あかり先生はこころの声が聞こえる①


 12月半ば。雪でも降り出しそうな寒さだった。


 僕、若葉陽斗(わかば はると)は身震いしながら、ある建物に入る。コートとマフラーを外し、鼻を啜った。




「おはようございます」




 僕の通う私立大学は、幼稚園からエスカレーター式に内部進学できるようになっている。そのためか、大学と小学校が同じ敷地内にあり、交流も多い。僕はサークルの一環で月に何日か小学生の学童に出向いていた。




 暖房の効いた教室内は、クリスマスの装飾がなされている。僕がここで何をしているかというと、子供たちに向けた『手話教室』だ。




「ねえ先生はどうして手話やろうと思ったの?」




 休憩中、桃花ちゃんという女の子が不思議そうに尋ねた。小学生は好奇心旺盛だ。なにかに付けて「なんで?」とか「どうして?」とか、色んなことを知りたがる。


 僕も小学生の時はこんな感じだっただろうか。




 僕は昔を思い出して一人笑みをこぼす。




「陽斗先生?」


「あ、ごめんごめん。ええと……僕が手話をやろうと思ったのはね――心の声が聴こえるようになりたかったから、なんだ」




 いつの間にか集まってきていた他の子供たちも輪に入れて、僕は『アカリ先生』の話を始めた。








 10年前。




 小学五年生の僕は、少し……いやかなりのお調子者で、いたずらばかりしていた。先生からは「またお前らか」と言われるくらい、何かをしでかすのはいつも僕を中心とした何人かで、僕にはそれが楽しくて仕方がなかった。自分がなにかをすれば世界が変わる、そんな気さえしていた。




 だけどそんなある日、教育実習生として彼女がやってきた。


 大学生のアカリ先生だ。小柄で、穏やかに笑う人だった。でも、アカリ先生は耳が聞こえなかった。




「アカリ先生は、耳が聞こえないけど口元は読み取れるし、文字でならコミュニケーションが取れる。短い間だが、みんな仲良くしような!」




 担任の先生は、そうアカリ先生を紹介した。


 正直、「教育実習生か、ふーん」くらいの感想しか無かった。




 アカリ先生は黒板に「よろしくお願いします」と書くと、グーにした手を鼻先から天狗みたいに少し伸ばし、そのままパーにした手をチョップするみたいに奥に倒した。


 ぽかん、とした僕らを見かねた先生が補足する。




「これは手話と言ってな、声に出さない言葉なんだ」




 アカリ先生は僕らを見て、にっこりと笑った。


 やっぱり僕の感想は「ふーん」だけだった。








「なぁ、今日どうする?」


「学校集合でいいんじゃん?」


「サッカーしようぜ」


「そのあとゲームしようぜ」




 放課後は大体サッカーか、ゲームか、誰かの家に行くか、そんな感じだ。同じクラスの大地と、友也、隆佑、他にも何人か。特に僕は大地と仲が良くて、隆佑とは折り合いが悪い。隆佑のことは嫌いじゃないんだけど、ズルいところがあるから、あんまり好きになれない。サッカーは超上手いんだけどな。




 そしてやっぱりだった。


 ――あれから数日後、僕は初めて隆佑とケンカした。


 いつかはこうなると思ってたんだ。小さな不満が小石を積み上げるみたいに積み上がっていって、ある日、がしゃん、って崩れた。




 実際にがしゃん、と壊れてしまったのは花瓶だったけど。


 後ろのロッカーの上に置いてあった、小さな花瓶が床に落ちてバラバラに割れる。


 朝の会が始まる少し前のことだった。


 後ろでふざけていた大地と隆佑と僕は蒼白した。


 誰かが「いけないんだ〜」と茶々を入れる。




「陽斗が落としたんだから、陽斗が先生に言えよ」




 隆佑が言う。


 僕が落としただって?


 実際に花瓶にぶつかったのは隆佑だったのに、言いがかりを付けられた。こんな風に言われなければ、ふざけていた僕ら三人が悪い、って結論だったのに……。




「隆佑が落としたの、僕見たんだけど。な、大地」


「う、うん」




 誰か一人に犯人役をやってもらうことに、なってしまった。




「しょーこ、あんのかよ」


「……っ、そんなのあるわけないだろ?」


「本当は陽斗が落としたんだろ?」




 隆佑は焦ってるようにも見えた。僕に罪を擦り付けたくて仕方が無いのだ。大地は状況を飲み込めていないのか、オロオロしているだけだ。




「やったって言え!」




 隆佑が僕の胸ぐらを掴んで、そのまま後ろに突き飛ばした。




「いってぇ……。謝れよ!!」




 声を張り上げながら、隆佑に蹴りをお見舞いする。




「誰が謝るか! 陽斗も蹴ったんだからお相子だろ」




 掴み合いになった僕らは殴り合い、蹴り合い、挙句の果てに女子が泣き出して、先生に報告された。


 僕はもはや泣きそうだった。痛いし、怖いし、ムカつくし。




 ややあって先生が駆けつける。その後ろには報告した女子が心配そうに立っている。




「なにやってるんだ、お前たち!!」


「先生、こいつが花瓶を」


「なっ、隆佑!!」




 隆佑はこの期に及んでも、僕のせいにしようとしていた。


 これはちゃんと事情を説明して、先生に僕は悪くないって分かってもらわないといけない。


 僕と隆佑の間に割って入る先生に口を開きかけた時だった。先に先生が口を開く。




「またお前らか。二人ともお互いに謝れ」


「悪い方だけ謝れば良いじゃないですか! なんで僕まで」




 思わず言ってしまう。




「言い訳は良い。お互いに謝って、もうこの話は終わりだ。どうせ花瓶は若葉が割ったんだろ?」




 若葉というのは僕の苗字だ。


 僕はほくそ笑む隆佑を前に絶望した。話すら聞いて貰えないなんて、あんまりだ。




「僕は絶対、謝らない!!」




 ここまできてしまうと、意地になっていた部分もあるかもしれない。だけど、悪者扱いされて、話も聞いてもらえなくて、こんなのあんまりだ。


 僕は教室を飛び出した。




「くそっ」




 どこへ行くわけでもなかったけど、とにかく一人になりたかった。こんな情けない顔を誰かに見せるわけにはいかなかった。僕が選んだのは階段の下に設けられている掃除用具入れ横の狭いスペースだった。


 体育座りをして膝に顔を埋める。


 足音とが聞こえた。




 僕の肩が軽く叩かれる。




『おはよう』




 へらへらとした笑顔で、アカリ先生が僕の顔を覗き込んだ。




「…………なんで」




 ちょうどチャイムが鳴り響く。1時間目が始まった。辺りが急に静かになった。


 アカリ先生は僕の隣に腰を下ろすと、どこからかメモ帳を取り出して僕に見せた。




『若葉陽斗くん、おサボり? ……なんてね。こんなところで、どうしたの?』




 そうだ、アカリ先生は耳が聞こえないんだった。僕は頭をかいた。なんて説明したらいいんだろう。


 アカリ先生はそれを察したのか、さらに文字を綴る。




『普通で良いよ(笑)


 口元読めるし、分からなかったら聞くから( ˙▿︎˙ )b』




 思っていたよりアカリ先生が明るい人で僕は笑ってしまった。




『通りかかったらね、足が見えたの。幽霊かと思ったら陽斗くんだった(笑)』


「幽霊って」


『陽斗くんが笑ってないなんて珍しいね。誰かと喧嘩でもした?』


「喧嘩……。最初は普通に遊んでたんだ」


『うん』


「でも途中でロッカーにぶつかっちゃって、花瓶が落ちた」


『花瓶が? それは大変だ』




 アカリ先生は相槌まで丁寧にメモ用紙に書いてくれた。


 それが「聞いているよ」という合図な気がして、心のモヤが晴れていくみたいだった。




「多分、みんな悪かったんだ。ふざけすぎて、ロッカーにぶつかって」


『うん』


「だけど隆佑が僕が花瓶を割ったって言うから……僕も花瓶に一番近かった隆佑のせいにした」


『やり返しちゃったわけだね』


「それで言い合いになって、蹴ったり叩いたりした」


『やってないのに「やっただろ!」って言われるとムカつくもんね』


「隆佑が僕のせいにしてこなきゃ、僕だって蹴ったりしなかった」


『隆佑くんはどうして陽斗くんのせいにしたんだろうね?』


「……それは、僕が嫌いだから?」


『本当にそう思う?』


「…………」




 僕は黙って首を振った。


 たしかに、僕と隆佑は性格が合うわけじゃなかったけど嫌いあっていたわけじゃない。好きなところも、もちろんあって、そうじゃなきゃ一緒にいたりしない。




「隆佑も僕と同じ気持ちなのかな」


『きっと同じ気持ちじゃないかな?』




 じゃあ、どうして隆佑は僕のせいにしようとしたんだろう。


 なにか理由があるのかもしれない。




『陽斗くんは、隆佑くんと仲直りしたい?』


「――うん」




 答えはすぐに出た。




「先生、僕はどうしたら良い?」


『私と違って、みんなは耳が聞こえるでしょ? 陽斗くんは隆佑くんの言葉を聞けるし、隆佑くんに陽斗くんの言葉はちゃんと届くんだよ』


「……アカリ先生」


『だから、大丈夫。仲直りしたいって伝えるだけで前に進めるよ!』




 僕は唇を噛み締めて頷いた。


 僕が求めていた答えを、優しい笑顔と一緒にくれた。




 ――アカリ先生は確かに耳が聞こえないけど、きっと僕の心の声が聞こえるんだと思う。






 僕は放課後、隆佑に教室に残ってもらった。花瓶の件はアカリ先生が事情を上手く説明してくれたらしくお咎めなしとなった。




「話って、なんだよ」




 隆佑はバツが悪そうに僕と目を合わせようとしない。僕も僕で凄く気まづい。




「…………あのさ」




 声が上手く出ない。自分の想いを伝えるだけなのに、こんなに難しいなんて思ってもみなかった。今まで散々色んなことを言ってきたくせに、重さが桁違いだ。


 それでも、言うんだ。




「僕は隆佑と仲直りしたい!!!!」




 言った、言ったぞ!


 清々しい気分だった。仲直りしたい――僕が思うのは本当にたったそれだけだった。




「…………陽斗、なんで?」


「なんでって、隆佑と遊べなくなったらつまんないじゃん」




 隆佑は目を丸くして僕を見た。


 それから泣きそうな顔をして鼻の穴をひくひくさせて、声を絞り出した。




「ぅ……ごめん陽斗」




 これには僕もびっくりして、ぽかんとしてしまった。まさか謝られるなんて思いもしなかった。つられて僕も謝る。なんせ蹴ってしまっていたから。




 聞くと、隆佑は先生がもし親に報告したらと思うと怖かったらしい。隆佑のお母さんは大層厳しくて、いたずらなんて許されないらしい。




 僕は安心して、心の底から笑ってしまった。


 僕らは何も見えてなかったのだ。聞こえたはずの相手の声すら聞かず、自分ばっかり守って、おかげで隆佑と絶交してしまうところだった。


 だけど、それもこれもアカリ先生のおかげだ。


 気持ちを伝えたら、仲直り出来てしまった。アカリ先生はどうして仲直りの方法が分かったんだろう。




「陽斗、ゲームしに行こうぜ」




 隆佑が涙を拭い言った。




「うん、行こう!」




 顔を見合わせて破顔一笑した。二人同時に教室を飛び出す。




 いつもの放課後が戻った、そんな気がした。

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