カムパネルラ②
時は過ぎて、クリスマスイヴ。終業式の日だった。
八木橋さんが他のクラスのやつから告白をされたらしかった。友達に囲まれながら八木橋さんはいつも通り笑っているが、話の内容はやはり「告白」についてだった。
隣の席ともなるとイヤホン越しに話が聞こえてきて、苦痛この上ない。だが、今日に限っては僕も気にならざるを得なかった。
果たして八木橋さんは告白を受けたのだろうか。
その答えが分からないまま、放課後を迎えた。僕もいつも通りにギリギリまで勉強をして帰る。と、例の橋の上に八木橋さんの姿があった。
僕の姿を見るなり大きく手を振って「おーい!」と叫んでいる。恥ずかしくないのか、彼女は。
「八木橋さん」
「坂下君、遅いよ」
「約束した覚えはないんだけど」
「そうだよ? だから待ってたの。ここにいれば会えると思って」
「……別に、学校で会えたじゃないか」
「そうなんだけど、なんか今日はそれどころじゃなくて」
困ったように眉を寄せて笑う八木橋さんに、ああ、と合点する。告白されていたことだろう。八木橋さんも八木橋さんで参っていたらしい。
この前と同じように僕は八木橋さんと向かい合うように半円の端と端に立った。
「私、坂下君が優しいこと知ってたから、放課後に時間を潰す時は意図的にね、この橋を使わないようにしてた」
「……避けられてた訳だ。全然気が付かなかったけど」
「学校で避けてたわけじゃないもん」
「じゃあどうして?」
「君は毎日毎日、私がこうして時間を潰してるって知ったら心配してくれちゃうじゃない」
1回ではその言葉の全てを理解出来なかった。
僕は軽く頭を搔く。
「カムパネルラに会いに行こう」
気がつけばそう口にして、八木橋さんの手を引いていた。
手を引きながら、冷静な僕が心の中で何をやってるんだとか色々言ってきて、僕だってそんなことは重々承知で――だけど八木橋さんは僕の手を振りほどいたりはしなかった。
僕はずっと前から八木橋さんに完全敗北していて、分かっているつもりでも何一つ分かっていなくて、僕自身のことですらいつの間にか行動が予測不能になっていく。
僕は本来、こんな事をするやつじゃないはずなのに。
田舎で、しかも平日の上り電車なんてこんなものかもしれないが、同じ車両内には僕たち以外の乗客は居なかった。広い車内にぽつんと微妙な距離感で並んで座る僕たちは、たしかに銀河鉄道の中にいるのかもしれない。
「急にカムパネルラに会いに行こうなんてびっくりしたよ〜!」
先に口を開いたのは八木橋さんだった。「どういう風の吹き回し?」と僕の顔を覗き込む。
「僕も今それを考えてた。本当、どういう風の吹き回しなんだろう」
「え、そんな感じなの?」
「悪いけど、そんな感じだから」
「そっか。はあ、でもそうだよね。でも私のためでしょ? それだけは分かるよ。坂下君、ありがとう」
そう、かもしれない。八木橋さんのために、八木橋さんのことだけを考えて動いてしまった。後先も、メリットデメリットすら頭を過ぎらなかった。
僕は様子を伺ってから気になっていたことを口にした。
「あのさ。毎日、時間を潰してるってどういう?」
「やっぱりそこだよね〜。鋭い! 坂下君」
ガタンゴトン、と電車の走る音だけが児玉した。少し間が空く。
「私の気持ちの問題で、人からしたらきっと大したことはないんだけど、ただ居づらいなぁって」
「家に?」
「そう。私、両親とか兄弟とかいなくて親戚の人に引き取られた身なの」
急に季節外れの転校と、あの日、橋の上で見た八木橋さんの横顔が浮かんだ。
「その場に私抜きで賑やかな空間が広がってるとさ、今この場から私が消えちゃっても全然平気なんだな〜とか思っちゃうんだよ。それで自分の存在価値がどんどん軽くなっていくの」
「それは……少し分かる気がする」
八木橋さんが転校してくる前の教室の空気はまさにそれで、だから僕はひたすらに勉強をした。遮るためにイヤホンを耳に指した。僕がいなくても誰も気にもとめない、世界は回る――そんな当たり前のことがただ純粋に悲しくて切なくて。
「そんな暗い気持ちになるくらいなら、私は家にいたくない。でもこれは本当に私の気持ちの問題なんだよ」
「……八木橋さんなら、いつか出会えるんじゃないか? 八木橋さんを必要としてくれて、君にそんな顔をさせないような誰か」
急に八木橋さんの表情が曇る。なにかまずいことを言ってしまったのだろうか。
「それは坂下君じゃだめなの?」
唐突に、八木橋さんはそう口にして普段の強気な瞳に涙を浮かべた。
そう言われたことも驚いたし、八木橋さんが泣いたことが一番驚いた。返す言葉が見当たらない。
「――私、君じゃないと嫌だ。どうしよう坂下君がいい……他の人じゃ嫌だ。ごめんね、坂下君が好きなの」
泣きじゃくりながらの告白。やっぱり言葉が出ない。頭が一瞬真っ白になる。だけど僕よりも八木橋さんの方が大変そうであまりに泣くから呆れ笑いを零した。
「馬鹿だな、八木橋さんは」
「そんな優しい声で言わないで」
「僕だって、八木橋さんだから今ここにいるんだ。僕が誰にでも優しいなんて買いかぶらないでほしい。他の人ならとっくに勉強してる」
「でも私が告白されても、少しも気にしてくれなかった」
「八木橋さんってめんどくさいな。でも、僕がいつ気にしてなかったって?」
八木橋さんが僕を決めつけるから少しむかついてきた。
「八木橋さんのせいで僕は今日、全然集中出来てないんだけど」
「なにそれ」
「告白、断ったの?」
「当たり前。全然知らない人だもん」
「……良かった」
「ねえ、それ安心してるみたいに聞こえるよ」
馬鹿言え、安心してるんだよ。僕は小さく笑った。
終点、ほとんど灯りも人影もない小さな駅だった。電車が行ってしまって、たった二人で満天の星の中に取り残される。暖かい飲み物が買えるような自動販売機すらない。変わりに僕達はそっと手を繋いだ。身を寄せる。
「照れてる?」
「そりゃあ」
「ふふ、坂下君って素直だよね」
「…………」
こういう時に上手く言葉が返せるほど、僕は経験がない。窮屈で思うようにいかない。でも溢れる想いを止められなくて八木橋さんの手を先刻よりも強く握り返す。
「やっと会えたよ私、カムパネルラに」
八木橋さんが片腕を空高く上げて、はっきりとそう言った。
僕も同じように腕を伸ばす。
そして。
「僕も見つけた」
小さく呟くと彼女に視線を向けた。
「僕の負けだ、八木橋さん。僕も君以外じゃ我慢ならないみたいだ」
遠いはずの星々が今にも掴めそうだった。
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