カノジョのゾウショク

黒石廉

カノジョのゾウショク

 「馬車や籠に乗り込んで、そして気がつくと消えていた幽霊は馬車や籠がなくなると、タクシーの乗客やヒッチハイカーに姿を変える。このように時代状況また場所に応じて伝承の登場人物はその姿を変えているのです」


 いつになく人の多い教室、民俗学の教授は説明を続ける。

 外ではスコールと見紛うような大雨が降っている。

 教授の声と雨音が奏でるハーモニーが学生たちのまぶたをやさしく撫でる。


 教室に人が多いのは、講義が面白いわけでもテストの情報が開示されるからでもない。この教授の講義は仏ということになっている。

 疲れたときは教室で心地よい眠りにいざなってくれる上に、単位もくれる、まさに仏の中の仏。疲れていないときはわざわざ講義室に足を運ぶ必要がない。

 誰が書いたのか知らないが、ひどい評価だ。

 ひどい評価だが、言葉こそ違えども皆同じようなことを考えているだろう。

 今、学生がここに集っているのは、雨宿りで足を休めるための椅子とスマホを置いて眺めるための机が必要なためである。


 「とはいえ、時代状況に適応できずに消えてしまった伝承もあります。もはやピアスを開けたときに間違って視神経を抜いてしまうことを気に病む人はいないでしょう。マスクをしているのが当たり前となった昨今、口裂け女は絶滅の危機にひんしているかもしれませんね。では、今日の講義はここまでにしましょう」


 スコールのようなというだけあって、外が少し明るくなってきた。

 仏は天候のコントロールまでできるらしい。


 ◆◆◆


 4回ほどしか出ていなかった民俗学の講義は当然のようにAだった。

 たぶん、あと3回ほど出て話をきいておけば、Sも狙えただろう。

 とはいえ、バイトも忙しい中、わざわざ教室に惰眠を貪りにいく暇もない。

 Aが貰えれば十分だ。

 後期の「民俗学特講II」も同じような感じで単位をもらうつもりだ。


 ◆◆◆


 夏休み明け、「民俗学特講II」が開講されることはなかった。

 夏休み開け直前にスマホに届いた学内連絡のメールでそれを知った。 

 教授が亡くなったためである。

 夏休み半ば、大学の構内で殺された。

 噂によると滅多刺しにされたらしい。


 「友だちの先輩の彼氏がさ、部室棟の屋上から見てたらしいんだけどよ。あの先生、なんか女子学生数名に追っかけれてたらしいよ」

 「先生はポケットから何か投げつけながら走って逃げてたらしいよ」

 「女子学生ってのがオリンピック選手顔負けのスピードなんだって」

 「でも、走るフォームがぐちゃぐちゃらしいじゃん」

 「そうそう、両手振り回して、ハイヒールで走ってたって」

 「うわ、なにそれ? やばいわ」


 俺は教授が刺されたという場所に行った。

 後期の授業はまだ始まっておらず、構内に人は多くない。

 構内で歩いているのはおそらく体育会のやつらと理系学部のやつらくらいだ。それもグラウンドや理系学部棟に集中している。

 文系学部棟は院生がたまに出入りするくらいでほとんど人はいない。

 ただ蝉の声が聞こえるだけ。

 

 教授殺害現場は人っ子ひとりいなかった。

 現場検証もとっくに終わった現在、しおれきった花が花瓶に供えられている。

 花の他にはワンカップの酒。この教授は酒が好きだった。

 彼の(受けない)定番ネタは「民俗学は調査の際に酒が飲める。つまり仕事中に飲めるということなんですよ」だったはずだ。

 全部で6単位程彼から単位をもらっているが、初回の講義で必ず口に出していた。

 おかしなものとしては、どういうわけかベッコウ飴がそなえてあった。

 ワインとチーズ、ウイスキーとチョコレートとかならまだわかる。

 ビールとチョコレートも安部公房かぶれだなくらいでわかる。

 でも、ワンカップとベッコウ飴は絶対に合わない。

 酒があまり飲めない俺でもそれくらいはわかる。

 ベッコウ飴はどういうわけかおばあちゃんがよくくれるので、大抵の場合はカバンにいくつか入っているが、だからといって、駅の売店でワンカップ買う気にはなれない。

 

 「わけわかんねーな」

 俺はつぶやいて、苦笑いする。

 しおれた花とベッコウ飴に向かって手を合わせると、回れ右して来た道を戻る。


 髪の長い女子学生とすれ違う。

 まだ暑いというのに、灰色のロングコートなんか来ている。

 ファッションとは耐えることなのか。

 よれよれのTシャツに短パン、足元は便所サンダルもどきの俺からすると、ファッションのために色々と不便に耐える人たちは修行僧のようにストイックに見える。

 とはいえ、色といい形といい今風でないから、ゼミの院生かなにかかもしれない。

 

 数歩歩いたところで、また人影が見えた。

 先ほどまでは人っ子一人いなかったのに、また俺の正面から人が歩いてくる。

 今度も女子学生、二人組だ。

 赤いコートの女子学生と白いスーツの女の子、どちらも手入れが行き届いているとはいえない長い黒髪だ。

 熱中症のニュースが毎日流れる中で、さすがに厚着の人ばかりが集まるのは異様だ。

 汗一つかいていないようにみえるのもおかしい。

 すでに汗だくのよれたTシャツにこれまでとは違った冷たい汗が流れた気がした。


 走ってはいけない。

 一刻もはやくここを立ち去らなくては。

 俺は道のアスファルトだけを見つめて、足を動かす。

 

 「すみません……」


 後ろから声をかけられた。

 アスファルトからゆっくりと視線をあげる。

 いつの間にか灰色のロングコートの院生風女子がすぐ後ろにいた。


 「つかぬことをお聞きしますが……」


 当たり障りのない会話の出だしに俺は少しほっとする。

 

 「あたしってキレイでしょうか?」


 俺は絶句する。

 口裂け女のコスプレかよ。

 それとも、俺が一人でびびっているのを見てからかいにでもきたのか。


 前から歩いてくるのがおかしな2人組であっても、人がいるのは心強い。

 俺は精一杯の冷静さを装って言う。


 「教授が都市伝説の研究してたからと言って、変な冗談言わないでくださいよ。キレイですよ、キレイ」


 おそらくひきつった笑みを浮かべているであろう俺に向かって彼女はマスクを外す。

 「アタシってキレイ?」

 

 耳まで裂けた口に俺は絶望を感じながら走り出した。

 赤と白のコートの2人組の前にくる。

 普段は同級生とすらなかなか話せない俺だが、このときはすぐに言葉が出た。

 「あれ! あれっ! 口裂け女! 口、裂けてる! 走る! 速い! 殺されるっ!」


 2人の女子学生は喚き立てる俺を不思議な顔で見た後、お互いに顔を見合わせる。

 後ろに化け物がいるんだぞ。なんであんたらそんなに冷静なんだ。

 いざとなったら、彼女たちを口裂け女に押し付けて逃げよう。

 一瞬でそのような卑怯な計算がはじき出される。


 お互いに顔を見合わせていた女子学生は2人同時にマスクを取る。

 耳まで裂けた口でにっこり微笑む。

 「アタシってキレイ?」「アタシってキレイ?」

 俺は腰が抜ける。

 

 (口裂け女は絶滅の危機にひんしている)

 教授の言葉を思い出す。

 あなたの推論は思い切り外れていたよ。


 口裂け女は消えなかった。

 マスクが当たり前になった現在、口裂け女はどこにでも姿をあらわせるようになったのだ。

 マスクをした女性が多くなれば、口裂け女もその数を増やしたのだ。


 追いついてきた灰色のロングコートと赤白の2人組が並んで、にっこり微笑む。

 「アタシってキレイ?」「アタシってキレイ?」「アタシってキレイ?」


 俺は這いつくばったまま、カバンをあさりベッコウ飴を投げつける。

 おばあちゃん、ありがとう。俺はこれで生き残ります。


 「カイイハ、ジダイニオウジテ、カタチヲカエルノヨ」

 「イツマデモ、オナジモノデ、ニゲラレルトオモウノ?」

 「アタシッテキレイ?」 「アタシッテキレイ?」「アタシッテキレイ?」 「アタシッテキレイ?」

 気がつくと彼女たちは数を増している。

 小便を漏らしながらはって逃げる俺を見下ろしながら彼女たちは真っ赤な裂けた口を大きく開いて叫ぶ。

 「シネ」「シネ」「シネ」「シネ」「シネ」


 ◆◆◆


 「なんかまた人が殺されたんだって?」

 「そうそうこの前の教授と同じ学科の学生」

 「この前の現場のすぐ近くだって」

 「うわっ! 気味悪っ!」

 「友だちの彼氏の元カノが遠目に目撃しちゃったらしいんだけど、なんか女が何人かで馬乗りになって石やら刃物やらで滅多打ち、滅多刺しにしてたらしいよ。なんか殺された学生の足がピクピク痙攣してて、怖くなってすぐに通報したんだって」

 「痴情のもつれ? ハーレムでも作ってたのかよ?」

 「なら自業自得? いや、でも殺された奴って根暗で教室でも常に端っこに一人で座っているようなやつだったって」

 「そうそう、殺されたやつって私の彼氏の同級生と高校の同級生だったらしいよ。それでね……」

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