Sayonara ailien

日本紳士録

第一話

 こんな曇り空じゃ叔母さんがかわいそうだな、というのが葬儀場についてから最初に私が考えたことだった。


 火葬というのがどういう意味で行われるのかは知らんけど、なんか燃え上がるというのでいうと晴れてた方が良い気がする。やたらと疎らに席が空いている葬儀場で、そんなことをつらつら考えたりしていた。


 小学生のころの私はだいたいこのクソ田舎の地元中学出身で当時メジャーデビューを成し遂げていた女性アイドルか、もしくはうちの叔母さんの話しかしていなかった。昔っからミーハー気質だったようで、当時私は自分の先にいる(と勝手に思っていた)女たちに強烈に惹きつけられていたのである。

 二人はこの国道とバカでかいイオン(むかしはサティーっていうサンリオキャラみたいな名前だった)しかない、アラスカの荒野と同等の情報量であろう地元に生まれ、そして生まれ育ったにしては異様にあか抜けていた。まあアイドルはあか抜けるのが仕事みたいなもんだし、じっさいに会ったことがあるわけではないのだが。とにかく叔母さんのあか抜け方といったらもう魔術的といってもいいほどで、たぶん原宿とかにいる、地方大会を勝ち上がってきた選抜選手みたいなオシャレアスリートたちと比較しても勝るとも劣らずだったと言えよう。


 そんなわけで。


 叔母さんは自分にめっちゃ懐く姪っ子をずいぶん可愛がってくれていた。自分が彼女の立場だったらかなりうっとおしいんではないかと思うが、東京の大学を出ている人間にありがちな極度の個人主義者にしては例外的に、叔母さんの私に対する態度はやさしいものだった。


 叔母さんは当時小学生の自分からしたらすごく年上のお姉さまといった感じだったが、いってもまだ二十代の女盛りだった。三つしか年が違わないわが母上が既にして使い込んだブランケットみたいな生活感を漂わせていたのに比べると奇妙に思ってしまう。という旨のことを叔母さんに聞いてみたところ、彼女は「いい感じ」をマジに絵にかいたような素敵かつ曖昧なほほ笑みを浮かべてこう言うのだった。「お母さんをそんな言ったらかん」と。


 そして現在。


 叔母さんはこの一抱えもないちっぽけな壺に生前にましてなおスリムになった体を縮こませているわけである。なぜこうなったのか。東京で華々しく生きていた彼女がなぜこんな田んぼと国道とイオンの街にのろしのような煙を上げてほろほろの灰になってしまったのか。さっぱりわからない。十六歳の私には、世界は大いに謎に満ちているのだった。


 なぜ彼女は死んだのか?

 世界人類をより純粋な炭酸カルシウムに転換しようと企む悪の秘密結社の本部みたいな葬儀場をあとにした私の頭の中では、この問いがスクリーンセイバーみたいに行ったり来たりしていた。型落ちのセダンを運転する祖父は無言で、ついでに助手席の祖母も無言で、いわずもがな骨壺を抱える私も無言である。みんな一様に喪服を着ているから、いつもよりもっとこのかび臭い車内に帳が下りたような感じがする。


「まあ、あれやな」祖父がもごもごと、口の中で吟味したものを吐き出すように言った。「こうして家族みんなで送れたんやから、瑞樹も報われたやろ」

 瑞樹というのは叔母さんの名前である。

「そうやねえ」と祖母はひとこと、呟くように言ってまた押し黙った。話すごとに体から空気が抜けていくのを恐れているようだった。


 私はと言えば、「ぅん・・・」とギャルのブログみたいな間の抜けた返事をして雰囲気を壊さないようにするだけで精いっぱいだった。なぜ彼女は死んだのか?頭の中はそれでいっぱいだったし、尋ねるにしても骨壺の中の叔母さんはただの炭酸カルシウムなのだから。


 私は何も考えたくないとき、もしくはひとり物思いにふけりたいとき、ポンジュースを飲む習性がある。それは私の中では儀式みたいなものなのだ。葬儀に参加した親族一同が集まる祖父の家にいるとなんだかひどく落ち着かなかったし、ちょっと浮ついた空気すらある居間にはなお居づらかった。というわけで私はキッチンでポンジュースを飲むわけである。

 そうしていると、空いた食器を盆にのせた母がキッチンに来る。

「ちょっと」なんだか苛立たしげである。「あんたもぼーっとせんで手伝わんと」

「いま忙しい」

 言い終わるか終わらんうちにまたポンジュースを口に含む。お母さんには反発しがちな年ごろの私である。母は何も言わず、また祖父と父が飲むのであろう瓶のビールを居間に持っていく。ご苦労なことである。未だ、女はいろいろ大変な時代なのだ。


 叔母さんに譲られた犬もまたメスだった。ミニチュアダックスフント。十五歳。血統書付き。栗毛の毛並みがかわいいみかんちゃんである。叔母さんは生前関わりのあった人間に手紙を残しており、もちろん私の分もあった。その手紙の中でみかんちゃんの世話を任されたわけだ。動物なんてはじめて飼うしみかんちゃんもけっこうな老犬であるからしてかなり億劫ではあったが、人間に換算すると七十六歳になるというみかんちゃんは今のところすこぶる健康で、短い足をちょこちょこ動かして歩き回る姿はさながらモップの妖怪といった感じである。

 しつけも行き届いているし、新しい環境にも一週間とたたずに順応する図太さもあるしで飼い主サイドとしては大助かりではあるが、ひとつ看過できない点があった。

 スイスだかドイツだかのメーカーのミネラルウォーターしか受け付けないのである。これが東京で育った犬の凄みだと言わんばかりに彼女はたっかいミネラルウォーター

 を飲み倒すのだ。

 まあ、それくらいなら。まあ。私はバイトのシフトを増やした。


 叔母さんの手紙の文面はすごく卑屈で、まるで叔母さんのことを貶めようとする第三者が本人の名を騙って書いたようなものだった。女児アニメとかによくある、偽物があらわれて仲間たちと戦わせられるやつみたいに、本物の叔母さんはどこか鏡の世界にでも幽閉されていて、ドッペルゲンガーが叔母さんの名を騙って死んだのかもしれない。そうじゃない?みかんに問いかけるが、彼女は首をかしげるだけだ。


 みかんが息を引き取ったのは夏休みに入ってばかりのころだった。ダックスフントは暑さに弱い。老衰ということになるらしい。嘘みたいに唐突だったし、とても遠くで演じられている舞台を見ているように現実感がなかった。とにかくも、箱ごと積まれたミネラルウォーターと、週六日のバイトのシフトが私に残った全てだった。

 犬の葬式もやっているらしい例の葬儀場では、いよいよハルマゲドンの到来を確信しているカルト教団の信者みたいな沈鬱な表情をする係員が待ち構え、父の車で運ばれたみかんの亡骸が火葬場に持ち込まれた。

「犬にも宗教ってあるもんですか」

 私が聞くと、係員は神妙にしながら優しく微笑むという離れ業をこなしながらこのように言った。

「お犬様に神様がいるのか我々としても把握する術はございませんが」係員は微笑んでいる。「飼い主様と同じ宗派のご葬儀を執り行うことが好まれますので」

 じゃあこれって何の意味があるんですか。と私は聞かなかった。どんな答えだってどうせ苛ついてしてしまうだろうと考えたからだ。なんだか疲れていたせいでもあるかもしれない。そうして私はみかんが焼かれていくのをじっと見ていた。『飼い主様と同じ宗派』それで納得するはずの人物はとっくにのろしになって地球を脱出してるわけで、どうにも白けるものがある。

 果たしてみかんは両手にすっぽりと収まるサイズの骨壷にその体を横たえる。唯の白っぽいカルシウムとして。彼女のふわふわとした栗毛や、彼女を構成する何もかもを焼きつくしたのちに。


 あれやこれや。


 みかんが死ぬことは、私と叔母さんとのつながりが断ち切られたことも意味する。なぜ叔母さんは死んだのか?と問いかけることができる相手はもういないからだ。こっからすごく哲学的になってしまうが、とにかくみかんは叔母さんに関する物事に対するマスターキーみたいな役割を果たしていた。彼女の水の飲み方はたぶん叔母さん家での飲み方だし、彼女がミネラルウォーターしか受け付けないのだってそういうことだ。私たち生きている人間は死んだ人にまつわるあらゆるものにその人の影を見出してしまうものなのだから。

 だから、尚のことみかんを可哀想に思ってしまう。彼女はなにしろ飼い主様と同じ宗派で葬られることが好まれるために、もうとっくに死んだ、犬の記憶力ではもう忘却の彼方にいるであろう人間と同じ末路を辿ったわけである。なんだかアニマルライツに目覚めてしまいそうな話である。


 みかんがいない家はひと回り大きくなったみたいに静かで、真夏にもかかわらずお腹の辺りをうすら寒い風が吹き抜けているような気がした。


 私は眠れなくなった。


 夜になると田んぼに面したこの家のあたりは蛙の鳴き声やらコウモリが出す破裂音やらで騒がしくなる。以前だったらただ鬱陶しいだけの騒音だったが眠れなくなったいまでは安らぎになった、なんてことはなくて、今まで通りこういうのにはイライラするものである。私はこういう時にはいつもポンジュースを飲むのだ。

 しかし、私はなぜポンジュースを好んで飲んでいるのだろうか?よく考えると不思議なもので、何がきっかけで何を気に入ったから飲み始めたのかといったことをほとんど覚えていない。人間の好みなんてそんなもんと言ってしまえばそれまでだが、なんとも釈然としないものがある。


 ある夜、またしても眠れない私は気晴らしに近くのコンビニまで歩くことにした。都会ではいざ知らず、この辺りの地域では女性がよる出歩けないという事態は発生しない。ジジババばっかだからだ。

 十分も歩かないところにあるそのコンビニは、オーナーの趣味か知らんが異様に雑誌類が充実しているので、気晴らしに立ち読みするにはもってこいのスポットである。私はポンジュースを買い、これを免罪符として立ち読みを敢行した。どうやらまだ五条先生は封印されているようである。

 ふと気づくと、隣にパーカーのフードを目深に被った小柄な人の姿があった。私よりやや低いくらいの背丈だ。横目でちらちらと確認する私。なんだか見るからに怪しげなその人が手に取ったのは結構ヤバそうなレディコミであった。

「あなたが瑞樹の姪で間違いないな?」

 レディコミの際どいページを高速でめくりながらそう問いてくる彼女。レディコミを速読する人を初めてみる驚きが勝っちゃってる私。しかしなんとも聞き捨てならないことをいう人物である。叔母さんの関係者であろうか?

「はい。えーと。あやかです。どうもです」

 動揺しながらもなんとか答えると、その女性は本から顔を上げ、はじめてこちらを向いた。ついでにフードも外した。

 そこには若かりし頃の叔母さんに瓜二つの顔があった。おそらく十代の頃の彼女だ。

「この顔を見ればおおむね理解できると考えるが」

 ヤング叔母さんの顔をしたその人物は無表情でそう言った。言われましてもといった感じである。

 「すいませんまだちょっと飲み込めてないです」

 ヤング叔母さんはやはり感情のない声音で「そうか・・・」と呟き、またフードを目深に被ると、再びレディコミを読みはじめた。

「瑞樹の姪にしては気が回らないものだ。東アジア人の平均的知能を有しているにすぎないと判断する」

 一ラリーの会話で見切られてしまった。なかなか失礼な人物である。

「説明してもらえれば凡人なりの理解はできるつもりです」

「そうか。すまないが、この退廃的文献を閲覧しつつ説明することを許可してくれ。非常に興味ぶかい書物だ」


「叔母さんは宇宙人に殺された?」

「その可能性が極めて高いと推測している」

 そう言って、ヤング叔母さんは読み終わった漫画をベンチにどんどん積みあげていく。近所の公園に場所を移した私は彼女から衝撃の事実を聞かされていた。一般人では逆立ちしても持てない例の真っ黒いクレジットカードを使って支払いを済ませた時点で、彼女の話には信憑性があると感じてしまうようななんとも安っぽい私は、とてつもなく突拍子もない話をし続ける彼女の話を嘘と断じることができないのである。

 彼女の話は続く。

「約十年前、母星からの命令により偵察任務についていた当時の私は瑞樹と出会い、彼女を現地エージェントとして雇用することに決めた。現生人類の平均を大きくうわ回る知能や身体機能、また向社会的な人格を有用と判断したからだ。それから彼女は地球人の代表として多くの外星人の交渉窓口となり、ヒトの中でも特別な役割をもつ人間となった」

 もちろん、だが、と続く。

「彼女はそのような立場にいたにもかかわらず外形的には自死したとしか考えられない状態で死亡していた。彼女が自ら死を選ぶとは私には考えにくい」

「それが、叔母さんが誰かに殺されたと考える理由ですか?」

 ページから目を離さずに彼女は言う。

「それはただ所感としてあるのみだが、彼女の精神は非常に強靭だった。通常の現生人類ならば発狂していただろう多くのアクシデントを彼女はうまく切り抜けた。死の直前の彼女にも不自然な点は見当たらなかった。」

 まさに叔母さんは唐突にこの世から姿を消したわけだ。

「そして私は瑞樹の死の直後、彼女の自室に不明外星人の痕跡を発見した。この件における重要な情報を握っている人物であると考えている」


 灰白色の街灯の光に照らされた彼女の顔の眉間から鼻筋が、昼と夜の境目みたいに分かれていた。無表情な彼女はまばたきひとつせず私と視線を交わす。


「この事象を解明することは私にとって急を要する案件だ。君の協力を要請する」


 彼女の名はキーマという。叔母さんが名付けた。性別はない。自由に姿を変えられるために地球では人間の姿をしているが、元は何かスライムみたいな生命体らしい。

 キーマと私は翌日には東京にいた。叔母さんの部屋につくと中は綺麗に整理されていた。ドラマのセットみたいな生活感のない部屋。ここでみかんは大皿にたっぷり注がれたミネラルウォーターを美味しそうに飲み、留守がちな飼い主と暮らしていたのだ。


「外星人の目星はすでについている」何に使うのかよくわからない機械を操作しながらキーマは言う。「その人物は原生人類になりすまし社会生活を送っているようだ。日中は都内のオフィスに勤務している」

 そんな身近なところに外星人がいるとは驚きである。社会に溶け込み、地球に潜伏する彼らを監視するのも叔母さんの仕事だったそうだ。

「その勤務先に行けばすぐ会えそうですね」

「それは避けるべきだ。我々外星人の存在はなるべく限られた人間のみ知っている状態が望ましい」


 ということで日も暮れた夜。私たちは閑静な住宅街の路上にいた。日中ではないにしても人通りがなさすぎるのはキーマの仕業だ。宇宙人というのはかくも常識では計れない力を持っているのだ。


「あと二分三十秒で対象が現れる。不測の事態に備えておいてくれ」そう言ってキーマは銀色の水鉄砲のようなものを私に渡してきた。なんだかやけに手に馴染む。「この銃は照射後五マイクロ秒で対象を高ナノ粒子に分解する。これであればほとんどの外星人を殺傷することができるはずだ」

 とんでもないことを言っているが、外星人相手とはいえそんなもの撃てるはずがない。

「武力を保有していることで抑止力が発生することはあらゆる知的生命体に共通する。それは瑞樹が所有していたものだが、彼女がこれを使用したことはない」


 あとは待つだけとなり、手持ち無沙汰な私は、冷静さを保つためにもポンジュースを飲む。

「君はそれをよく飲んでいるな」

 キーマはそう言った。彼女が私の行動にわざわざ言及することは初めてのことだったので驚いてしまう。なんとも付き合いづらい相棒である。

「ええ。まあ。なぜだかすごく好きなんです」

「瑞樹もその飲料を好んで摂取していた。何か特殊な遺伝因子があるのかもしれない」

「そうですかね」

「ああ。君は彼女によく似ている」


 目的の外星人は見た感じただの草臥れた中年サラリーマンだった。頬がこけ、皺のよったグレーのスーツを着ている。こういう男は世界に何百万人といそうで、だからこそカモフラージュになるのだろう。

「早速だが、君を南極条約特項違反の容疑で拘束する」

 キーマが言った。私も銃とか構えた方がよかっただろうか。横にただの女子高生が棒立ちで突っ立っているだけだと、迫力がどうにも欠ける気がする。

「失礼ですが、あなた方は?」

 男が口を開いた。

「すでに把握されているものと思っていたが」

「いえ、ほんとうに分からないのです」

 なんだか思ってた展開と違う。目の前の男は動揺している。キーマと同じく外星人であるはずなのにひどく人間的なふるまいだ。

「南極条約だ。つまり、君は不法居留者なのだ」

「それは日本の?今証明するものはありませんが、パスポートなら家にあります。南極条約というのは聞いたこともありません」

 おっと。これは。

 キーマさんミスったのでは?

「キーマさん。当てが外れましたね」私はキーマに耳打ちする。「キーマさんも失敗することがあるんですね」

「それはありえない。彼は間違いなく地球人ではない」

「まあまあ。そういうこともありますよ。私に任せてください」

 そう言い、私は男に声をかけた。

「すいません。急に声を掛けてしまって。どうもこの子の勘違いだったみたいです。ほんとにすいません。変な子なんです」

「そうですか。それならいいのです」

 サラリーマン風の中年男はそう言って私たちを通り過ぎた。


 突然、キーマがコマのように回転して後ろを向き、いつの間にか手に持っていた、私の持たされているものと同型の銃で男を撃った。突然のことに反応することすらできず、ただ呆然とする私だったが、男はといえば、こちらも同じく拳銃のようなものを構えていた。構えたまま、彫像のように固まっていた。

「やはり正体を隠していたようだ」

「キーマさん。これは・・・?」

「対象の体感時間を極低速にする非殺傷弾だ。この男は君を狙っていた」


 男は拘束されると諦めたのか喋り出した。

「私があなたたちを知らないのは本当です。私は移民二世ですから。母星の崩壊から逃げてきた難民の末裔にすぎないのです」

「ではなぜ武器を所持している」

「少々荒っぽい副業をやっているもので」男は照れ笑いのような表情を浮かべる。「それもユーラシアでは広く流通している安物です。大した威力はありません」

「この女性を知っているか」そう言ってキーマは瑞樹叔母さんの写真を取り出した。「知っていることについて全て話せ」

「すいません。私は種族柄、人間の顔を個体認識できないのです。音声を聴かせていただければおそらくわかると思います」

 そうしてキーマは叔母さんの声を聞かせた。言ってしまえばキーマは若い頃の叔母さんと同じ姿なのだから男も混乱してしまうのではと思ってしまうが、男からすると全然違うようだ。

「この方なら、よく存じ上げています。お得意様です。つい先日もご依頼いただきました」


 男の仕事を話す前に、まずは彼の種族の話をしよう。彼の種族は記憶を食べる。ちょうど夢を食べる獏のように。彼らはしかも、記憶をもとにして実体を生み出すこともできる。それは本物とはまったく見分けがつかない完全なレプリカだ。男は、「ただの排泄物です。つまりうんちですね」と言っていたが、つまりこれが彼の種族の特性だ。この能力のせいで彼らは大変な目にあったそうだ。そりゃそうだ。ひとりが何か危険なものをただ知っているだけで、その記憶を食べた人はそれをそっくりそのまま現実に再現できるのだから。そんなこんなで彼の種族はもう住んでいられないくらい彼らの星を荒らし尽くし、数を減らしながら宇宙を旅し、ついには地球に辿りついた。

「そういうことで私は種族最後の生き残りなのです。父と母はかなり昔に死にました。もう繁殖の可能性はありません」

 男はマルタと名乗った。

 しかし、話だけ聞くかぎり、かなりとんでもない能力をもつ外星人である。瑞樹叔母さんがキーマには秘密に彼に会っていたのは問題なのではないだろうか。

「私はこの星で静かに暮らしていきたいだけです。どうせ私が末代ですからね。まあ、たまに対価をいただいて記憶を食べていたくらいのもので、これまで誰も傷つけていないのは確かですよ」

 男のいうところの「副業」は人間をコピーすることだった。彼にしてみれば地球人はとても単純な構造でできているらしく、どんな人間も記憶通りの姿を再現できるらしい。たとえ死んでいても。

「あなたもそうですよ」

 と男は私に言った。キーマがこちらに目線を動かしたのが見えた。

「どういうことだ」キーマが言った。「彼女と会ったことがあるのか?」

「いえ、彼女は瑞樹さんからの依頼で再現したときに見たことがあるだけです。お亡くなりになっていました」

「彼女には心当たりがないようだが」

「それは瑞樹さんの要望でそのようにしたまでです。客観的にもそれほど良い死に方ではなかったですからね」

 私はといえばぶっちゃけ卒倒しそうだった。地面がぐらぐら揺れているような気がするのはこれが初めてである。こめかみのあたりがきゅうきゅうと音を立てて伸び縮みしているように痛む。

「ちょっとまだ飲み込めてないですが、最初に私を撃とうとしたのはそれが関係してます?」

「はい」男はまた照れたような顔をした。「依頼されてしたこととはいえ、ご本人の同意があったわけではないですから。なんらかの報復と考えてしまった次第です。申し訳ありません」


 ちょっと沈黙。


「あの、よろしければ、私の家にお越しになりませんか?」

 立ち話もなんですし、と男は続けた。超ショックを受けている私たちを見て、なんだか空気を読んでくれたようだ。宇宙人のくせに。


 マルタの家は独身用アパートの一室だった。まあそこそこ綺麗な感じである。外星人の部屋なのだから多少警戒するのかなと思っていたキーマもスタスタと居間に上がって座布団に正座している。ほんとにただの部屋のようだ。

「それで、いったい私は何を話せばいいのでしょうか?」

「瑞樹について知っていること。何を頼まれたか。そう言ったものの経緯」

 ちゃぶ台に私とキーマが並んで座り、向かいにマルタが座る。私とキーマの前には入れたばかりのお茶が湯気を立てている。


「はい、では、瑞樹さんについて私が知っていることは全てお話ししようと思います。本当は守秘義務があるので、私が今から話すことは他言無用でお願いします」そう言ってマルタが話し始めたことは、あまり耳心地が良いものではなかった。

 叔母さんが彼に接触することになったきっかけは私だった。当時、東京の彼女の家に遊びに来ていた私は、何者かに殺害された。叔母さんはひどく混乱していたらしい。彼女はとにかく、当時から裏社会では伝説の存在だったマルタに連絡を取り、私を蘇生してもらった。

「別に生き返るわけではないですから、死体はそのままその場に残ります。それをどう処理するのかアドバイスするのも私の仕事です」と彼は語った。

 私の死体は損壊が激しかったため、私の脳から記憶を吸い取るだけでは不十分だった。たまにそういうことがあるのです、とマルタは大型工業機械の不具合について語る技術者みたいに言った。

 だから、私の人格は叔母さんの記憶から構成されたものが多く含まれている。私に対する彼女の印象が多く混ざり合っている私は、もちろん生前の私とはまったくの別物だ。なんだかこれまでの人生の伏線回収が行われているような趣である。

「私が瑞樹さんと会ったのは二回だけです。一度目はあなたの再生をしたとき。二度目は数ヶ月前にまた依頼を受けたときですね」

「それは、誰の処理だった?」

 キーマが尋ねた。

「そこにいたのは、彼女と男のふたりだけでした。男の素性は知りません。その時は再生ではなく死体の処理を頼まれただけですから。ただ、一度目におとなりの彼女を再生したとき、記憶のふちにその男らしき影が見えました。おそらく、瑞樹さんは犯人を追い詰めたのだと思います」

 キーマが続きを促した。

「男の脳髄は芸術的と言って良いほど正確に破壊しつくされていました。すごく滑らかな傷口でした。プリンをスプーンで削り取ったみたいに。あれはなんなのでしょうね?いろいろな死体を見てきましたが、あのような死に方はありませんでした。あとは彼女の死体。こちらは綺麗でしたね。現在の日本では使用が制限されている強力な睡眠薬をオーバードーズしていました」

「瑞樹は自殺したのか」

 キーマが呟く。

 私はなんだかこの場からすぐに立ち去ってしまいたくなった。そして自分の部屋のエアコンをガンガンに効かせ、羽毛布団にくるまって眠るイメージが頭から離れない。そこでは自分が不眠症なことも、みかんが死んだことも、ついでに私が叔母さんと本物の私のキメラであることも、ぜんぶなかったこととして生きている私がかわりに眠っている。

 「ええ、そう考えるのが状況的には妥当でしょう」

 キーマの独言をひろってマルタがいう。なんともデリカシーに欠ける宇宙人である。「そういうわけで、私は男の死体を処理し、彼女の体はそのままそこに置いておきました。もちろん、彼女ひとりだけがそこにいたように見せかけた上で。これがけっこう勉強しなきゃいけないことが多くて大変なんです。まあ、そんなこんなで、半年は遊んで暮らせるお金をいただいて、ほくほくしていたところにあなたたちが現れた。そういうわけです」

 大したことを話せなくて申し訳なく思っている時に人間がする表情をマルタがする。

 キーマは叔母さんが何者かに殺されたと断定していたし、そう望んでいたように思えた。彼女が殺されたのか、自分から死んだのかで何もかも違うと考えていたのか、もっと宇宙人らしい判断からなのか、私にはよくわからない。キーマ自身がちゃんとわかっているのなら、こんな最悪な日でもまだマシに思える。


「さいきんインスタントが余っちゃって」そういいながら、マルタは帰ろうとする私たちにどん兵衛の入ったレジ袋を押し付けてきた。「二人でお腹が空いたときにでもどうぞ」


 私たちは、マルタの家から駅までの道の途中の公園により、ベンチに並んで座りどん兵衛を食べた。

「私は彼女のことを何も知らなかった」

 薄く湯気のたつ汁を少し啜り、キーマはそう言った。

「私は彼女のことは全て把握しているつもりでいた。任務に関することは全て」

「任務に関すること以外は?」

 私は訊いた。

「全ては任務のためにあると考えていた」

「仕事ばか」

「瑞樹もそうであると思い込んでいた。私たちはとても根本的な領域を共有していると無意識に考えていた」

 私は汁をひと啜りし、このバカのために何か言ってやることに決めた。

「私があなたのことを無愛想で配慮のない人だと思っているように、あなたも叔母さんに対して見える部分を大きく考えていたんですよ。私たち人間はそれを悪徳だとか誤っているとか考えることはありますが、おおむね正しいからそれで良いんです。そうやって世界は今日も刻々と無意味な回転を続けているわけです。いつだってそうです。見えない部分が見えないことはいけないことじゃないんです。だって見えないんだから当たり前じゃないですか」

 今日は蒸し暑い夏の夜である。虫も鳴いていない。たまに、街灯のチリチリという音が生ぬるい風に乗って聞こえてくる。

「つまり、私はどうすれば良いと君は言いたいんだ?」

「そんなの知りませんよ。腹立つなあ。自分で考えてください。ただ、こんな場所に私を連れ出してあなたがけっきょく納得するものを何も得られてないのなら、私は怒ります。私だって部活とか夏休み明けの実力テストとか、色々あるんですから」

 私は少し息を吸った。過呼吸のときのように肺がこわばっている。

 「こんなことはよくあるんだと納得してください。友達に話せるくらい自分から離れるように。そうやって人間は日々のごまかしと思い込みと浅い後悔を重ねて生きていくんです」

 「聞くだにとんでもない種族だ」

 そう言って、キーマは微笑んだ。彼女が笑うのを私は初めて見る。そして残った麺を箸で掬い、啜るとき、涙が流れた。

 「もしかして、泣きました?」

 私は今日いちばんの驚きとともにそれを見た。

 「宇宙人は泣かないものだ」キーマは言う。「そうして明日の平和と秩序のために今日の残酷と混沌を受け入れる」

 容器をゴミ箱にすて、キーマは振り返り私を見る。

 「このような事で仕事を滞らせることはできない。私は行くよ。今日はありがとう。あやか」

 これは帰りの交通費だ。と彼女は裸の一万円札を数枚私に握らせ、いつの間にかいなくなっていた。何かすごく大きな感慨が私を襲おうとしていたが、いつの世も大金を握りしめながらエモい気分になれる人間はまれである。私はどこまでいっても普通の人間なのだ。そういうことが、今はとても嬉しい。

  
































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Sayonara ailien 日本紳士録 @nipponshinshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ