで全部です」
貴重な逃走資金をたまるものですかとすっとぼけたけれど……
「はぁ、ルーペで見るとわかる刻印がされていて、売れば足がつく。残っていれば現金に換金しようかと思ったのだけど」
刻印!?
思い返せば、渡した後なんだか様子がおかしかった。
態度がガラッと変わったのもおそらく刻印が確認されたからだ。
「はぁ……」
私は巾着に入れていた、大事な資金は売れば足がつくものだと理解して観念して差し出した。
「今度こそ本当に全部?」
「えぇ、もちろん」
「1つでも売れば、そこから間違いなく足がつく。忘れないで」
その言葉とともに差し出されたのは、私が宝石を入れていた巾着よりもはるかに大きな巾着いっぱいの金貨だった。
机の上に無造作に置かれた、私が欲しくて欲しくてたまらなかった逃走資金。
でもその意図が解らなくて、私の視線は巾着からあふれんばかりの金貨とアインをいったりきたりする。
これだけあれば、ココから遠くに逃げて小さな家を買ってつつましやかにくらしていくには十分すぎるほどだ。
それでもこれは罠ではないかと、手を伸ばすのを躊躇してしまう。
私がアインの元をされば、アインには妻に逃げられたという実に不名誉な称号がつく。
これを受け取って街を出たのを見計らって殺されたりしないよね?
死を覚悟していた私は、待望の逃走資金にも関わらず、それをすんなりと受け取れずにいた。
「僕はリリーに死んでほしくない」
「その言葉に本当にほんとーに嘘偽りはない?」
「ない」
「街を出たとたん殺されたり……」
おずおずと聞くとアインは慌てて否定した。
「そんなことさせない」
「か、神に誓える?」
「誓う」
そんなの言葉だけで簡単にすませられてしまうことはわかってる。
アインに私が逃げたいという本性がばれた今、残っていてもどうなるか分かったものではない。
ギルド長としてアインが目の前に現れた段階で、私にはもうほかに選択肢はない。
殺されないことを祈って目の前の金貨を受け取って去るしかないのだ。
「ほら、早くいかないと。リリーを探すために護衛の応援が屋敷から呼ばれる。だからその前に……」
「ありがとう。沢山迷惑かけてごめん。護衛とメイドの処罰は……」
これまでの日々を振り返って出た私の心からの謝罪と予定になかった結構に付き合うことになったメイドや護衛たちのことを私は慮った言葉が口から出た。
「全部心配しないで。すべてが終わったら必ず迎えに行く」
私を探してという糞みたいなことにも、建前上きちんといつだって付き合ってくれていた。
もうメンヘラの私を刺激しないように、こういうのが癖になっているのかも。
さらりとそういうことを言われて、私はもうこういうやり取りも最後なのねとこれまでのことを思い返してしまった。
「ありがとう。あなたが迎えに来るのを私ずっとずっと待っている……」
街を出たとたん、始末される可能性がぶっちゃけあるけれど……
とにもかくにも私の真面目で白雪姫のように美しい夫と会うのはこれで最後と思うとこみあげるものがあって、ついつい最後は声がかすれた。
まるで物語のクライマックスのように、私は実にロマンチックな言葉を最後にアインに告げて、この街を後にした。
私が去って時間がたてば、物語通り聖女であるヒロインがアインの前に現れるはずだ。
そこからは小説通り三角関係が始まる。
私の役割はとにもかくにもこれで終わり。
街を離れてからしばらくは、暗殺されるかもとガクブルだったけれど。
その恐怖も日が経つにつれて、薄れて行った。
私は殺されることはなかった。
私はその後大公領を後にし、リリーという名もバレリア家という家名も捨て、エリーという名で生きていくことにした。
そして大きな街だと見つかるかもしれないと田舎の小さな家を買って細々と暮らしだした。
異世界に来てからは、メイドがいて不便なことはすべてメイドがしてくれたから困ることは何もなかったけれど。
新しい生活は科学が発展していない場所で自分一人で何もかもやらなければいけなくて。
それはそれは大変で新しい生活にはなかなか慣れることはできなかった。
アインからもらった金貨減るたびに不安になって、異世界の知識を生かしてお金をってことは悲しいけれど、そういうことをするには財力か人脈のどちらかがいるのだという壁にぶち当たり絶望したり。
とにもかくにも生き抜くためには何か考えないとって思いながらあっという間に2年もの月日が流れた。
自分でザンバラに切ってしまった髪もようやくそれなりに伸びて見れるようになったし。
田舎での暮らしにもようやく慣れて、冬はちょっとした内職の依頼を受けて真面目にこなし。
春から秋にかけては野イチゴをつんで煮詰めてジャムもどきにしたものを売ったり。
田舎だからこそある高価な野草を時間が許す限り集めたり。
時間あるからこそなんでもした。
街の人達も、最初はこんな変なところに来た私を警戒していたが、無害だとわかったようで、ずいぶんと住みやすくなった。
もうヒロインは登場したのだろうか。
アインはどうしたのだろうか。
私が逃げ出した後、結納金をもらっていたシュタイン家はどうなったんだろうか?
私が逃げ出した後のバレリア家のその後は?
いろいろ思うことはあるけれど。
田舎も田舎というだけあって、そういう情報はちっとも入ってこなかったのがありがたかった。
そんなこんなで何とか、生活が回りだしたころ。
私の家の扉がノックされ、現れた人物に私は言葉を失った。
雪のように白い肌、血のように赤 い唇、 黒檀のような黒い髪……
小さいのに高くて鼻筋しっかりの鼻、薔薇のような頬。
最後に見た頃よりも背はずいぶんと伸びているけれど見間違いようもない。
ありえない。
ありえないでしょう。
どうしてここにいるの? ヒロインはどうしたの?
もう本編が始まっているんじゃないの?
思いもよらない人物の登場に、思うことは沢山あるのに、言葉がちっとも出てこない。
そんな私とは裏腹に、私を見つめる瞳はゆっくりとうるみ。
本当に本当に心の底から会えてよかったと言わんばかりの顔をして……
「遅くなった。帰ろうリリー」
アインはゆっくりと私に手を差し出してきた。
私はというと久しぶりに呼ばれたその名、もう二度と会わないと思っていた人物の再登場に意味が解らなくて差し出された手をみて私は固まった。
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