結び結ばれ、赤い糸④
◆After 彼女side
はぁ、東京の夏はなんでこんなに暑いんだろう。湿気を多く含んだ熱風に顔を大きく歪めながら私は駅を出る。明日から試験が始まるから帰ったらまず夕飯の支度をして、ご飯がたけるまでは勉強して――考えるだけで頭の中がオーバーヒートしそうだった。
山田さんに振られたあの日から、私は山田さんに会っては逃げる、そんな失礼極まりない態度を続けていた。どんな顔をすれば良いのか分からない。だってまだ普通の距離感で話したり笑ったりする自信が無い。
私も初めは山田さんのことなんて好きじゃなかった。優しいご近所さん、くらいにしか思ってなかった。だけどなぜか懐かしくて、山田さんを見てると時々泣きたくなった。山田さんが急に残業をしだして、中々会えなくなって私はやっと気がついた。いつの間にか山田さんが好きだったんだって。
あああ、消えろ消えろ! 試験前の煩悩ほど厄介なものはないんだから。ぶんぶんと頭を振って、足を前に進めた。
夕飯の準備をしている途中でお母さんから電話が掛かってきた。そういえばゆっくり電話をする暇もなくて、私から掛けることはめっきり減っていた。
『もしもし?』
『あ! 出た出た!』
『なにか用事だった?』
『えぇなに? 用がないと電話しちゃいけんの?』
『そうじゃないけどさ』
私はフライパンの中で野菜を炒めながら、スピーカーオンにしたスマートフォンを手元に置いた。
『最近暑いけん、ちゃんと水分ばとって、夏バテならんように気いつけんといけんよ。ね?』
『うん』
『そや、あんた勉強頑張っとっと?』
『一応ね、もうすぐ試験』
『あ〜、だからあんた元気無かったとね』
『え?』
『そがん暗い声しとったらいけんよ? 睡眠ばちゃんととっていつも通りやればあんたなら合格点っさね』
特別優しくされたわけでもないのに、少し前までありふれていたこのやり取りになぜか胸がいっぱいになった。私はお母さんに「ありがとう」と言って電話を切った。お母さんは試験のことだけを言ってくれたのだと思うけど、山田さんのことも大丈夫だと言われたような気がした。
完成した野菜炒めをお皿に盛り付けると、唐突にインターホンがなった。
こんな時間に誰だろう?
モニターで確認するとそこにいたのは山田さんだった。うそ、なんで!?
少し考えてから私は「今、開けます」と答えた。
「…………私なら大丈夫」
噛み締めるように呟いた。
私は急いで洗面台に向かうと前髪を整えた。服は……まぁいっか!
玄関の扉を開けると、やっぱりそこにいたのは山田さんだった。よし、普通に普通に。
「……こんばんは」
「いきなり悪い。あのさ、これ作りすぎちゃったんだ。おすそ分け、持ってきた」
「これって、」
「野菜炒め」
真剣な顔して言うから私は思わず笑ってしまった。しかも野菜炒めって、メニュー被ってるし。
「くふふ、ふふ、あ〜おかしい」
「笑うところだった?」
山田さんが困ったように頭をかく。
「でも良かった。佐藤さんがいつも通りで」
「え?」
「俺さ、この前あんな醜態さらしちゃったし、合わせる顔ないなって思ってて勝手に気まづくて。でも佐藤さんはもっと気まづいかもって思って」
「まさかそれで野菜炒め?」
山田さんの手元のお皿に目をやると、山盛りで野菜炒めが盛れていた。
「…………」
「うわ、策士ですねぇ」
「そういうの言うか? 普通」
「あいにく普通じゃないので」
「……っふ、ははは! なんか俺佐藤さんのこと好きかもしれない」
「…………は? こ、この間は亡くなった彼女さんを想って泣いてたじゃないですか!!」
驚きすぎてついそんなことを言ってしまう。しかもかもって何? 予想外のことに頭がくらくらする。
だけど当の山田さんは、おかしなことに私以上にぽかんとした顔をしていた。
「いや待って、俺今なんて言った? いやいやいや、何言ってんの俺?」
目の前で分かりやすく困惑する山田さん。意図せず口から出た? つまり無自覚……?
点と点が線で繋がってしまう。私の顔が条件反射で火照る。なんなんだ、この人は!!
「……っそれは反則ですよ!!!!」
叫んだ声が僅かに喜色を帯び、東京の夏に溶けた。
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