結び結ばれ、赤い糸③
なんだかんだで佐藤さんと夕飯を一緒に食べることが増えていった。主に週末、どちらかの家でただ一緒にご飯を食べる。特別な話もしないし、何かするわけでもない。天気とか仕事あるいは学校とか、長崎と東京がどう違うとか、他愛も無い話をする。
ただそれだけだ。
だけどたったそれだけの時間を、少しだけ気に入っていた。
「なんか最近調子良いな」
「え、そうすか?」
田中さんが作業しながら話を振ってくる。
「なんかあっただろ?」
「いえ別に」
「女?」
「……なんでそうなるんすか」
「間が怪しいな」
言い終わりと同時にEnterキーを押す音がターンッと響き、まるで探偵を装ってるみたいだ。
淡々とExcel入力を進める俺のパソコンを田中さんが覗き込む。
「えっ、もうそんな進んでんの」
「手を動かしてるからですよ」
「お前この前、変なこと言ってたじゃん? 二度と会えない女がどうって」
「……言ってないすよ」
「そういうのいーから」
田中さんのいつになく真面目な声色に、仕方なく頷く。
「はい」
「俺さあの時、気持ちが冷めるまで待つって言ったけどあれ不可能だな〜って思ってさ。だって確認方法がない」
「まぁ」
「だからさ、器用じゃなくて不器用で良かったんだなって。お前に言っとこうと思ってさ」
「急にどうしたんすか」
「ありがたい先輩からの助言だよ」
この人の場合それはそれで裏がありそうなんだよなぁ。でも悪い人じゃないのも確かだ。俺は頬をぽりぽりとかいた。
「それは、ありがとうございます」
しかし、
「てことでさ、今日合コンいかね?」
田中さんは田中さんだった。一瞬で感情が消える。あ、そっすよね。
俺は再び作業に集中を戻した。
「…………行きません」
「おー疲れ様でしたぁ!」
佐藤さんの掛け声と共に麦茶を乾杯させる。
今日は俺の家で麻婆豆腐だ。
「はぁ〜今日も頑張りましたよ」
「そんなに大変?」
「まぁ、受験勉強も相当頑張った口なので最初からスタートラインギリギリなんですよ」
佐藤さんは麻婆豆腐を口に運びながら、ため息混じりに語る。でも俺からすればやりたいことがあってそれに対して頑張れるって結構羨ましいんだけどな。
なんの目標もなく、ただ流されるまま日々を生きてるだけの俺にはかなり眩しく見える。
「佐藤さんは何で看護師目指してるの?」
「理由かぁ。そうですねぇ」
佐藤さんはしばらく考え後で箸を置いた。
「本当のことを言うと、私が日本の医療に命を救われたからですかね。医者になろう! って最初は意気込んだんですけど頭の方が足りなくて。私が手を伸ばして届いたのが看護師だったんです」
「え、なんか病気だったの?」
「――私ずっと心臓の病気で5年前に移植を受けたんです」
センシティブな内容の話を聞いているはずなのに、佐藤さんは暗い影一つ見せない。それどころか澄んだ瞳を俺に向け不敵に微笑んだ。
「だから山田さん、私には優しくしてくださいね」
「すでに優しいだろ?」
「自分で言いますか?」
「……じ、事実だし」
「はいはい、山田さんは優しいですよ」
「とっても」
飲み込む寸前で麦茶が逆流する。
「ゴホッゴホッゴホゴホゴホ!!!」
「大丈夫ですか!?」
佐藤さんの声が一瞬記憶の中の彼女とリンクした。
俺は苦笑いを浮かべながら心配してくれた佐藤さんに「大丈夫、大丈夫」と首を縦に振る。
佐藤さんが帰った後で、俺はソファーに倒れ込んだ。
「ふう」
偶然だ偶然。「とっても」そう付け加えるのは彼女、5年前に他界した菜乃花の癖みたいなものだった。
「山田君はいい事をしたんだよ。とっても」
とか。
「私、山田君が好きです。とっても」
とか。
「ねぇ、遅いよ! 私待ったよ。とっても!」
とか。
変な癖だったからよく覚えてる。こんな言い回しをするのは菜乃花くらいだったから、きっと驚いてフラッシュバックしたんだと思う。
それに――。
いやさすがにそれはないか。
浮かんだ考えを無理矢理にかき消した。
気がつけばもうすぐ7月で、菜乃花の命日が近づいていた。
俺はこの時期になると、物が食べられなくなる。それでも昔に比べれば良くなった方で無理矢理にでも口に入れれば吐かなくなった。
早く仕事を片付けて、早く帰る――そんな気分にもなれなくて意味もなく駅前のサン○クカフェで時間を潰して終電の満員電車で帰る。人、人、人、この時期だけは大多数の人の中に埋もれたかった。
必然的に佐藤さんとも顔を合わせることは無くなって、あの麻婆豆腐の日から会ってなかった。
自分で自分が嫌になる。だけど現実が気持ちが悪くて仕方ないんだ。世界が間違えていて、俺だけが正解を知っているのに何も出来ないようなそんな感覚。菜乃花のいない世界は間違えなんだってこの5年ずっと叫んでた。
そんな日が続いたある日のことだった。その日も無駄に時間を潰して終電で帰って後は泥のように眠る、それだけだった。なのに、玄関先に座り込む人影があった。
「なに、やってんの?」
理解が追いつかなくて、そうこぼれる。
返事はない。まさか、寝てる? 顔を膝の中に埋め、手元には看護学校のだろうか、教科書があった。
「佐藤さん」
佐藤さんの肩に手をやって身体を揺らす。
バッ、と勢いよく佐藤さんの顔が上がった。
「や、やっと会えた。こんばんは山田さん」
春、最初にあった時にも言われた言葉だった。だけど今の佐藤さんは泣きそうな顔をしていて急に現実に引き戻される。
「やっとって? そんなに俺に会いたかったの」
冗談交じりに肩を竦めて見せると、佐藤さんがまた涙を流す。顔をくしゃくしゃにして静かに泣きわめく。
「うっ、会いたかったです! ううぅ…………だって私、好きなんです、〜〜っ山田さんのこと」
俺は知らないうちに彼女を追い詰めていたんだろうか。佐藤さんの頭の上に手を置いて頭をなでる。
「なんて顔をしてるんだよ」
「……それは私のセリフです! なんて酷い顔をしてるんですかぁ!!」
――酷い顔、か。
そうかもしれない。俺は苦く笑った。
「とりあえず、入る?」
佐藤さんは思い切り鼻を啜って泣き腫らした赤い目で、それでも真っ直ぐ俺を見つめた。
「はい」
クーラーの効いた部屋でマグカップに注いだスープが湯気を立てる。
ソファーに横並びに座って、佐藤さんが落ち着くまでスープを啜った。
「最近、私を避けてましたか?」
「えっ全然」
「嘘ですよ。急に帰るの遅くなるし、この前も声かけたのに無視されたし」
「……無視してた?」
「はい」
思い当たることは全然ないけど、考え事をしていたんだと思う。考え込みすぎると、周りの音が聞こえなくなるしタイミングが悪かったんだろう。
佐藤さんに申し訳なくなってきて俺は菜乃花のことを話すことにした。
それにさっきの告白が、佐藤さんの本気なら俺は答えないといけない。
「5年前に当時付き合ってた彼女が死んだんだ。5年も前なのに あの日から今までまるで現実感が無くてさ命日が近づくと俺駄目になるんだよ毎年」
「今でも好きなんですか?」
「さぁどうだろうね」
「沢山泣いたんですか?」
「それが……泣けなかった。なんでだろうな」
そう呟くと佐藤さんが代わりに泣いた。
その泣き顔を見ても俺は何故か穏やかで「なんで?」と静かに聞いていた。佐藤さんは「分かりません」と頭を振るだけで何も言わない。
「……先輩がさ、不器用でも良いから新しい恋をしろって言うんだよ。佐藤さんはどう思う?」
「恋はするものじゃなくて落ちるものですよ」
「そう思うんだ?」
「はい。とっても」
さすがに何も言えなくなってしまった。
ここでそれはずるい。例え偶然、たまたまだとしても上手く笑えなくなってしまう。
視線を落とすと、ふわりと佐藤さんに抱きしめられた。
「え?」
「すみません、なんとなくです!」
佐藤さんの声は震えていた。
「……なんとなく」
佐藤さんの鼓動が聞こえた。緊張しているのか、凄く早い。
でもなんだ、この感じ。俺は知っている?
…………この間、少しは考えた。でもすぐに無理矢理にかき消した。菜乃花は死んだ後、誰かに心臓を提供したらしい。佐藤さんは菜乃花が死んだ年に心臓移植を受けた。もしかして、二人の心臓は……。いや、そんなわけない。そんな偶然があってたまるか。俺は神様の遊び道具じゃない。
なのに、佐藤さんの鼓動は菜乃花と同じ音がした。
俺は専門家じゃないから真偽は分からないけど、確かに聞いたことがある胸の鼓動に目頭が熱くなる。
菜乃花の心臓がここにある――。
それは同時に菜乃花がこの世界にいない証明だった。
「あ、ああ……あああ」
菜乃花は死んだ。
死んでしまったのだ。二度と、会えない。
「山田さん」
「山田さん!」
何度も佐藤さんが俺を呼んだ。
そして、顔を上げるとそこには柔らかい笑顔があった。音を立てて、俺の中にあった決して溶けないはずの氷が氷解していく。
「――私を振ってください」
「ごめん、佐藤さん」
「はい、それで良いんです」
「ごめん」
俺は菜乃花が死んで初めて、菜乃花の死で泣いた。
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