第八話 透明の温度
あれから奏は、太陽の音のことを考えながら数日を過ごした。答えがあるわけではない。そもそも太陽に音はない。それを表現してしまったら、奏は嘘つきになるだろうか。
月を見ながら家までの道を歩いていた。太陽の音があるなら、月の音もあるのだろうか。月の音は、絵本や童謡でも見かけないな。太陽の音、か。さんさん、ぴかぴか、きらきら、ぽかぽか。星はキラキラって音がするんだろうな。ピカピカは電気なんかでもそうだし、ぽかぽかはストーブだってそうだ。何か、太陽にしかないものがある気がする。それは音じゃないかもしれないけど、人工的な感じがしない、やわらかくてまるくて、こう……。
あたたかい。
そうだな。きっとそれだ。太陽の音はあたたかいはずだ。ストーブの熱みたいに鋭くないあたたかさ。ふわふわの毛布みたいに包み込んでくれて、お母さんみたいに柔らかい匂いがして、まあるくて明るい。この感覚。
一人の家に着き、電気をつける。散らかった部屋の奥の、存在を忘れていた本棚にやっとこさ辿り着く。まともに使わなかった参考書や、友達に半分貸したままの中途半端な漫画に紛れて、ホコリを被ったスケッチブックを見つけた。引っ張り出して開くと、それは大学1年か2年の時の授業でちょっとだけ使ったもので、絵の具の混ぜ方やグラデーションの練習がしてあった。と言ってもそれは最初の数ページだけで、奏の記憶通り、後半は白いままだった。
ゼミで使っている水彩絵の具と筆を机の上に放り出し、バケツに水道の水を汲む。8Bの芯が柔らかい鉛筆で大体のあたりをつけ、その線の外側に綺麗な水を薄く塗る。後からティッシュで色をぼかしたり、紙の上で色が混ざるようにするための技法だ。赤と黄色を水で伸ばしたものを、見えるか見えないかの薄さで乗せていく。筆を洗い、黄緑を少しぼかして置く。続いて少し白を混ぜた淡い黄色、赤みがかった紫。ドライヤーで乾かして、鉛筆の線を消したら、紙の中央に空いたままの空洞に透明感のある白を塗っていく。
光を表現するのは、難しい。それも、物に当たって影を成すような物質的な光ではない。光そのものを描いているのだ。アインシュタインは、光は粒子だと言ったそうだ。形として目に見えるものだったらどれだけ楽か、と何度も考えた。奏は時間を忘れて筆を握り、時にドライヤーに持ち替えたり、バケツの水を交換したりした。ふう、を息をついた頃にはカーテンの隙間から朝日が漏れ、夕飯だったはずの特売の弁当は消費期限が数時間切れていた。
水彩絵の具の匂いと、レンジで温まった唐揚げ弁当の匂いは相性が最悪だった。机の上でゆっくりと乾いていく太陽の絵を邪魔しないよう、弁当を膝の上に乗せて食べた。
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