第四話 セミ最後通告

 校舎の窓から差し込む陽の光が鋭さを増す竹ヶ岡高校二階廊下。屋外にいるよりは幾分かマシな体感気温の中、指が一本入るかどうかの隙間から教室内で行われる会話を盗み聞いていた脩は、最後まで聞き届けてB組の教室に戻ろうと動き出した。

 立ち去る前に開けた扉をしっかり閉めると、

(ガラッ)

 思ったよりも大きな音を立てて扉を動かしてしまった。

 自分で立てた音に驚きつつ、教室内の三人にバレてはいけない体を思い出し、今度は音を立てないように急いでB組教室の方へ踏み出した。


「ふぅ」

 教室に戻った脩は小さく息をつくと、そのまま息を整えながら自分の席へ着く。呼び出しておきながら先生に待たされていることに思うところがありながらも、自分の盗み聞きをしていたのでと自分を納得させながら残りの待ち時間を過ごそうと決めた。


※ ※ ※


(ガラッ)

 それから三分と経たずして扉が開く音がした。

 蝉の鳴き声に音響が支配される教室に久しぶりに聞こえた蝉とは違う音。

「ごめんなさい横山くん。待たせたわね。」

「いえ、忙しそうですね。」

「ええそうね、和泉くんには参ったわ。成績だけなら文句のつけようないんだけどね。」

 先生は涼真に選挙のことを勘づかれ、問い詰められたことに未だご立腹の様子だ。立腹とは言ったものの、怒っているというよりは拗ねているように見える。自分と倍近く年の離れた相手ではあるが可愛い。流石生徒の人気を集めるだけある。


「あの、それで、何の話なんです?」

「ああそうだった。本当は今日学校に登校したタイミングで話そうと思っていたんだけど、出席の話よ。」

「ああ。」

 自分のこととはいえ、今日一日色々あったせいですっかり失念していた。

 先生の瞳にまっすぐと見据えられ、串に刺されたように背筋が伸びる。というか硬直する。

「ああ。じゃないわよ。昼間職員室でもちょっと言ったけど、ヤバいんだからね。」

「……はい。」

 自分の置かれている状況からして、本来生徒会選挙などどいうものに興味を持っている場合ではない。そもそも縁もないわけだが――。


「今日の時点であなたの欠席日数が五十四日。今年度になってから最初の一週間だけ登校してそれから全部欠席か遅刻してることになるわ。」

「……はい。」

「そして、前から言ってるから覚えてると思うけど、一年の授業日の三分の一以上欠席すると次の学年へは進めなくなる。」

「……はい。」

「一年の三分の一というと大体六十五日前後だから、……こういう言い方はしたくないけどあと10日くらいがデッドラインになるわ。」

「……。」

 淡々と今自分が置かれている状況を告げられ、当然知らない訳ではなかったが、事の大変さを再認識させられる。そろそろ夏休みに突入しようかという時期までほぼ毎日休んでいればこうなるのは当然だ。

 並べられていく事実たちを前にして、脩は徐々に返事も覚束おぼつかなくなる。不思議と教室を支配していたはずの蝉の鳴き声が遠ざかっていく。


「……状況は本当に厳しいわ。でも、来るか来ないか、こればっかりはあなたに頑張ってもらうほかないわ。」

「それは、……わかってますよ。」

「私もあなたにちゃんと三年生になって欲しい。だからさっきあなたに頑張ってもらうしかないって言ったけど、担任としてできるサポートはしたいと思ってる。だがら助けになれることがあったら何でも言ってね。」

「ありがとうございます。」


 状況が厳しいのは本人である自分が一番よくわかっている。しかし、こうして自分のために手を貸そうとしてくれる人がいる。永川先生が生徒たちに慕われているのがよくわかった気がした。先生の生徒一人ひとりへ真剣に向き合う姿勢と思いがどうしようもなく伝わってくる。そのことにありがたいと思うと同時に申し訳なさや情けなさに包まれる。


※ ※ ※


 お互いに言葉を発しない時間が流れ、そろそろキツくなってくる頃合いだ。なにか言葉を発しようと必死に探すも、なかなか見当たらない。


「いいから、行ってきな」

「うわっ」

 すると、先生が教室に入ってくるときに閉めなかった扉の方から誰かに背中を押し出されて体勢を崩した一人の女の子がひょこっと現れた。その子(と背中を押した人)によって沈黙は破られた。


「いやっ、その、盗み聞きするつもりなんてなかったんです。」

「春?」

「檀野さん?」


 現れたのは春だった。……とするともう一人の声の主にも見当がつく。

「あの、えっと……」

「檀野さん、そこで何をしてたの?」

「えっと、……脩くん!お願いがあるんだけど。」

「……どしたの急に?」

「生徒会に入って。」

「え?」

「檀野さん?」

「脩くん、生徒会に入ってくれない?」


 脩は春が何を言っているのかすぐに理解することができなかった。生徒会に自分が入るなんて全く想像ができない。第一、不登校を生徒会に入れてどうする。

「結構とんでもないこと言うな。俺みたいなの生徒会に入れても何にもならないだろ。大体、お前まだ生徒会長って決まったわけじゃ……」

「それならもう結果出てるよ。玄関のところに貼り出されてる。」

 春の言葉を聞いてすぐ、脩は立ち上がって階段を駆け降り、玄関まで走る。体が勝手に動いてしまっている。自分でも驚きだ。


「ほんとだ。」

 春の言葉通り、生徒会選挙の投票から約一時間後。既に集まっていた生徒たちが作っている人だかりを掻き分けると、二人の候補の得票数を知らせる掲示が貼られ、春に当選の印が打たれている。僅か二〇票差で。


「そんな急いで行かなくったっていいじゃん。」

 修が掲示を確認したのに少し遅れて春が息を切らして人だかりの一部に混ざる。実際に結果を見た後でも、さっき自分が走り出した理由がわからない。

 新生徒会長の到着に気が付いた生徒たちは、春と追いかけられていた脩を中心に輪のようになっている。

「おめでとう春。大変だとは思うけどがんばれよ。」

「ありがとう。でもすごい他人事みたいに言うね。」

「実際に自分事ではないからな。」

 祝意を受け取った春は茶目っ気を混ぜて応えたが、それに対してかき氷のように冷たくあしらうように返す。

 人の輪から少し外れたところからやじりに毒が仕込まれた矢のような鋭い視線を感じる。しかし、その毒矢の射線は脩から少し外れたところを射抜いている。


 敵意むき出しの視線に気味の悪さを覚えて少し後退あとずさりすると、

「ね、わかったでしょ? 早めに永川先生のとこに戻ろ?」

「ああ、そうだな。」

 円の中心が元来た道を移動し始めると、それにつられて円周も移動してきたが、少し動くと連動することをやめ、二人は円の中心の役目を終えた。


 やっとのことで人込みを掻き分けて脱出に成功した二人は、永川先生を置き去りにしてきた空き教室へと戻った。

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