赤ワニ【2】

「なに、あいつ…。幻滅げんめつなんですけど」


 かっこいいと思った男前の青年は、ただのオカルトマニアだった。

 美穂は肩を落とすと、青年の警告を無視して、再びスマホを操作しながら歩きだした。


美穂『さっきめっちゃかっこいい人に会ったんだけどさー』

友人『マジ!? イケメン?』

美穂『イケメンだったんだけどー。オカルトマニアだったわ。あんたの“赤ワニ”って話に興味を示してたわよ』

友人『オカルトマニアでもイケメンだったんでしょ!! せめて名前を聞いておきなさいよ!』


 やけに食いついてくる友人に、美穂は(イケメンならなんでもいいのか…)とあきれ果てる。

 返信しようと文章を打ち込む矢先、美穂はなにかに足を取られてしまった。


「おっと!」


 さいわい転ぶことはなく、すぐに崩れた体勢たいせいを立て直す。りにつまずいたのか…。そう思った美穂が視線を地べたへ向けると――。


「…うそ。なにあれ」


 背筋が凍りついた。

 美穂の目に映ったのは、割れて出来た裂け目。だが、そのくぼみは真っ赤に染まっていた。


――赤いくぼみには気をつけろ。


「うわさ話じゃないってこと?」


 息が荒くなり、心臓が激しく鼓動こどうする。


――意識していれば安全だが、うわのそらで歩いていれば確実に足を取られる。


 赤いくぼみから目を離せない。


――赤いくぼみに足を取られた者、くぼみから現れる怪物に狙われる。


 くぼみから鋭利えいりな爪が現れ、穴を広げ、外へとい出てくる。


――目がない、皮をぎ取られた血まみれの赤いワニ。


 それはヌルヌルした赤い体液を全身にしたたらせた、眼球の部分がくぼんだワニのような醜悪しゅうあくな怪物。


――鋭い牙がたくさん生えた大きな口を広げて、獲物に喰らいつく。


 目がないのに、怪物は美穂へ狙いを定める。大きく開いた口は、鋭い牙がとげのようにびっしりえていた。


「――ヒッ!!」


 美穂はあまりの恐怖に引きつった声をあげ、その場から逃げだす。

 必死になって走る彼女の様子に、周囲の人々はいぶかしげな視線を向けていた。


(――ほかの人には見えないの!?)


 どうやら美穂以外の人たちは怪物の姿が見えないようだ。さらに、怪物は周りの人たちには目もくれず、美穂だけを狙い続ける。


(うそうそうそ!! 誰か! 助けて!!)


 走って、走って、走り続ける。

 一瞬窓口へ逃げ込もうと考えたが、自分以外に見えない怪物の存在をどう説明するのか?

 誰も信じてはくれない。頭のおかしいやつ、または薬をやっていると思われるだけだ。


(電車に乗ってしまえば、怪物も追ってこれないはず!)


 美穂は改札口を通り、駅のホームへ着く。通勤通学もあって、学生やサラリーマンであふれていた。


(あーもう! だから、朝の通学は嫌いなのよ!!)


 嫌な気分になりながらも、美穂は自分の乗車位置へ向かう。そこへ着いたと同時、タイミングよく電車も来た。


 あとは電車に乗るだけ…。


 そう安心した刹那、突然右足に激痛が走る。


「――痛ッ!!」


 思わずその場にしゃがみ込む。恐る恐る自分の足を見れば…骨が見えるほどえぐられた傷が付けられていた。


「な…なんで…」


 美穂が辺りを見回すと、雑踏ざっとうまぎれて赤いくぼみがすぐ先に存在していた。

 美穂の顔から血の気が引いていくなか、くぼみから鋭利えいりな爪が現れる。

 赤いくぼみから目を離せない美穂に、ひとりのサラリーマンが声をかけた。


「君、大丈夫…って、怪我けがをしているじゃないか! 誰か駅員さんを呼んでくれ! それと救急車!」


 サラリーマンが叫ぶ。しかし、美穂の耳には届かない。なぜなら、彼女は赤いくぼみからい出てきた怪物から目を離せなかった。

 舌なめずりしながら近づいてくる怪物。美穂は悲鳴をあげると、怪我けがの手当てをしようと駆け寄ってきた駅員たちを押し退けて走りだす。


「いやああああ!! 来ないでッ!! 来ないでぇぇぇぇッ!! 化け物ォォォオオオッ!!」


 発狂する美穂。彼女の目の前には、大きな口を開けて飛びかかってくる怪物の姿。


「――あぶないッ!!」


 駅員の叫びがホームに響きわたる。

 その声で美穂はわれに返るが、すでに遅し。気づいたときには反対側のホームへ転落し、通過中の快速列車にはねられてしまった。

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